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『統合失調症、躁鬱病が僕の生きる武器に変わった』ただの障害者が講演家になるまで。

こんにちは、あまたつです!
永らくお待たせしました。ついに統合失調症、躁鬱病が生きる武器に変わる話を書きたいと思います。

地域活動支援センターという施設に普段週1〜3通ってます。

2022年になってからその施設でピアクラブが発足されました。内容としては障害を持ちながらも自分なりの方法で活動するというものでした。前回説明したピアサポートに関するクラブ活動ですね。

元々地域活動支援センターに実習に来た看護学生さん達に少人数でパワーポイントを使って闘病記を話していました。

また発表が終わると質疑応答の時間を使って、看護学生さんにアドバイスや患者目線の心境を伝えてました。
地域活動支援センターの職員さんからも信頼してもらえてる感覚を得ました。

9月になりコロナの規制が緩和したことで地域活動支援センターの職員から、「これから講演会の活動を広げていきましょう!」と言われ本格的に始動します。

ピアクラブの時間を使って講演会をやるようになりました。
第一回目は地域で交流会(フリースペース)を運営しているボランティア団体の方達に向けてやりました!
また病院の作業療法士の方々にも来ていただき、「すごく良かったです」や「これからは当事者が話をする時代なのかもね」という言葉も頂きました

うつ病、統合失調症と共に生きるというテーマで話しました


さらに僕が普段利用している色々な人と交流できるフリースペースで運営しているボランティアのメンバーさんに「よかったら講演会やりませんか?」と聞いたところ、「やれなくないね」と帰ってきました。

影で話が進んで社会福祉協議会で講演会をすることになりました。
「一時間話したら謝礼をお渡しします」と言われてプレッシャーが襲ってきました。 

「一時間も喋れるのか。プレゼン発表は20分くらいだし。」と質疑応答の時間に質問が無かったらどうしようか悩んでフリートーク用にネタ帳は作ってました。

当日になったらボコボコに潰れた空き缶の気分。
さらに「謝礼を2時間分渡すので2時間話してください」と言われさらに焦っていました。
しかしやってみると座談会のように世間話で会話が弾みます。

命の電話相談の仕事をしている人から希死念慮に関する質問が来て「どうしたら死にたいと思わなくなるの?またどうやり過ごしてましたか?」など来て僕の体験談を話していました。

ボランティアのスタッフの人達は普段障害を持つ人と接してますが、どんな気持ちかとか病気に関して深く知る事がなかったらしく、「実体験を聞けて本当によかったです」と言われ無事2時間を終えました。

印象に残っている質問があって

「あまたつさんはもし障害が全部無くせるなら無くしますか?」 

僕の答えは「もし障害が全部無くなったら障害を持つ苦しみが分からなくなり、病気を持った気持ちがわからなくなるのでそのままでいいです」と答えました。

講演会をやり始め、障害を持ってるからこそできる社会貢献があり、講演会の講師として統合失調症、躁鬱病の経験が僕が生きる武器になったと自覚しました。

講演会ではなくダイエット講座の講師も10月からやり始めましたし、今年の4月に作業療法士の学校に行き、当事者として講演会をしていきます。また病院の職員の教育として病院内での講演会もあるので楽しみです。

障害を自分の強みに変えるのに5〜7年かかりました。
環境に恵まれていた運の要素もありましたが当事者として生きやすくなる活動もさらにしていきます。

『統合失調症、躁鬱病が僕の生きる武器に変わった』はここで完結しますが実はこの連載をコミックエッセイとして世に出せないか動いています。電子書籍と紙の書籍での出版になります。

コミックエッセイ化の活動報告をnoteで発信して楽しんでもらえたらなと思います。
ありがとうございました!

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