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あたし論

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インクルーシブな社会のための研究・実践をするなかで、考えたことを整理するために書きます。 ※個人の意見であり所属する組織と関係ありません。
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#日記

「私はあなたの上でも下でもない」を崩さない

「私はあなたの上でも下でもない」を崩さない

年々、「管理したがり」や「管理されたがり」や「支配したがり」や「支配されたがり」な状況に敏感になっている。それは、他人に対してもだし、自分に対しても。だいたいそこにはdisrespectfulな態度が付随していることが多いからだと思う。自分に対するリスペクトのなさ、相手に対するリスペクトのなさ。自分のそれに気がつくとものすごく後悔をする。

きっとこれまでの環境の中で身についてしまった癖のようなも

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感情をコントロールすることは感情を無視することではない

感情をコントロールすることは感情を無視することではない

感情的になることは、「冷静じゃない」「大人じゃない」と批判されがち。怒りを「コントロール」する方が良いと思われがちだし、感情じゃなくて、理屈で物事を話すことの方が評価される。周りの人や「えらい」人が、言っていることには逆らわない方が評価されるし、ちょっとそれおかしいな、違和感だな、と思ったとしても、笑顔でその場はスルーした方が「大人だね」と評価される。

まあ、私も結構そういう「大人的態度」をここ

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不要と感じる我慢はしないことにした

不要と感じる我慢はしないことにした

私はいわゆる「過剰適応」をしがちな傾向がある。周りの人がどう思っているか、感じているかを読み取ることが得意で、その場で目の前の人に求められている行動をとりがち。そしてあとから「本当はそう思っていなかったのに」と後悔する。結果、断り下手ですぐになんでも相手のニーズに自分で答えようとするし、そこに問題があったら解決しなければと過剰に思う。

そしてもう一つやっかいなのが、過剰に適応しようとする一方、こ

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肩書きそのものが持つ権力を自覚しておきたい

肩書きそのものが持つ権力を自覚しておきたい

どんなに対等に接することを心がけたとしても、「医者」「社長」「役員」「教授」など、その人についている肩書きや立場は関係性を築くにあたり大きな影響を及ぼす。そして一方間違えるとすぐに主従関係や支配関係になる。

対人支援をしていると、それを認識しなければならない、と思う場面に多くぶち当たる。

どんなに気をつけようと、肩書きや立場の印象で人は見るし接する。「対等です」と言葉で言っても意味ないし、「な

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「理解できないやつが悪い」は何も生まないのでは。それでいいならいいけれど。

「理解できないやつが悪い」は何も生まないのでは。それでいいならいいけれど。

まだ届いてないのだけど、とても興味深い本を見つけたので。タイトルと紹介だけ読んでなんで自分がこの本に惹かれたのかを忘れないように書いておく。

こちらの本
打浪文子
知的障害のある人たちと「ことば」――「わかりやすさ」と情報保障・合理的配慮

「ことばができる」ことに価値があるという文化や社会的風潮に対し問いを投げかけ、
社会全体で共有できる「わかりやすさ」の必要性を明らかにすることを通じて

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「選んだあなたが悪い」の残酷さ

この半年間、自分がこれまで知らなかった世界を見たいと思い、これまでの行動パターンを意識的に変えてきた。

「静岡方式」を視察に行ったり、いくつかの少年院や更生保護施設、児童養護施設を視察し、さらに少年院にて学習支援に継続的に入ることで、これまで見えていなかったことが見えつつあり、かつ自分に変化が見えてきた。

これまで私は、「選択肢が少ない人には選択肢を作ったら良い」「もし嫌だったら選択しなおせれ

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好きな自分であれ

好きな自分であれ

大学生の時から「障害のある人もない人も共に過ごす共生社会をつくりたい」と口では言ってきたが、自分の行動がどうやってそれにつながるのか?が当時は何も見えていなかったし、整理できてなかった。
研究はしていたが、それはどのようにより多様な人が生きやすい社会につながるのか?まで考えていなかった。

そういう口だけの自分にムカついたのが大学院1年生の時。以前書いたスイスの学会に参加し、自分の無力さは感じつつ

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誰もを包含できる完璧なシステムなんて多分ない、だから作ろうとし続けることをやめない

誰もを包含できる完璧なシステムなんて多分ない、だから作ろうとし続けることをやめない

どんなに素晴らしい仕組みを作ったとしても、そこからこぼれてしまう人は多分いるであろう、という想像力を失いたくない。
自分が想像できる範囲の人たちは限られており、常に想像を超える人たちがいる、という前提。

もちろん、だから新しい仕組みを作ろうとする。既存の仕組みを変えようとする。誰もこぼれないようなシステムにいつかたどり着けるのでは?いつか作れるのではという希望を持ちながら、でも頭のどこかで必ず「

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自分のわがままと他者の尊重は両立できる

自分のわがままと他者の尊重は両立できる

ここ何年かは、人に対して「わがままだ」「やる気がない」と全く思わなくなった。というか、その言葉をもって人を弾糾することの無意味さを知ったから使う必要がなくなった。 マジックワードだと思う。都合が良い言葉。

人間はわがままなものだし、やる気がない時もある。やりたくない時はやる気でないよ。機嫌が悪い時もあるし、めいわくだって超かける。結構弱いものだし、間違うことなんてしょっちゅう。

だいたい、何か

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誰かの「許可」を得なきゃやりたいことできないなんてくだらない

誰かの「許可」を得なきゃやりたいことできないなんてくだらない

たまに、「支配したい人と支配されたい人」ばかりなのか、と絶望することがある。

「決める」ことは、とても面倒なことなんだろう。誰かに決めてもらった方が楽だったりするのかも。決めたことに責任を持たなきゃならないし。誰かに決めてもらったらその人のせいにできるし。だから決めることは怖い。

そして、逆に、自由に「決めさせる」ことは怖いという人もたくさんいる。
自分でコントロールできないから。

「立場」

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「それくらい我慢しろよ」の暴力性

どんな時にどんな感情が沸き起こるかはその人によって異なるし、そのレベルも異なる。

同じ状況でも「楽しい」と感じる人もいれば、「辛い」と感じる人もいる。
わたしは知らない人がたくさんいる「パーティー」はものすごく辛いが、それを「楽しい」と感じて毎日パーティーな人もいる。

そんなの当たり前な話かもしれないが、その「当たり前」を忘れた発言はものすごく人を追い込む。

「どのくらい辛いか」は人による。

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自分の専門分野以外の言語を知る

自分の専門分野以外の言語を知る

「野口さん、なにやってる人なの?」とよく聞かれる。インクルーシブな社会をつくる、そのための教育を実現する、という目的に対して、この瞬間自分が一番役に立つことをやっているつもりなのだけど、わかりづらいのかもしれない。

目的に対し、自分の強みを活用して向かうことを大切にしている。

自分の一番の「専門」は何か?と言われると、もともとの専門はインクルーシブ教育のためのカリキュラム。特に知的障害のある子

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自分が信じて行動してきたことは自分を裏切らない

自分が信じて行動してきたことは自分を裏切らない

今日は会社の人に「歩んできたキャリアについて話してほしい」と言われたので、こちらで話してきました。

持ち時間30分じゃ足りなかったので、こちらでも書こうと思います。
ちょうど節目の立ち止まり期間を経て、次のフェーズに向けて動き出したので、ちょうど良い。

10代のころの話、この分野に没頭し始めたきっかけはさまざまな媒体に書いてあるので、こちらをご参照いただければ。

この10数年、特に22歳から

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