#日記
誰もを包含できる完璧なシステムなんて多分ない、だから作ろうとし続けることをやめない
どんなに素晴らしい仕組みを作ったとしても、そこからこぼれてしまう人は多分いるであろう、という想像力を失いたくない。
自分が想像できる範囲の人たちは限られており、常に想像を超える人たちがいる、という前提。
もちろん、だから新しい仕組みを作ろうとする。既存の仕組みを変えようとする。誰もこぼれないようなシステムにいつかたどり着けるのでは?いつか作れるのではという希望を持ちながら、でも頭のどこかで必ず「
誰かの「許可」を得なきゃやりたいことできないなんてくだらない
たまに、「支配したい人と支配されたい人」ばかりなのか、と絶望することがある。
「決める」ことは、とても面倒なことなんだろう。誰かに決めてもらった方が楽だったりするのかも。決めたことに責任を持たなきゃならないし。誰かに決めてもらったらその人のせいにできるし。だから決めることは怖い。
そして、逆に、自由に「決めさせる」ことは怖いという人もたくさんいる。
自分でコントロールできないから。
「立場」
「それくらい我慢しろよ」の暴力性
どんな時にどんな感情が沸き起こるかはその人によって異なるし、そのレベルも異なる。
同じ状況でも「楽しい」と感じる人もいれば、「辛い」と感じる人もいる。
わたしは知らない人がたくさんいる「パーティー」はものすごく辛いが、それを「楽しい」と感じて毎日パーティーな人もいる。
そんなの当たり前な話かもしれないが、その「当たり前」を忘れた発言はものすごく人を追い込む。
「どのくらい辛いか」は人による。
自分の専門分野以外の言語を知る
「野口さん、なにやってる人なの?」とよく聞かれる。インクルーシブな社会をつくる、そのための教育を実現する、という目的に対して、この瞬間自分が一番役に立つことをやっているつもりなのだけど、わかりづらいのかもしれない。
目的に対し、自分の強みを活用して向かうことを大切にしている。
自分の一番の「専門」は何か?と言われると、もともとの専門はインクルーシブ教育のためのカリキュラム。特に知的障害のある子
自分が信じて行動してきたことは自分を裏切らない
今日は会社の人に「歩んできたキャリアについて話してほしい」と言われたので、こちらで話してきました。
持ち時間30分じゃ足りなかったので、こちらでも書こうと思います。
ちょうど節目の立ち止まり期間を経て、次のフェーズに向けて動き出したので、ちょうど良い。
10代のころの話、この分野に没頭し始めたきっかけはさまざまな媒体に書いてあるので、こちらをご参照いただければ。
この10数年、特に22歳から