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杓子定規なcreatureたち

コロナ禍で感じたこと

夜の仕事を始めて5年が経ち、ガールズバー、キャバクラ、スナック、ラウンジ、クラブに一通り経験した。コロナが蔓延していなかった2020年以前の夜の業界はとても活気がよく、一般的なサラリーマンの5倍以上もの収入を稼げることもあった。そんな中、コロナが猛威を奮い、その収入が0になってしまう時だってあった。それでも周りや行政に助けられながら5年目に突入することができ、感謝の気持ちでいっぱいだ。

そんなコロナ禍で強く感じたことがある。それは、夜の仕事をしている人たちに対して偏見と杓子定規で価値観を押し付ける者が横行していたということだ。家族、友人、知人、初めて会う御客などから「普通の仕事をしたらどう?」「夜の仕事をしているからコロナになる」といったような、差別的発言を受けることは数え切れない程あった。初めて会う人や然程親しくない人ならまだしも、家族や友人から受けるそのような差別的発言にはとても心が傷んだ。当時は皆が皆、保身することに必死だったのだ。そうだとしても、私が彼らの立場になったら絶対にそのような発言をしない自信はある。保身することと正義感を持つことは別なのだ。

そして、そんな私を他者がバイアスという杓子定規で測ってきたエピソード。2022年のある日、私は大学時代からの昼の仕事をしている友人を久しぶりに食事に誘った。正確には、「友達」だと私が思い込んでいた。しかし、コロナ禍がキッカケで、そうではないことを悟った。彼女は埼玉に住んでおり、会社の規定で「コロナ禍のため都内には社用、私用問わず赴いてはならない。」という決まりがあった。そのため、彼女は私に埼玉県内に赴くように促した。そこまではまだ良かったのだが、問題はそこからだった。「埼京線の戸田公園駅までは行けるが、浮間舟渡駅からは行けない。」ということであった。なぜなら戸田公園駅までは埼玉県で、浮間舟渡駅からは東京都になるからである。私は彼女のその言い分に驚いた。「戸田公園駅まではコロナになる可能性は一切なくて、浮間舟渡駅以降は可能性があるって言いたいの?」と聞くと「会社の決まりは、決まりだから。」と言って譲らなかった。そして、彼女はそこから話の方向性を転換させ、私が夜の仕事をしていることを揶揄し始めた。コロナ禍における秩序やバイアスを振りかざせば、「自分が正義であると証明できる」というような彼女の自信有り気な態度に私は卒倒し、それ以降、連絡をすることも会うこともなくなった。長年、理解ある親しい友人の1人だと思っていた事実が覆った瞬間でもあり、やるせない気持ちになった。コロナ禍で得た新たな価値観はあるものの、その失った代償はあまりにも大きかった。恋愛関係での異性との問題であれば、時間を経て次の男を探すという手段を講じることができる。しかし、同性の友人は唯一無二である。その人の代わりなんぞ、いやしない。大人になると新しい環境に飛び込むことも減るため、尚更だ。

今だから言えること。コロナ禍に入り、我々は保身に保身を重ね、もはや何に対して感情的になっているのか分からなくなっていたと思う。保身が過ぎるが故に、知らず知らずに相手を傷付けて自分の感情も迷子になっていたのだ。今、そこから抜け出した我々はどうなるのであろうか?そして、同時にコロナ禍と共に続いた夜の仕事に対する職業バイアスはどうなるのであろうか?失った代償を皮切りに得た新しい価値観と共に、そんな新しいフェーズを懸命に乗り越えたい所存である。