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A Course in Miracles について

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『A Course in Miracles』(奇跡のコース/奇跡講座)とはどういうものなのか?についてもりGの経験的な視点からみたnoteコラム
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#真のアイデンティティー

「幸せ」への入り口は何処にあるのか?というなら、それは「いま」です

「幸せ」への入り口は何処にあるのか?というなら、それは「いま」です


私たちは「本当の幸せ」を忘れて知らないこの世界の中には自分を幸せにしてくれるものや自分を満たしてくれるものがたくさんあるかのように見えます。

ただし、そのどれもが、所詮、仮の、一時的な、代用、代替にしかすぎないといえます。

それが、非二元(ノンデュアリティ)のスピリチュアリティが教えていることです。

ノンデュアリティのスピリチュアリティを探究していくのであるならば、当然、そういうことを理解

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「奇跡」によってもたらされる知覚とはどのようなものなのか

「奇跡」によってもたらされる知覚とはどのようなものなのか

「奇跡に難しさの序列はない」についてコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の中で奇跡の第一原理として示されている概念が、「奇跡に難しさの序列はない」というものです。

この概念は、コースを実践していくうえで、もっとも理解しておくべき重要な考え方です。

というよりも、私たちがこの世界の夢から自由になっていくために必ず修得しなければならない考え方であるということを知っておきましょう。

むしろ、

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じつは、私たちは「無」を見て一喜一憂しているだけで、それを人生と呼んでいるだけです

じつは、私たちは「無」を見て一喜一憂しているだけで、それを人生と呼んでいるだけです

いまここにただ在り続けるものコース(奇跡のコース/奇跡講座)は、この世界は実在しないと教えてくれています。

それは、この世界には真実なるものなど一つもないということであり、何一つ信じるに値しないということを意味します。

それはどういうことなのかというと、つまりは、自分が目にするもの、聞くもの、触れるもの、知覚するもの、経験していることそのすべてが嘘なのだということです。

実在するものは、恒久

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夢を見ているのは誰なのか?

夢を見ているのは誰なのか?

知覚しているその主体とはコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)が教えているその中心となる概念が、

世界は無い

というものです。

世界も無ければ、他者もいない、ということです。

それが意味するのは、この世界のすべて、この人生のすべてが「夢を見ている者」によってでっち上げられた夢であり、私たちはそれぞれその夢の登場人物と同一化しているだけなのだということです。

そこで私たちにとって重要と

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コースを学ぶ必要なんてあるの?

コースを学ぶ必要なんてあるの?


コースを学ぶことの必要性についてコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)とは、どんなスピリチュアリティ(霊性の道)なのか?

コースの学びと実践を通して何を目指しているのか?

というなら、

コースの学びと実践を通して私たちが目指している目標は、自我の思考体系から聖霊の思考体系への完全なるシフトであると言うことができます。

別の言い方をするなら、狂気の思考体系から正気の思考体系への完全なる

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「いまここ」「プレゼンス」「ただ在る」について

「いまここ」「プレゼンス」「ただ在る」について


心を忘れた状態から心を自覚した状態へ聖霊の視点とはいったいどういうものなのでしょう?

それは、

自分が存在していることも、
自分が考えていることも、
自分が体験していることも、

そのすべてが妄想の夢の中で起きていることだと知って(悟って)いる視点だと言うことができます。

すべてが非実在の夢だと気づいている視点です。

その視点は、この時空(時間と空間)のドラマが展開されている外側にありま

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「私」の非実在性を受け入れていく

「私」の非実在性を受け入れていく

「私」の完全なる放棄「私」がこの世界の夢から目覚めるのではありません。

なぜなら、この個別な「私」こそが非実在なのですから。

ですから、「私」にできることは、この「私」と、この「私」が知覚しているものすべてを包含して非実在として受け入れていくことだけです。

つまり、この夢を夢であると認識したところからこの世界の夢を眺めることだけです。

それが夢(虚偽)であると認識できる視点こそが、「赦しの

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完全なる悟りに至っていないなら、目覚めてはいないということ

完全なる悟りに至っていないなら、目覚めてはいないということ

「自分は目覚めている」と思っている人たち「自分は目覚めた、j悟った、わかっちゃった」と思っているスピリチュアリスト、ノンデュアリストを巷でよく目にします。

ただし、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の観点から見るならば、彼らの「目覚め」「悟り」というものが、真の非二元の「目覚め」「悟り」とは異なった定義をしていると言うことができます。

つまり、コースでいうところの「目覚め」は彼らが捉え

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苦しみの原因が理解されるならば、その原因を訂正することができる

苦しみの原因が理解されるならば、その原因を訂正することができる


苦しみからの完全なる脱却をめざして苦しみの原因は何なのか?

その原因が明らかになるならば、苦しみの原因が認識されるならば、私たちはその苦しみを訂正することができます。

そしてそれが、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の実践で私たちがしていくことだと言うことができます。

コースでは、それを「奇跡」または「赦し」と呼んでいます。

そして、その訂正(奇跡)によって、私たちは知覚している

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あなたが抱いている価値観のすべてを疑ってみようとする意欲が必要です

あなたが抱いている価値観のすべてを疑ってみようとする意欲が必要です

コースの学びはどのように深化していくのかコース(奇跡のコース/奇跡講座)の学びの深化とは、どんな感じなのか?

ということについて、私自身のコース学習の経験から述べてみたいと思います。

コースの歩みは、たとえその教えを分かったつもりでも、コースの学びが深まっていくごとにその分かったという理解がまた崩壊していく、という、まさにその繰り返しだといえます。

自分は分かっていなかったことに気づくたびに

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自分自身の中に築き上げてきた愛を阻む障壁のすべてを探して、見つけ出すこと

自分自身の中に築き上げてきた愛を阻む障壁のすべてを探して、見つけ出すこと


「大丈夫、深刻になる必要はない」という言葉に注意しましょうこの世界は幻想なんだから、、、

起きることが起きているだけなのだから、、、

すべては愛なのだから、私たちは神から離れてなどいないのだから、、、

だから、大丈夫、、、深刻になる必要はない、、、

自我は幻想なんだから、わざわざ自我をみる必要なんてない、、、

ただリラックスしていればい、、、ゆだねていればいい、、、

愛だけ、光だけ、

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悟りを完全なものにしていく

悟りを完全なものにしていく


学びの階梯についてコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の学びのプロセスについて、ワプニック博士は「階梯(はじご)」という言葉を使って表現されています。

コース学習者の私たちは学びが進んでいくにつれて、「自分は肉体ではなく、自分は心である」という自己認識へとシフトしていくことになります。

もちろん、「自分は肉体である」と信じているなら、学びの階梯の一番下にいるということであり、私たちはそ

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