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「いまここ」「プレゼンス」「ただ在る」について


心を忘れた状態から心を自覚した状態へ

聖霊の視点とはいったいどういうものなのでしょう?

それは、

自分が存在していることも、
自分が考えていることも、
自分が体験していることも、

そのすべてが妄想の夢の中で起きていることだと知って(悟って)いる視点だと言うことができます。

すべてが非実在の夢だと気づいている視点です。

その視点は、この時空(時間と空間)のドラマが展開されている外側にあります。

その視点から見るならば、自分も含めてすべては実在しない、それらは影(幻想)にしかすぎない、として知覚することができます。

聖霊の視点とは、そういう視点です。

ただし、その聖霊の視点は、私たちにはまったく忘れ去られています。

心を忘れた状態(マインドレスネス)の私たちにはその視点がどこにあるのか?がわからない状態になっています。

というのも、肉眼で見ているこの世界こそが忘却のベールとなって、その聖霊の視点が隠されているのです。

ですから、私たちに求められていることは、その忘却のベールを超えて、心に戻っていき、さらには、その視点を思い出すことなのです。

その視点から見るとき、「個」というものもなければ、個の自分もいなければ、他者も、世界もないのが分かります。

すべてを同じ(虚偽)として見ています。

そこは個を超えています。

そこは世界を超えています。

時空を超えています。

いわゆる、そこが、「いまここ」「プレゼンス(ただ在る)」と呼ばれている場所(視点)です。

コースの形而上学をしっかり理解して、その理解に基づいて実践していくならば、その視点を見い出して(思い出して)いくことができます。

そして、その視点を思い出していくための実践的な手段が、「赦し」と呼んでいるものです。

言い換えるなら、その視点を見つけ出すことなく、「赦し」はけっしてあり得ません。

聖霊の視点とは、つまり、心を自覚した状態の全一的な視点であり、そこに戻らないかぎり、「赦し」は絶対にあり得ないということです。

もしその視点を見い出すことなく、個人の視点から赦しをしているとしたなら、それは、「真の赦し」ではなく、コースでいうところの「破壊のための赦し」をしていると言うことができます。

たとえ素晴らしい体験をしたとしても、それがいくら平安をもたらしたとしても、それがすべてを包含している「心を自覚した状態」でないならば、それはコースで云うところの「破壊のための赦し」であるということを知っておきましょう。

赦しとは何か?どのようにして赦しを実践していくのか?

そのことについて学んでいくのが「コースを学ぶ」ということです。

赦しは、やり方や技巧(テクニック)ではないということです。

つまり、赦しはあくまでも「心」を自覚してくための手段であり、コース学習者の私たちはその赦しを完全に修得することを目的にコースの学びと実践をしているのだということを覚えておきましょう。


マインドレスネスとマインドフルネス

コースの学びが進んでいくにしたがって、ある時点において、
コースを学んでいる自分は、個人の自分が学んでいるのではない
ということが認識されていきます。

それに伴って、
心(決断の主体)の自分がコースを学んでいる
ということを自覚していくようになっていきます。

いわゆる、心を自覚した状態(マインドフルネス)になっていくということです。

それと比べて、今、私たちはどのような状態になっているか?と言いますと、心を忘れた状態(マインドレスネス)になっています。

その状態とは、自分は肉体だと信じている状態です。

その状態では、忘却のベール(否認)によって、心(決断の主体)である自分が分からなくなって、心をまったく忘れてしまっている状態といえます。

ですから、私たちは、心を忘れた状態から心を自覚した状態へシフトしていくことが求められているということです。

ワプニック博士は云います。

「自分は心であることを完全に思い出すこと、それがコース学習者である私たちが目指しているゴールです」と。

今や、私たちは、個の(人間としての)自分を信じ込んでいます。

私たちは、この世界は実在していると信じ込んでいます。

自分はこの世界の中に居ると信じ込んでいます。

そうであるかぎり、私たちはこの時空の中で、見つかることのない本当の平安、本当の幸せを探して彷徨い続けることになるのです。

その終わりなき時空の旅を終わらせるために、私たちはコースの学びと実践を通して心の自分(真のアイデンティティー)を思い出していかなければならないのです。

真の自己は、この世界にはいません。

真の自己は、この時間と空間の外側、つまり、夢の外側にいます。

それは、「いまここ」「プレゼンス」と呼ばれているところです。

コースは、そこへ帰って行くための実践的な霊性の道だと言うことができます。


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