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#スピリチュアリティ
真新しい思考体系を学んでいくうえでの心構え
コースは従来のスピリチュアリティとはまったく異なるものである実際、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)が教えていることを本当に理解するようになるならば、コースは私たちが思っているようなものとはまったくちがうということが分かってきます。
コースというスピリチュアリティは、自分たちが思っているようなモノではないどころか、それを遥かに超えていくモノであるということです。
ですから、コースを本
コースは従来のスピリチュアルとは一線を画するものである
コースは心理学であるコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は純粋な非二元あるいは一元論のスピリチュアリティであるわけですが、そのようなスピリチュアリティは特に東洋に多く見受けることができます。
それらのスピリチュアリティと比べてコースは何がどうちがうのか?というならば、そのもっとも特徴的といえるのが、コースは心理学的な側面から述べられているということが挙げられます。
コースが教えていること
「非二元」と「純粋非二元」の違いが理解できますか?
コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)は一元論のスピリチュアリティであるということは言うまでもありません。
いわゆる、ノンデュアリティ(非二元)の霊性の道なわけです。
でも、コースの学びと実践を通してこの世界の夢から本気で目覚めていこうと思っているのであるなら、巷の「ノンデュアリティ(非二元)」や「悟り」のスピリチュアリティとは、一線を画する必要があるといえます。
というのも、そこには目
帰り道が分からなかったら、帰り道について学ぶほかにありません
わが家を忘れた迷子あるとき、ふいに、わが家の記憶を思い出す者たちがいます。
実相(ワンネス)であるわが家を一瞬だけ垣間見る体験をした人たちです。
それを、「一瞥体験」「見性体験」と呼んだり、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)では「啓示体験」などと呼んだりします。
ただし、知っておかなければならないのは、それでわが家に帰ったわけではないということです。
コースの観点からいうならば、
この世界を忘れ、このコースを忘れ、両手をまったく空にして
コースに対する思い入れの変化2023年を迎えました。
これまでコースの学びや実践についてあれこれと綴ってきました。
コース(奇跡のコース/奇跡講座)とは、どのようなものか?
というテーマで、私自身が学んだことを整理するつもりで書き綴ってきたわけですが、コースの学びが深化していくにつれて、若干、自分の中においてコースに対する思い入れが変わってきたように感じる次第です。
というのも、コースが
スピリチュアルの探究に疲れ果てた者たちのための霊性の道
コースは大衆向けではないコース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)の学びが深まっていくにつれて、このコースという霊性の道は、一般向け、大衆向け、万人向けのスピリチュアリティではないということがますます実感させられます。
コースを学ぼうと思うのだけど、でも気が進まない、あるいは、いったんコースを手に取ったもののやっぱりやめた、あきらめた、興味が消え失せてコースから離れた、という方々を私はたくさん
ノンデュアリティのスピリチュアリティと『奇跡のコース』のちがいについて
ノンデュアリティ・スピーカーさんたちが語る非二元の教えと、コース(奇跡のコース/奇跡講座)が語っている教えは、本来どちらも同じ非二元の教えであるわけですが、
実際に、コースが教えていることを真に理解するようになるなら、それらは似て非なるものであるということが分かってくるといえるでしょう。
なにせ、コースの教えがとても難解であるがゆえに、その「ちがい」というものが理解されにくい面があるのは事実で
他の非二元のスピリチュアリティにはないコースの教えの特徴について
真理ではないものを見つけ出していくコース(奇跡のコース/奇跡講座)は、さまざまな霊性の道の中の一つの道にしかすぎないと言うことができます。
というのも、コースだけに限らず、「非二元(ノンデュアリティ)」「悟り」「真理」に至る(思い出していく)ためのスピリチュアリティ(霊性の道)はいくつも存在しているからです。
ですから、コース(奇跡のコース/奇跡講座)について述べるとき、特別な非二元の霊性の道
スピリチュアルの旅の終わりへと向かわせるスピリチュアリティ
コースはスピリチュアルに属するものではないコース(奇跡のコース/奇跡講座)が教えていることを深く理解するようになっていくと、「これは心理学なのだ」という認識が強くなっていくといえます。
それが何を意味するのか?
というならば、「コースはスピリチュアルのジャンルに属するものではない」と認識されてくるということです。
これは、スピリチュアルではなく、まさに心理学であると。
それと同時に、他のス
ノンデュアリティといっても、「非二元」と「純粋非二元」に分類される
ノンデュアリストも二種類に分かれる非二元とか、悟りとか、目覚めとか、真理とか、そういったものについて探究していくスピリチュアリティ(霊性の道)を、ノンデュアリティ(非二元)、もしくは、一元論のスピリチュアリティと呼んでいます。
そして、そういった探究者たちのことを、あるいは、ノンデュアリティについて語るスピリチュアリストのことを、「ノンデュアリスト」と呼んだりします。
そういう意味でいえば、
スピ系の「悟り」についてコースの観点から考察してみる
悟り、ワンネスを一瞥しようがしまいが巷のスピ系で「悟り」(の体験)と呼ばれているものについて、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の観点から書いてみようと思います。
結論から申せば、コースの観点から言うと、「悟り」の体験というものは、実相(真理/天国/ワンネス)を一瞬だけ垣間見ただけ、つまり一瞥しただけであり、それが私たちコース学習者のゴールとするものではないということです。
コース学
コースを学んでいようがいまいが、スピリチュアルであろうがなかろうが
誰もが自分に合った道を歩んでいる自分は誰で、自分はどこからきて、どこに向かうのか?
人生の本質に関わるその疑問は、誰もの内側に共通してあるものです。
私たちは、その答えを探して、その同じゴールに向かって、この世界の中をさまよっていると言うことができます。
自分の本性、つまりは、私たちの本性を思い出すまで、その答え探しの旅をし続けているのが、私たちです。
そんな私たちがコース(ACIM/奇跡