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他の非二元のスピリチュアリティにはないコースの教えの特徴について

真理ではないものを見つけ出していく

コース(奇跡のコース/奇跡講座)は、さまざまな霊性の道の中の一つの道にしかすぎないと言うことができます。

というのも、コースだけに限らず、「非二元(ノンデュアリティ)」「悟り」「真理」に至る(思い出していく)ためのスピリチュアリティ(霊性の道)はいくつも存在しているからです。

ですから、コース(奇跡のコース/奇跡講座)について述べるとき、特別な非二元の霊性の道であると位置付ける必要はないといえます。

とは言いましても、コースには他の非二元のスピリチュアリティにはない優れた特徴を見ることができます。

その特徴の一つが、実践におけるアプローチがまったく真逆とも言えるところです。

その実践は、「真理」や「神」や「愛」と合一していくことを目指しているのではなく、間接的なアプローチを取っていくのだということです。

その実践は、真理を見つけ出すことではなくて、真理ではないものを見つけ出して、それを取り消していくことを目指しているということです。


”あなたの為すべきことは愛を探し求めることではない。あなたが自分自身の中に築き上げてきた愛を阻む障壁のすべてを探して、見つけ出すことである。真理であるものを探し求める必要はないが、誤まっているものを探し出すことは確かに必要である。”(T-16.IV.6:1‐2)

奇跡講座/中央アート出版社


それは、コースというスピリチュアリティ(霊性の道)の最も特徴的なところであるといえましょう。

「非二元」や「真理」といったものについていくら学んでいったとしても、この世界から自由になれるのか?というなら、実際のところ、ほとんど助けにはなりません。

「非二元」や「真理」について知ったつもりになることはできるかもしれません。

ですが、この世界にいる私たちにとって、それはけっして理解できるものではなく、理解できないものについていくら学んでいったとしても、それは一時的な気休めの言葉遊びになってしまいかねません。

知っておかなければならないのは、コース(奇跡のコース/奇跡講座)は「非二元」や「真理」について学んでいくようなスピリチュアリティ(霊性の道)ではないということです。

むしろ、「非二元」「真理」についての理解は必要ないのだとコースでは教えてくれています。


”あなたは依然として、自分が理解するということが真理に対し、強力に貢献し、真理を真理となすと信じ込んでいる。だがあなたは何も理解する必要はないということを私たちは強調してきた。”(T-18.Ⅳ.7:5-6)

奇跡講座/中央アート出版社


それが何を意味するのか?

というなら、この自分が真理を理解していって真理に到達する、というようなことではないということです。

言い換えるなら、自分だと思っているこの自分が目覚めるのではないということです。

ならば、私たちはコースの実践で何をしていくのか?というと、

自分と思っているこの自分とはまったく関係なく、すでにすべてを知っている真の自己がいる(在る)ことを思い出すことをしていくのだということです。

そして、そのためにはニセモノの自分(自我)を非実在であるとして自覚/認識していくことが求められているわけです。

つまり、誤りを見つけ出して、それを訂正していくこと、取り消し(undoing)ていくことをしていくわけです。

そう、これは、訂正の道、取り消しの道であると言うことができます。


”真理であるものを探し求める必要はないが、誤まっているものを探し出すことは確かに必要である。”(T-16.IV.6:2)

奇跡講座/中央アート出版社


私たちには真理は分からなくとも、真理でないものは分かることができます。

ですから、真理ではないものを見つけ出していくことをしていくのです。

それが、コースで述べられている、”あなたが自分自身の中に築き上げてきた愛を阻む障壁のすべてを探して、見つけ出すことである。”(T-16.IV.6:1‐2)と云っていることのその意味です。

いうなれば、私たちが真理と幻想の識別ができるようになることが、このコースの目的であるわけです。

そうなるならば、もはや私たちはもはや夢を強化していくような教師を選ぶことはせずに、真理へと導いてくれる教師を確実に選ぶようになるといえます。


”あなたには、自分が学んだことが真実かどうかを認識するための一つの識別法があり、それは神ご自身と同じくらい確かな方法である。”(T-14.Ⅺ.5:1)

奇跡講座/中央アート出版社


コース学習者の私たちは、その正しい識別法を修得するために、コースの思考体系を学んでいるのだと言うことができます。

そして、この世界の夢から目覚めていくためには、もちろん、それは修得されるべきものであるということは言うまでもありません。


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