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雪中に果つ 4 (小説)


#オールカテゴリ部門


(あらすじ)
真紀と裕二は社内恋愛、しかも不倫の関係であった。やがて2人の関係が社内で噂になり、しばらく会うのを控えることにした。その後、業績悪化で2人が勤務していた百貨店が閉店となる。
家族を養わなければならない裕二は、真紀との関係継続を諦めようとした。真紀は裕二を諦めることなどできなかった。裕二に会えないなら、生きていく意味などないと思い、心中の話しを持ちかける。
2人は冬山で心中を図ったが、裕二は真紀を裏切った。



(やっと見つけたわ)

真紀は、ジリジリと裕二に近づいて行った。

(まるで、獲物に近寄る猛獣みたいだわ)

自嘲気味に、そう思った。
真紀の姿を見た裕二は雪の上にうつ伏せになったまま、あからさまに驚きを露わにした。
まるで、幽霊でも見たかのような表情だ。事実、幽霊だと思ったのかもしれない。真紀はとっくに死んだ、と思っていたのだろうから。

「真紀、生きてたのか?」
「残念ながら、そうよ。幽霊だと思った?」
裕二は気まずそうに顔を背けた。
真紀は裕二の元に近寄ると、その場にしゃがみ込んだ。
「裕二、ケガしてるの?」
「うん……。もしかしたら、骨にひびが入ってるか、
骨折してるかもしれない」
「そう、痛いの? 動けないの?」
裕二が頷く。
恐らく一晩中、痛みと格闘してたのかもしれない。

(私を置き去りにして逃げたんだから、自業自得だわ……)

「可哀想に……。まさか、こんなことになるなんて」

裕二はうつ伏せになったまま、無言でいる。
ずっと伏せたままの体勢でいたせいか、紺色のダウンコートの所々に雪が溶けてできた染みがついている。
そんな裕二を、真紀は冷めた目で見据える。

「どうして? 何で私を置き去りにしたまま逃げたの?」

裕二は体を少し横向きにすると、

「真紀、ごめん。途中で怖くなってしまって……。
本当にすまない。許してくれないだろうけど」

「私だけ、死ねばいいと思ったんでしょう?」

裕二は何も言わず、目を伏せている。
少しの沈黙の後、裕二が口を開く。
「真紀、お願いがあるんだ……」
「えっ、何?」
「救急車、呼んでほしい」
「ここ、圏外でしょう? 電話は通じないわよ」

裕二は痛みに耐えているのか、眉を寄せている。

「うん、分かってる。僕の車で電話が通じる辺りまで行って、そこから電話してほしい。そして、ここまで案内してくれないか?」

「えっ?、人の車は運転したくないわ。特に雪道は慣れている自分の車じゃないと、運転する気になれないよ」
さらりと真紀は言う。
仮に自分の車があったとしても、裕二の頼みなど
聞くつもりはなかった。それより、真紀の頭の中には人生最後の目的を果たすことしかなかった。

「僕を見捨てるつもりなのか?」

裕二の言葉に真紀は怒りを覚えた。

「最初に私を見捨てたのは、誰よ……」

気まずい雰囲気が漂い、しばし沈黙が支配する。
やがて、裕二が口を開く。

「じゃあ、僕の頼みは聞いてくれないんだね?」
「大丈夫よ、裕二を見捨てたりはしないわ」

真紀は愛しさを込めた眼差しを裕二に向ける。

「だって真紀、このままだと僕は動けないよ」
「動く必要なんかないわよ。もう、このままでいいのよ」
裕二は不安気な顔をする。

「真紀、まさか、まだ諦めてないのか?」

「そうよ、山を下りる気なんてないわ。ずっと
ここにいるのよ」
真紀は、きっぱりと言い切る。

「ずっと……?」
「ええ、そうよ。ずっと裕二と一緒にいるのよ」

うっとりとしながら裕二を見つめる真紀の目には、
静かな炎が揺らめいていた。
裕二の目に、恐怖の色が滲んだ。

「僕を見殺しにするのか?」
「何てこと言うの? 私達はこれから、永遠に歳を取らない場所に出かけるの。だから、いずれ怪我の痛みも感じなくなるわよ」

裕二は不思議なものでも見るように、真紀を見ていた。そして、その目に先刻から滲んでいた恐怖の色が、次第に明白になっていった。

「僕は、まだ死にたくないよ。頼むから真紀、救急車を呼んでくれよ、お願いだ!」
「ダメよ! 呼ばないわ。私と一緒に死ぬのよ!」

真紀の剣幕に、裕二は言葉を失っているようだ。
こちらを見つめるその顔には、この世の終わりのような雰囲気を漂わせていた。
事実、私達は数日後にはこの世から消えているのだから。
真紀は裕二の頭に手を置き、愛おしそうに撫でる。

(これでやっと、裕二は私だけのものだわ)

まもなく、ここに来た目的を果たすことができる。
アルコール類はもうないから酔って寝入ることはできないが、目を閉じて横たわっていればいい。この氷点下の状況なら、そのまま永遠の眠りに就くだろう。
次第に真紀の胸は高ぶっていった。

「真紀、考え直してくれよ……。あぁ、何でこうなるんだよ……」
「裕二、何を言っても、もう無駄よ」

いつの間にか、ふわふわと雪が舞い始めていた。
真紀は空を見上げ、微笑む。
綿のような雪片が、休むことなく天空から舞い下りてくる。

(そう、ずっとそのまま、私達の上に降り続いて。
白く、白く覆い尽くしてしまって)

真紀は雪の上に横になり、裕二の背中に抱きついた。
裕二は観念したのか、黙ったままだ。

「裕二、愛してるわ……」

真紀は幸福だった。
これほどの幸福は、今までの人生で最初で最後であった。愛する人と、この世から共に旅立つ以上の幸福などないだろう。

雪は一時も休むことなく降り続いた。
真紀は目を閉じ、ずっと微笑んでいた。

やがて、雪は2人の体を跡形もなく、白く覆い尽くしていった。

         了


















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