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#みんなの文化 (曳航の足あと) No.3

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みんなの文化 第3号目です。 大体、250~300ページで、次号へ向かいます。 こちらでは、わたしの代弁をしてくれる、あるいは、わたしを新しい世界へと導いてくれた大切な記事を、…
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#みんなの文化

コラム

⭐〈ノルウェーの森〉にわけ入って
            (その2)
「ノルウェーの森」の舞台となった1969年は、70年安保の前年で、全国の大学生たちを巻き込みながら、日本の学生運動は、これから苛烈になっていく。世界は、アメリカとソ連との二極化構造で、世界の各国も、単独の国内でも、大局に立てば保守、革新のそれぞれの勢力が、これら2大大国の代理闘争をやっているようなある意味陳腐な現実の印象がある一

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★切り離し技法について                 (その2)

★切り離し技法について         (その2)

        

ここではます一般的な切り離し技法について述べて、わたしが調査、整理した南関東(東京、埼玉県)について、実態を述べてみます。

★★つぎに一般的な説明です。
須恵器は、ヘラ工具を使います。
ヘラ切りです。回転台の上で中(高)速回転している粘土魁から切り離すときは、回転ヘラ切りと呼びますね。静止した粘土魁から切り離すときは、ヘラ起こしと言います。それに対して土師器は糸

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★土器製作における切り離し技法について                                                (その1)

★土器製作における切り離し技法について (その1)

本日は、粘土魁からの土器の切り離し技法についてお話しします。わたしの専門は須恵器ですので、今回は古墳時代から古代の須恵器、土師器の切り離し技法、そのあとは主に近世のカワラケの切り離し時の回転方向について、お話しします。
その前に須恵器、土師器、カワラケってどういうもの?どんな系譜の土器なのかを簡単にお話しします。
須恵器の伝わったのは、諸説あるようですが、4世紀末~5世紀初頭頃には、日本に伝わって

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〈小林秀雄試論〉全

〈小林秀雄試論〉全



1.はじめに
作品は何処へ帰着するのか、という問いが、批評にとって重要に思えるのは、そのことが、批評の言葉の帰趨を決定するように思われるからだ。だが、もともと作品は(ということは批評も)、どこかへ帰着する必然性を備えた存在なのだろうか。こういう疑念は、詮じつめれば言葉というものが、一体、誰の所有に帰属するのかという困難な問いに収束していくように思われる。現在まで、この

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★土器を観察する上での基本情報

★土器を観察する上での基本情報

今回から複数回、土器(ここでは縄文土器から土師器、須恵器、磁器、陶器、セッキ、などの総称)の製作技法、焼成技法についてお話しします。これらは、考古学の基本的な情報なんですが、結構専門家でも見落しがちな部分です。施釉は装飾技法になりますが、土器はこれら三つの観点から眺め、生産地と年代を推定すると、見方に広がりと奥行きがでます。それからこれは大変重要な観点なのですが、土器には必ず、材質の異なるオリジナ

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 〈小林秀雄 試論〉

 〈小林秀雄 試論〉

  

6. Xへの手紙 その(2)
現代に知識人など存在可能かという〈知的な〉問いはしばらく置くとしても、現在の日本のインテリと自称し他称される者たちに、『書物に傍点を施してはこの世を理解』するような『こしゃくな夢』を持つ者がいるとは到底思えない。何故なら第二次世界大戦後、全世界がアメリカナイズされていったことで、かって近代的知識人の自意識にとってプラトニックな憧れでありかつコンプレック

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コラム

〈小林秀雄 試論〉

5.Xへの手紙(その1)

「私小説論」の全体に漂う不透明な印象、もっと違う言い方をすれば、強烈な自意識の輝きが弱まり、鈍い翳りが漂っている。この翳りが小林の実生活のどんな体験に由来するのか、という疑問が入口である。
人は現実の中のどんな衝撃的な体験でも、その意味を真に納得するまでには、いくらかの歳月を必要とするようなのだ。つまり、その後過ごす歳月の合間、合間にその体験

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コラム

〈小林秀雄 試論〉

4.初期小林秀雄をめぐって~その(2)

19世紀半ばのロシヤの若い作家たちのことはいったん置くにしても、小林秀雄がここで言及しているわが国の作家たちが、「これ」即ち「自然主義文学の運動」を「行う必要を認めなかった」にもかかわらず、「自然主義文学」を輸入し「遂に独特な私小説を育て上げるに至った」経緯は、わが国に外来思想が見当違いに受容され流行しても、その「新製品」が輸入さ

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コラム

〈小林秀雄 試論〉

3. 初期小林秀雄をめぐって その(1)

初期小林秀雄は、作家や作品の解析と批評家の自意識を等価とみなすことを批評の方法とすることで、批評家としての出発を遂げた、と言ってよい。これは、ある作品を論ずる批評の言葉の描く軌跡は、批評家の自意識の描く軌跡に他ならないということを意味している。小林秀雄がボオドレールを、引き合いに出した言い方をを借りれば、(ボオドレー

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コラム

〈小林秀雄 試論〉
2.批評家誕生
近代批評に作者と作品について論ずるその仕方を尋ねれば、おそらく次のような言葉を聴くことができるはずだ。〈・・・作品の背後には作者という具体的な顔を持つ一人の人間が立っている。この場合の作者とは他の人々には窺い知れない資質と個性をたずさえ、他の誰かと取り替えのきかない具体的な生涯という軌跡を描いた(描きつつある)ある人物のことを指している。けれど、この人物は

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