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★土器製作における切り離し技法について (その1)



本日は、粘土魁からの土器の切り離し技法についてお話しします。わたしの専門は須恵器ですので、今回は古墳時代から古代の須恵器、土師器の切り離し技法、そのあとは主に近世のカワラケの切り離し時の回転方向について、お話しします。
その前に須恵器、土師器、カワラケってどういうもの?どんな系譜の土器なのかを簡単にお話しします。
須恵器の伝わったのは、諸説あるようですが、4世紀末~5世紀初頭頃には、日本に伝わってきていると考えられています。それは大阪のスエムラ窯址群のある栂地区にその時期と想定できる窯がみつかっているからです。(標識窯~TG232号窯)
須恵器は、一般的には青灰色の硬質の器と説明されていますが、実際には赤いものや灰色、白い須恵器もあります。これらはすべて焼き上がりの色なんですね。酸素を吸いとられた還元状態のものが、青灰色、いま盛んに燃えている酸化状態のものは赤、燃え尽きた瞬間に火をとめられますと、白くなるみたいなイメージで良いと思います。これは焼成温度が最高で1100度前後まで上げられるあな窯という窯でやかれているからです。それに対して土師器は、850~900度くらいの温度で地面の窪みに置かれ、湿った藁を被せた覆い焼きという方法で焼かれているため、酸化状態で焼き上がりますから、橙色から赤色になるんですね。カワラケは、もう少し高く950~1000度くらいと言われています。(わたしは焼成実験をやってもらいましたので、そのあたりは、自然科学分析からの情報になります。)窯は、キセル窯と呼ばれる窯で焼かれると考えている専門家もいます。わたしもそう考えております。そういう観点からは、カワラケは第三の土器として須恵系土師質土器に分類されることになりますが、これはつまり系譜がちがうということ、土器製作者の出自や工人集団が異なる、ということなんです。ですから古代の土器は、焼成技法などからもこの三者、須恵器、土師器、須恵系土師質土器に区分されることになります。長くなりましたので、ここでいったん切りたいと思います。
次回は、切り離し技法までいきたいとおもいます。

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