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#コミュニケーション
取材を受けてもらえるのは会社の看板のおかげである
ふと思ったのだが、大手メディアの記者は、基本的に断られる経験をあまりしていない。
取材を申し込めば「ぜひ」と相手も乗り気であることも多い。いうまでもないが、それは当然取材先もパブリシティという形で利用できると考えるからである。都合が悪いものではない限り、基本的にウェルカムな状態で受け入れてくれる。そうでなくともとりあえず相手にしてもらえることは多い。
断られたり無下にされる経験を知らないと、人は
人の顔を見るといつも――
極めてばかばかしい話で恐れ入るのだが、記者という仕事は様々な人と会うものである。
それだけに、対面で挨拶をしてしばらくアイスブレイクよろしくあれやこれやと話すわけだが、いつもその際に私が人の顔を見て思っていることがある。
それは「人間の顔はだいたい何らかの動物に似ている」ということである。
ともすると人をからかうときなんかに「ウマ面」とか「サル顔」と言われることもあるが、いろんな人の顔を見ると
ぴりりとした緊張感って
記者という仕事をしていると「取材」ということでとにかく人と会うこと・話すことを強いられるものである。
記者の仕事は執筆ではなくむしろ取材にありというのは本当にそのとおりであると思うが、それだけに取材先の人がどんな人柄であるのかは記者にとっては重要な問題の一つである。
あるとき、会社の後輩が先輩に「この人って怖い人なんですか」と聞いて、「馬鹿野郎、怖い人だろうが何だろうが取材しろ」と叱られていたこ
よくしゃべるやつでも「違和感」があればコミュ障
以前出場した水泳の大会で一緒のレースに出た友人と喋っていた時に、全く知らない奴がベラベラ話しかけてきたことがあった。
私の友人はレース後、息も絶え絶えで「やべーキツイ」と言っていたのにもかかわらず、その知らない奴があれこれと話しかけてきていた。言葉を選ばず言うと「アタマ大丈夫か?というかこいつだれ?」と思いながら適当に私が対応していた。
まあ、ざっくり言えば空気が読めないだけなのだが、その友人
オンラインだから本当のコミュ力が問われるなと
3年前と比べると、いまは生活のなかでオンラインツールを使う機会が加速度的に増えていると思う。
電話でのやり取りがteamsやZOOMになり、直接会うことを避けてチャットでやり取りをし、そして移動することをやめ、起き抜けの服のまま家のパソコンの前に座る日々が仕事のほとんどを占めるようになった。
技術の進展のおかげでブチブチと音が切れたりすることもなく、本当に目の前にいるかのように会話ができている。
いきすぎた配慮と自由な価値観と
以前、出来の悪い私を見かねて、先輩にこんな言葉をかけられたことがあった。
記者の仕事は往々にして文章を書くことばかりがフォーカスされるが、文章を書くことは言ってしまえば最後の行為にすぎない。
それまでの取材や、取材に先立つインプットと問題意識を持つ過程のほうが長い。さらにいえば文章を書くことそのものより、実は大事だったりする。
インプットをして問題意識を持ち、取材をするなかで、自然と「これは大
わからないやつがバカなら、わかるように説明できないやつもバカ
高校生の頃はよく岩波文庫の本を読まされたものである。
改めて今見てみると「何がいいたいの?」と思ってしまうほど読みづらい。
特に青(海外の思想書みたいなやつ)なんかは海外の先人たちの出した本を日本語で読むことができるという歴史的な価値こそあれ、日本語としての読みやすさはどっかにおいてきたのかという突っ込みをしたくなるほどだ。
そもそも、読者に理解してもらおうという翻訳者の気概が感じられないのであ
コミュ障には「おこだわり」を
「コミュ障」なんてことばがある。
コミュニケーション能力が著しく劣っていることを指すことばだ。
「障害」ということばを使っているが、別に医学的障害だと認識されているわけではない。ことさらに出来が悪いことを揶揄した言い方だ。
昔であれば「話すのが下手」とか「無口」とか、「口下手」なんて言い方をしていたのだろう。
やわらかい物言いでありながらも、なんだか思慮のない言い方になったなあと感じる。
就活な