見出し画像

ぴりりとした緊張感って

記者という仕事をしていると「取材」ということでとにかく人と会うこと・話すことを強いられるものである。
記者の仕事は執筆ではなくむしろ取材にありというのは本当にそのとおりであると思うが、それだけに取材先の人がどんな人柄であるのかは記者にとっては重要な問題の一つである。

あるとき、会社の後輩が先輩に「この人って怖い人なんですか」と聞いて、「馬鹿野郎、怖い人だろうが何だろうが取材しろ」と叱られていたことがあった。
先輩が怖い人なのは事実だが(言い方はさておき)先輩の言っていることはその通りである。

電話が嫌だという新人社員は多いらしい。まあ確かに電話は人間の常識のなさなんかが出やすいコミュニケーション手法の一つだし、何より緊張感もある。私も学生時代の塾のバイトで電話をとった時、親御さんから電話の取り方がなっていないと怒られたことがあるので、気持ちはわかる。

電話でいつ緊張するかを考えてみると、友人ではなく初対面の人や偉い人、年上の人(またはやばい人)との電話が主だろうと思う。
緊張感が出てくると、ひとは言葉のつむぎ方を考えるようになる。
「これを言ったら失礼にあたるな」とか「この話題って盛り上がるのか?」とか「これ言っていいのかな」とか、色々考えるわけだ。
緊張するとうまく話ができなくなったり、なんだか気まずい雰囲気になってしまったりする。
適当に喋らなくなるというか、適当に喋「れ」なくなる。

社会人になりたてのときはこのあたりのコミュニケーションの匙加減がよくわからず失礼を働いてしまうこともあるのだが、緊張感のある場に何度も足を運んだり失敗したりしていると、だんだんと慣れてくる。

でも人間不思議なもので、日々そういう風に緊張感のある場におもむいてコミュニケーションをとっていないと、またコミュニケ―ションの取り方を忘れてしまう。

コミュニケーション能力のあるなしというのは、こうした緊張感のある場での振る舞いがちゃんとできるのかどうか、というところで判断されるものだ。
それだけに、ちょっとチャレンジングな場に身を置いて何とか「しのぐ」経験を続けてみることで、ちょっとずつ地力がついていったりするのだと思う。ぴりりとした緊張感から逃げ続けると、自らが上の立場に立った時にそのしっぺ返しを喰らうのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?