よくしゃべるやつでも「違和感」があればコミュ障
以前出場した水泳の大会で一緒のレースに出た友人と喋っていた時に、全く知らない奴がベラベラ話しかけてきたことがあった。
私の友人はレース後、息も絶え絶えで「やべーキツイ」と言っていたのにもかかわらず、その知らない奴があれこれと話しかけてきていた。言葉を選ばず言うと「アタマ大丈夫か?というかこいつだれ?」と思いながら適当に私が対応していた。
まあ、ざっくり言えば空気が読めないだけなのだが、その友人はレース後、異常に話しかけてきたそいつに「逆コミュ障」という名をつけた。
いたくうまいネーミングだと思う。
通常、コミュ障というとあまり話すのが得意じゃない人のことを指すことが多い。話すのが下手だったり、人より甚だ寡黙だったりする人がそんな風に言われることがある。
半面、ベラベラ喋る人は一般にコミュ障とは異なり、饒舌でコミュニケーション能力があり、、と誉めそやされることがしばしばだ。
しかしよく喋るやつだからと言ってコミュ障ではないかというと、そんなこともない。
コミュニケーションとは、自分が言いたいことを相手がわかるように伝え、その結果相手が確かに理解した状態を作り、話し手や聞き手にとって「違和感」のないやり取りを繰り返すことにほかならない。
例えば、「好きな食べ物は何ですか」と聞かれたのに「最近腕が筋肉痛なんですよ」と言ったら誰がどう考えても違和感しかない。
一事が万事こんな感じで、コミュニケーションのなかに「おや?」という違和感が生まれると、人はそれを一瞬で察知する。
本来は暗いのにシャカリキに頑張って努めて明るく振る舞おうとしている人や、全く人との距離がつまっていないのに馴れ馴れしく話しかけてくる人は違和感を覚えさせる。
実はこういう感覚ってまっとうなコミュニケーションをはかるうえで極めて重要だと思う。結局、コミュニケーションとは相手がどう感じるかによって価値が変わるものだ。
ゆえ、言い回しや話題選び、言葉をかけるタイミング、距離の詰め方など、諸々が自分ではなく相手にとってどうなのかを考えないといけない。このあたりの感覚がズレていると聞き手の「違和感」につながるのであり、違和感があることすら話し手が気付かぬままにベラベラと話し続ければ、知らぬ間に「逆コミュ障」の烙印を押されかねないのである。
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