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あの頃を知っている、大切な人に会いたい。スピッツ「チェリー」

本当の名曲って、どこ切り取っても名文になっちゃうんだなぁ。

というわけで、本日は誰もが知っているであろうスピッツの名曲「チェリー」の歌詞レビューをお届けします。

君を忘れない 曲がりくねった道を行く
生まれたての太陽と夢を渡る黄色い砂

この曲って、最初のセンテンスで最早完成している気さえするんですよ。
「君を忘れない」って、本当は物語があった上で最後に使われるワードだと思うんです。
でも、この曲はそれを冒頭に持ってきている。
無意識のうちに、聴いている人は「なんでだろう?」と思っちゃう訳ですね。

そしてその後に続くワードチョイスがまさしく草野マサムネ節。
『夢を渡る黄色い砂』
って、おそらく海を渡ってくる黄砂のことをイメージしているんだと思うんですけど。普通はこんなワード使わないよなぁ。

二度と戻れない くすぐり合って転げた日
きっと想像した以上に騒がしい未来が僕を待ってる

このセンテンスと冒頭の『君を忘れない』から、この曲が別れを歌った曲ということが伝わってきます。
しかしながら、おそらくこの別れは全部が全部ネガティブなものではない。
恋人同士なのか、仲間同士なのか、クラスメイトの話なのかは判然としませんが。
別れの先には、各々を『騒がしい未来』が待っている訳ですから。

「愛してる」の響きだけで強くなれる気がしたよ
ささやかな喜びをつぶれるほど抱きしめて

サビの歌詞ですが、年齢を重ねれば重ねるほど素直さというか、実直さに胸を打たれます。
「愛してる」って言われるだけで強くなれる関係性って、めっちゃ素晴らしくないですか?

恋人も夫婦も仲間もクラスメイトも近所の人たちも、本当は絶対みんなそうであった方が良いはずで。
でも、毎日必死に生きているとそういう素朴なことこそ忘れてしまいそうになる。
この曲は、そんな人々の関係性の間に蔓延る真実を描き出した曲なんだと思います。

こぼれそうな思い 汚れた手で書き上げた
あの手紙はすぐにでも 捨てて欲しいと言ったのに
少しだけ眠い 冷たい水でこじ開けて
今せかされるように 飛ばされるように通り過ぎてく

この辺りの歌詞の抽象的な表現も、いかにもスピッツって感じですよね。
聞き手によって色んな捉え方ができるように、想像する余地を残したリリックです。

この曲、Aメロからいきなりサビにいくのでメロディ的にはシンプルで。歌詞に含みを持たせることでバランスを取っている感じがあります。

例えば、『汚れた手』というのは物理的になのか心理的になのか、はたまたどちらもなのか。
なぜ、手紙を『捨てて欲しい』のか。
この辺はリスナーの解釈に任されている訳ですけど、僕は良い意味で特に大きな意味はないんじゃないかと思っています。

強いて言えば『汚れた手』も手紙を『捨てて欲しい』という思いも青春の表現なのかな、と。
青春時代の手って、汚いんですよね。
部活の練習で泥だらけになったり、文化祭の準備でグチャグチャになったり。
あとは、思春期ってウソを覚えたり言い訳を覚えたりする時期ですよね。
そういう意味でも汚れを知っていく時期
だし、手紙を『捨てて欲しい』のも若気の至りを見られたくない、という思いなのかも。
もしくは、本当は捨ててほしくなんかないのに逆張りしているっていうパターンかもしれません。

『少しだけ眠い〜』のくだりは、青春という季節が通り過ぎていく速さの表現だと捉えています。

青春って、当事者でいる時はその貴重さが分からないものなんですよ。
いつまでも同じような毎日が続くような気がしているし、授業中も卒業式もなんだかかったるい。

で、なんとか起きようとしている間に急かされるように通り過ぎていってしまうのが青春なんですよ。

「愛してる」の響きだけで強くなれる気がしたよ
いつかまたこの場所で君とめぐり会いたい

2番のサビは、後半部の歌詞が変わります。
『この場所』という歌詞も、聴く人によって色々変わってきそうですね。
例えば、学校、教室、部室、帰り道、カフェ、会社…
誰もに当事者意識を持たせてしまうような共感しやすい歌詞だからこそ、この曲はここまで浸透したのかもしれないですね。

どんなに歩いてもたどりつけない心の雪で濡れた頬
悪魔のふりして切り裂いた歌を春の風に舞う花びらに変えて

ここの歌詞!
これマジですごいんですよ。
たった2行に、草野マサムネ氏の天才感が凝縮されている気がします。

まず、“涙”のことを心の雪』って表現するのヤバすぎません?
誰が思いつくのよ。

『悪魔のふりして切り裂いた歌を〜』は、解釈に悩む部分ですが。
辛いことを噛み砕いて前に進んでいく、ということでしょうか。
うーん、それだとちょっと何か薄っぺらい気がするというか、漠然とワードチョイスに対して内容が軽過ぎる気がします。

『悪魔のふり』というのは、ある種嘘や騙しのようなものなのかもしれない。
少し悪い手段を覚えて、夢を叶える(=『春の風に舞う花びら』)ために進んでいく。
それも一つ、大人になるということ。
スピッツの歌詞って、こういうちょっとした”怖さ”を孕んでいることも魅力だったりします。人間のリアルな部分。

この捉え方だと、最後のサビの

ズルしても真面目にも生きていける気がしたよ

というワードにも納得感が出ます。

何故、主人公は一貫して『いたかまたこの場所で君とめぐり会いたい』と願うのか。

それは、『「愛している」の響きだけで強くなれる』関係性であり、『悪魔のふりして切り裂いた歌を春の風に舞う花びらに変え』る前にお互いを知っていた大切な人、本当の自分を知っている人にもう一度会いたい、という気持ちだからなんじゃないでしょうか。

まあ、この自由な曲に特定の解釈をつけること自体が野暮なのかもしれないですね。
僕はこういう風に解釈しているよ、っていうことです。

良かったら、皆さんの意見も教えてください。
というわけで、大名曲「チェリー」の歌詞レビューでした。

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