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僕は僕を殺そうとしていた、それに気づいた日

職場の中庭に梅の花が咲いているのを見つけた。

見つけたのは昨日、
いや、厳密には一昨日になる。

寒さを誤魔化すが如く、
早足で歩いて昼食を買いに行くところだった。

ふと濃いピンクが目に留まり、
足を止めた。

僕はこういう現象のことを
“余白” と呼ぶのだろうなと思った。


そういえば、最近考えていることがある。

人が空を見上げたくなるのは
どんなときなのだろうか、ということ。

何人かにコメントをもらい、
何人かに相談させてもらって、
一つ仮説が浮かび始めた。

「空を見上げる “だけ” の余白がある状態」

ほんとうに余裕が無い人は
きっといつも俯いているだろうし、
かといって余裕が充分ある人は
真っ直ぐ前を向いて走り出しているだろうし。

走り出すほどのエネルギーは無いけれど、
俯き続けるほど余裕が無いわけでもない。

これこそが
「空を見上げる “だけ” の余白がある状態」
なのではないかと思う。

この言葉が浮かんだのが昨夜で、その日に
一緒に演劇を創りませんか?
とオファーした彼に話した。

「エナジードリンクじゃなくて缶コーヒーぐらい?」

彼とは何度か言葉のやりとりを交わしてきたが、
こういう言語で言葉が返ってきたのは初めてだった。

嬉しかった。

自己開示ってこういうことなのかな。
僕が言語化を難儀しながら
抽象的でも伝えようと必死で紡ごうとしたからかな。

彼の口から出た、
エナジードリンクではなく缶コーヒーという
端的かつ的確な例えが心地よかった。

そう、
缶コーヒーぐらいの作品を創りたいのだと思う。


学校の中庭で梅の花を見たとき、
この絶妙な “余白” が頭をよぎった。

自分の頭より少しだけ高いところにあった梅の花。

角度は空より浅かったけど、
僕は確かに昼間、微かにそれを見上げた。

気づいていなかったが、
「見上げる “だけ” の余白」だったのだろう。


まもなく僕のキャンバスは白を失い、
先ほどまでキャパオーバーで壊れていた。

キャパオーバーってのは
都合の良すぎる言葉かもしれない。

せっかく落ち着いたし、深夜だし、
素直に書いてみようと思う。


僕はここにきて、
気づかぬうちに自分を殺しかけていた。

noteの毎日投稿を始めた2021年1月1日。
小沢佑太として嘘をつくのをやめようと努力を始めた。

それ以前に、自分の心を殺し、
自分を殺し、自暴自棄に陥り、
いろんな人を傷つけ、裏切り、
生気を失って生きていた自分が
心底イヤで変わりたかったから。

その決意を強く固めたのは、
2021年2月6日
『花束みたいな恋をした』と
『眠れない夜なんてない』という
2つの作品を観た夜だった。

僕はこの日から、
自分を守り、自分を殺さないように、
僕が僕であり続けられるように
丁寧に、丁寧に生きてきた。

必死に自分の場所を守ろうとしていた。

あれから1年。

必死さはなくなり、
当たり前になり、
いわゆる
“落ち着いている” という状態を
保てるようになってきた。

ありのままの感情を武装せずに
丸裸の言葉を綴り、
インターネットの海に放つ
note毎日投稿という行為。

今住んでいる大好きなワンルームの家。
ここで毎日ゆっくりとした時間を過ごすこと。

誰になんと言われようと自分の想いを貫くこと。

あまのじゃくだったとしても、
自分の心をしっかりと守り切ること。

これらは全て、
僕が僕であるために
自分らしく生きるために
僕がとっていた手段だった。

昨夜、これらの防御壁を一瞬で貫いて
僕の心を脅かす行為に出合った。

哀しく、驚いたことに、その正体は
演劇という仮面を被ったナニカだった。

あの日、壊れかけの僕を救ってくれたのは、
紛れもなく演劇の存在だった。


それなのに、
そのはずなのに、
今僕の心を蝕み、
フラッシュバックを起こし、
何も手につかなくなるほどに僕の心を脅かすのは
演劇の仮面を被ったナニカだった。

さっきやっとその事実に気づいて、
壊れた心を修復する時間をとっていた。

気づいたらこんな時間になっているけれど、
まだお風呂にも入れてないけれど、
でも、ちゃんと寝て、落ち着いて、言葉にして、
今こうしてまとめることができている。

「演劇の仮面を被ったナニカ」とは、僕個人の見解だ。
他の演劇人には伝わらないかもしれない。
これは僕の考える演劇論によるものだから。

     経緯も含めて、
              聞きたい方は音声を通じてお話しましょう。
              これはきっと、文字を重ねれば重ねるほど
              語弊につながるような気がするので。


おかげさまで僕の中での
「続けたい演劇」の定義も明確になってきた。

自己を守り育む演劇がしたい。
どれだけ素晴らしい作品になったとしても、
自己を擦り減らして壊していく演劇はしない。

僕はプロデュースや演出を生業にしていく予定だから、
きっと役者として演じる機会は少ないけれど、
その少ない中でも、自分を殺したり、
嘘をついたりすることを許さないようにする。
許容したり強要したりする(される)ぐらいなら、
その環境から離れる道を選ぶことにする。

心を殺すことを良しとする世界があることは承知で、
それを善とする価値があることも承知で、
それを経験することでの成長があることも承知で。

それでも、僕が広げたい演劇は、僕が続けたい演劇は、
そういう自己や他者を傷つける行為ではない。

それがわかった一日だった。


明日は休もう。

少し、休息が必要だ。

演劇と離れて、
大切にするための演劇を取り戻そう。

これだけ演劇と向き合えている今に感謝し、
明日は、とにかく一日だけしっかり休もう。

読んでくださりありがとうございます。

あなたにとって、私にとって、
今日という一日が、
かけがえのない明るく輝く一日でありますように。


2022.2.18 共鳴|ちっぽけなことだけど僕にとっては死活問題


* おしらせ *


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