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本当の幸せは、人とは比べられないもの。

おはようございます。
日差しがぽかぽか。いい天気ですね。

今週末は桜が満開、見ごろなんだそう。
多分にもれず、私も今日お花見に行きます。

今年、夜桜は見ましたが
日中の桜の花は見ていないので楽しみ。

ふと気付いたのですが、
私の家の近くには桜の木がない!(笑)

引っ越す前は、通勤路に桜並木があり
毎朝そこを通っていたので
春夏秋冬、桜の木を見ることができました。

冬は花も葉もついていない木が、
春になると次々と桜を咲かせる。
その季節の移り変わりを見るのが好きでした。

今住んでいる場所は割と都会の中心にあるので、
自然に触れる機会が少なくなっています。

だから、通勤路にも桜の木がない。
気温は暖かいし、春になっているんだけど、
春というにはなんだか物足りない感じ。

今日はめいいっぱい桜を楽しんできます。
自然に触れることは私にとっての一つの幸せ。

昔、おばあちゃんの家に花壇があり、
そこに咲くパンジーや椿の花を
眺めるのが好きでした。

はなびらが風にそよぐ姿や、
濃い緑のしっとりとした葉っぱを触り
癒されたり、生きる力をもらったり。

とにかく自然を楽しんでいたような気がします。

もちろんたまには虫もいて、
怖かったりもしたけれど。(笑)

大人になって、社会人になって。
自然と触れる機会はめっきり減りました。

だからこそ、お休みで天気のいい日は
公園に行くのもいいですね。



タイトルは、今朝ふと思いたったことです。

仕事や勉強は、成果が明確だったり
目標がきちっと決まっていることが多い。

そして目標を達成した・達成できなかった、
試験に合格した・合格できなかった、など
成果が出たかどうかが分かりやすい。

だからこそ、人は目標を達成したときに
喜びを感じられるのだと思います。

今まで私は、たくさんの目標を掲げて、
それを達成しようと必死になっていました。

年収1,000万円を稼ぎたい。
そんなことを言っていた時期もありました。

でも、心身の体調を一度崩してからは、
自分が本当に求めているものを見つめよう、と
思えるようになりました。

(実際に見つめられているかどうかは別として。)

私は本当に1,000万円稼ぎたいのか。
そんなにお金がたくさんほしいのか。

その答えはNOでした。

私の両親は、自分で稼ぐ力が乏しく
今も決して裕福とは言えない生活をしています。

生存権さえ危ぶまれるレベル。
とにかく働くことができないのです。

昔から長女気質だった私は、
そんな家族を支えなければと
幼い心ながらに思っていたようです。

そして、その考えは今でも強く残っています。

だからこそ、両親に何かあったときに
自分が養っていけるように。

「安心したいから」「心配だから」
お金がたくさんほしかったのです。

また、私が小学生のころに
父がリストラにあったのも大きなきっかけでした。

ちょうどリーマンショックのころで、
派遣社員だった父は真っ先に職を失いました。

母は若くして結婚したこともあり、
働く上でのスキルや職能もなく
必死にパートに明け暮れる毎日。

そんな両親を見て、
自分で稼げる力がなければ
この不安定な社会の中で
生き延びることはできない。

人は人を簡単に見捨てることができる。
見捨てられないような
存在にならなければいけない。
有能な人材にならなければいけない。

そう思ったのです。

だから、お金を稼ぎたいという思いは、
「自分のため」じゃなかった。
「自分の幸せの実現のため」じゃなかった。

一種の自己犠牲的な考えだったのです。
それも、頼まれていないのにお節介な。

〇〇円稼げたら幸せ。
それも一つの答えなのだとは思います。

人生において一つのエッセンスなのだと。

でも私は、今ある幸せを
たくさんたくさん噛みしめたい。
深く深く味わっていきたいです。

もこもこのおふとんの感触とか、
ぽかぽかとした太陽の日差しとか。

コーヒーをゆっくり味わう瞬間とか、
深呼吸して体の力が抜けていく感じとか。

そういうちっちゃなちっちゃなことを
ひとつひとつ、拾い上げていきたい。

そこに私の「幸せ」があるのです。
今ここに、私の「幸せ」があるのです。

どっちがいいとかわるいとかじゃなくて。
どっちもあっていいと思うのです。

年収の目標をたてて、それを達成するために
必死になって頑張るのも一つの生き方。

そこに自分の「幸せ」を求めるのも一つの生き方。
誰にも否定はできません。

ただ、あの人は私より稼いでいるから幸せ。
あの人は私よりたくさんのものを持っているから幸せ。

そうだとは限らない、ということです。

いくら稼いでいるかどうかは
優劣をつけることができます。

500万円稼いでいる人よりも
1,000万円稼いでいる人の方が
稼いでいるお金は多い。
小学生でもわかること。

でも、その人が本当に「幸せ」かどうかは、
こうした数字で測ることができません。

だって、感じ方も受け取り方も人それぞれだから。
何が「幸せ」なのかは人によって違うから。

だからもっとみんな、
自分が「幸せ」になることに
躍起になっていいと思うのです。

自分にとって何が本当の「幸せ」なのか見つめる。
自分が「幸せ」のためになることをする。
それだけで人生、充分だと思うのです。

お金をたくさん稼ぐのも一つの幸せ。
ほしいものが買えるのも一つの幸せ。
コーヒーを美味しいと思えるのも一つの幸せ。
景色を眺めて綺麗だと思えるのも一つの幸せ。

どっちもあっていい。
どっちがいいとかわるいとかはない。

なんなら、「自分」の中にも
目標に躍起になる自分と
今ある幸せをかみしめる自分との、
両方がいていいと思うのです。

もっとお互いがお互いを理解し、
寛容に受け入れることができたなら。

世界はもっと素敵な場所になる気がします。

ついつい自分と違う人に対しては
攻撃してしまいがちだけど、
その人にはその人なりの考え方がある。

その人の「幸せ」がある。

もちろん、倫理観に触れるような、
他人を肉体的にも精神的にも
傷つける人は許されるべきではないですが。

根っこのところには何か原因がある。
みんながみんな、色々な考え方を持っている。

それをうまく掛け合わせて、
もっともっと素敵な世界を作れたらいいのにな。

なんて、壮大でぼんやりしたことを思います。(笑)

さて、今日はこのへんで。
そろそろ出かける準備をします🌸

みなさまも、良い一日を!

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