見出し画像

3月11日の旅‐プロローグ②

東日本大震災の被災地を訪問したい気持ちが強くなっていった。免許を取り少しばかりのカネが増え、行ってみたい好奇心で動けるようになった2017年、ようやく旅をはじめた。


陸前高田市・気仙沼市

貧乏旅行に使った18きっぷが1回分余っていたので、咄嗟に時刻表を開いて日帰り旅程をたてた。

まずは一ノ関駅から大船渡線で、陸前高田市は奇跡の一本松へ。気仙沼駅から先はBRT (Bus Rapid Transit) が運行されている。鉄道が走っていた跡が随所に見られた。

津波に負けず一本強く立ち続けた奇跡の一本松
被災された陸前高田の人々にとって希望だったのだと改めて感じた。当時は工事中でトラックの往来が激しかった。ここは後に祈念公園となる。

BRTで気仙沼市街に向かう。気仙沼市は震災前の夏に訪れたことがあった。少しだけ街を知っていた。
鹿折唐桑で降り、内湾地区へ。

でも見覚えのある景色はなかった。
大島汽船発着所付近は大規模工事が行われていた。

気仙沼の友人から頼まれた土産を買って、何話そうか考えながら18きっぷで帰る。

南三陸町・石巻市大川

同年秋、買い物に仙台へ行くという親友に、盛岡から仙台の往復分乗せるよーなんていいながら、途中の小牛田駅で降ろして南三陸へ急ぐ。

少し前、大学でとあるポスターを目にした。そこに写るのは起伏があり土がむき出しの土地に満面の笑顔をみせる幼児たち…ギャップにたいへん驚いた。南三陸町とある。自分の目で見てみたい、興味はそこからだった。

中心部らしい地区に着くと、あたりは嵩上げ工事の真最中。南三陸さんさん商店街へ急ぐ。

南三陸町旧防災対策庁舎高野会館が見える。
ただ、何メートル上げているのだろう。それで元通りの生活ができるのだろうか、わからなかった。

高台から志津川地区を見れそうだと向かってみる。

実はこの高台は南三陸町立志津川小学校にある。そのグラウンドを使って仮設住宅を建てた。高台から反対を見ると仮設住宅が続く。

避難されていた方々はどんな気持ちで街を眺めていたのだろう

石巻市立大川小学校

多くの児童が亡くなった大川小学校。野外ステージに描かれた絵がより一層感じるものがあった。

夜になり、仙台で親友と合流。感じたことをいろいろ共有した。

浪江町・双葉町・大熊町・富岡町

2018年春、親友と京都と北陸を巡る際、福島浜通り方面をドライブして向かおうという話をした。

行こうと言いながら互いに放射線を気にしていた。基準値以下、問題なし、大丈夫と知っていたものの怖かった。

浪江町に入る。

國玉神社。震災から7年経っていたのに、被害を受けたままになっていた。線量計は取り付けられていたが、鳥居の上部はなく、拝殿も傾いていた。


中心部は人っこ1人もいない。
信号だけがパカパカなっている。

浪江幼稚園と公園
元気な声が響くのを想像しながらシャッターを切る。

浪江駅。浪江から富岡まで不通となっていた。
物理的に途切れていた。

6国を南へ。帰還困難区域に入る。

遠目に原発が見える。

大熊町熊町地区。家はもうすぐなのに。バリケードで遮られる。

夜ノ森と駅。駅の西は大丈夫で東は行けない。見えないのにね。

帰還困難区域から外れていくとスクリーニング場が見えてくる。

車内から春を見つけた。

6年、7年経って街はどうなったか。
現地へ赴き、撮影して思ったことは、メディアから聞いたこと以下だったり以上だったり。
実際に行かないとわからないんだと感じた。

同時に単なる「好奇心」や「ついで」みたいな感じで訪れたことに恥ずかしく思った。

3月11日にしっかりと訪問したいと改めて思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?