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人間ぎらいだった私へ15)学生時代~心配・腹痛・支配

 さて、前回は、どのようにしてわたしが「苦しみ」を追い求める「ストイックな」性格になっていったかをお話ししました。

 わたしの家には、勉強とゲームの時間以外にも、いろいろなルールがありました。家の大人たちは、病気にならないために、子どもが非行に走らないために、将来お金に困らないために…。このような、いろいろな将来の不安を抱え、それに対する対処法を、いつも追い求めているような人たちでした。
 具体的に言うと…、「癌」にならないために、抗癌作用のある食材を使ったレシピを見て日々のご飯を作ったり、テレビで紹介された健康によいという食べ物を、毎日食べてみたり、サプリメントをたくさん飲んだり、腸のために「ヤクルト」を毎日飲んだり…。あと、塩分を気にして、ひたすら減塩もしていました。食べ物の「焦げ」を入念に避けたり。あと、小さい頃は、姉もわたしも、「アトピー」がひどかったので、それに効くとかなんとかで、「クロレラ」を毎日飲んでいました。効いたかどうかは、分かりませんが…。
 そういう…、食に対する「神経質」なまでのこだわりがありました。祖母も、母もです。父は、ただ、出されるものを食べるだけの人でしたが…。
 わたしは、そのような食卓の雰囲気が、「当たり前」だと思って育ったので、大きくなるまで、わたしの家庭が「神経質」で「窮屈」だったとは、まったく気づきませんでした。わたし自身も、小さい頃から視力が悪かったので、いずれ目が見えなくなるのではないかと怯え、ブルーベリーのサプリの広告を見て、親に懇願し、そのサプリを定期購買してもらっていました。

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