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人間ぎらいだった私へ

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「人間ぎらい」だった私が、「人間ぎらい」を克服していく自伝的な書き物です。 5000字程度の記事20本くらいで完結の予定…だったのですが、20本では終わりそうにありません。
シリアスな内容が含まれているので有料にしております。ご了承ください。
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人間ぎらいだった私へ0)はじめに

 こんにちは。やまのうえのきのこです。はじめましての方も、またお会いできた方も、お元気でいらっしゃるでしょうか。  前作の、ひきこもりや不登校の当事者に向けて書いたお手紙、「K君への手紙」シリーズを書き終えて、ああ、やれやれ、わたしの社会に対する役目は果たした、もう終わりだと安心していたのですが、しばらく休んでいる間に、今度はわたしの「人間ぎらい」について書きたくなってしまいましたので、再び筆をとった次第であります。  「人間ぎらい」ってなんなの、ってことについては、本編

人間ぎらいだった私へ17)学生時代~少年と男子・母子寮・さびしさ

 前回は、はからずも、とても長いお話をしてしまいました。思春期から始まる「性」の発達、といいますか…子どもから大人になっていくということは、それだけ複雑で、思わず饒舌になってしまう何かしらがあります。子どもという、ある種の「無性」状態から、「女性」や「男性」になっていくのは、なにやら、ものすごく大変なことなのでしょう。大人になると、その苦労を忘れてしまうのかもしれませんが…。

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人間ぎらいだった私へ16)学生時代~生理・性自認・女性像

 前回は、小4からお腹を壊しがちになったわたしと、料理を作る母との間の、食べ物をめぐる権力闘争についてお話ししました。  わたしにとって、「小4」というタイミングは、色々なことが変わっていくきっかけとなる年齢でした。食事が今までのように食べられなくなったのも小4ですし、「太りすぎ」から脱却して痩せていったのも小4、生理の始まりも小4…(周りの子と比べて、早い方でした)。たぶん、わたしの「思春期」は、小4から始まったのだと思います。

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人間ぎらいだった私へ15)学生時代~心配・腹痛・支配

 さて、前回は、どのようにしてわたしが「苦しみ」を追い求める「ストイックな」性格になっていったかをお話ししました。  わたしの家には、勉強とゲームの時間以外にも、いろいろなルールがありました。家の大人たちは、病気にならないために、子どもが非行に走らないために、将来お金に困らないために…。このような、いろいろな将来の不安を抱え、それに対する対処法を、いつも追い求めているような人たちでした。  具体的に言うと…、「癌」にならないために、抗癌作用のある食材を使ったレシピを見て日々

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人間ぎらいだった私へ14)学生時代~勉強・ゲーム・苦しみと快楽

 このように、わたしはどんどん、「母親に貢献すること」に、はまっていくようになりました。わたしは、家族の中で、メンバー間の衝突を和らげるように立ち回る、「緩衝材」、「調整役」になってしまったのです。

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人間ぎらいだった私へ13)学生時代~勉強・知と徳・母との「絆」

 さて、勉強の話の続きをしていきましょう。

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人間ぎらいだった私へ12)学生時代ー教育・家の宿題・父

 さて、今日もお話を続けていきましょう。  今日は…、そうですね、わたしの生まれ育った家の「文化」について、もう少し詳しくご紹介していきたいと思います。  最初のほうでも少し触れましたが、わたしの家庭は、すごく「教育熱心な」家庭でした。父親が中学の数学教師、母親も、専業主婦ではあるものの、教育免許を取得しており、両親とも、子どもの教育に非常に高い関心を持っていました。そして、同居していた祖母も、教育熱心で、孫のための知育教材には、お金を惜しまず、投資をしてくれました。  ひ

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人間ぎらいだった私へ11)学生時代ー毒舌・やさしさ・母と姉

 さて、前回も、前々回も、わたしの小学生時代の交友関係について、主にご紹介いたしました。  「なんだ、それほど『人間ぎらい』でもないじゃん」「もっと『ぼっち』なのかと思ってた」との声が聞こえてきそうですが、そうですね…、わたしは、外から見たらただの「ちょっと人見知りで」「シャイな」子どもにしか見えなかったかもしれません。しかし、表面的には、人と問題なく仲良くしていても、わたしの内面は、「ひんやり」としていました。「温かみ」をもって人と接することが、ほとんどありませんでした。

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人間ぎらいだった私へ10)小学校時代ーはじめての友達・母のルール・家庭環境

 小学校の頃のわたしにとって、「友達」と呼べる人はほとんどいなかったと、前回お話ししました。しかし、わたしにも、数少ない「友達」と呼べる人がいました。

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人間ぎらいだった私へ9)小学校時代ー友達・恋愛・マンガ

 さて、スカートが嫌でずっと拒否していた制服を、しぶしぶ着て出席した卒園式が終わると、息をつく間もなく、すぐに小学校の入学式です。アルバムには、入学式に白い綺麗なワンピースを着て(無理やり着せられたのでしょう)、母と並んで撮った写真が残されていますが、わたしはあまり覚えていません。特に記憶に残るようなこともなかったのでしょう。

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人間ぎらいだった私へ8)小さい頃ーピアノ・厳しさ・母娘関係

 小さい頃の話を、もう少し続けていきましょう。なんといっても、わたしの性格の基本は、ほとんどすべて、幼稚園の頃までに形成されているといっても、過言ではないのですから…。  今日は、ピアノの話のつづきから始めましょう。

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人間ぎらいだった私へ7)小さい頃ー姉の友達・ゲーム・音楽

 今日は、家族以外の人についても、ご紹介しましょう。ちょっと重たい話が続いたので、ここで少し明るい話もしておきたいと思います。  小さい頃は、よく、近所のおねえさんに遊んでもらいました。Aちゃんという、わたしの5歳上で、姉の1コ下の、明るくて元気な子でした。

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人間ぎらいだった私へ6)小さい頃ー母親・家族行事・泣かないこと

 母親との、いい思い出についても、書いておいた方がいいかもしれません。そうでないと、どうしてわたしが、前回書いたような、「荒れ狂う破壊神」のような母親と、仲が良かったのか、読者の方にはさっぱり分からないでしょうから。

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人間ぎらいだった私へ5)小さい頃ー母親・姉・暴力

 母親についてのお話を、続けていきましょう。  最も分かりやすく簡潔に、母の「欠点」を説明するとしたら、それは「ヒステリー」でしょう。なんでしょうね、「ヒステリー」って言葉は、人によってイメージする中身が結構ずれてしまう言葉のひとつなので、わたしにとってはあまりしっくりこない言葉なのですが…。  姉は、母のことをよく「ヒステリー」と言って表現していました。わたしは、説明するのに言葉を重ねに重ねて、断言するのを避けたいタイプなのですが、それと比べて、姉は、人のことを一言で言い

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