建礼門葵の≪格言集&名場面集≫その④
生まれて初めての投稿から、まもなく2カ月。
これまでの投稿作品を、振り返ってみようと思います。
五十音順に5回に分けて
この子たちと、皆様方との懐かしい再会を…。
この子たちは、なぜか ≪格言集≫ となって、生まれ変わりました。
≪名場面集≫ とか ≪ダイジェスト版≫ とか
そんなふうに、この子たちを、名付けてあげてもかまいません。
どうそ、お手柔らかにお願いします。
建礼門葵の≪格言集&名場面集≫その④
※その④の内容
2/21日投稿『心に寄り添う音楽を求めて』
2/01日投稿『戦争が奪ったクリスマス』
3/01日投稿『戦争による民間人の被害状況』
1/19日投稿『戦争のない世界へ向けての宣言』
1/21日投稿『尊敬する人』
2/13日投稿『夏の風物詩』
2/17日投稿『何十万回も思い描いた夢』
1/19日投稿『虹色の未来』
【心に寄り添う音楽を求めて】2/21日投稿
◇ “人生の良き道連れ” となる、これらの名曲を
暗いとか、重いとか、古いとか、一方的に聞く耳を持たず
偏った『モノサシ』でしか受け止められない方が、世間にはおられます。
ならば今一度、立ち止まって、『心の扉』を開いてみてください。
切々と、訴えかけてくるような <心の声…> が、聴こえてきませんか?
他人事ではない同じ生身の人間としての、共感と感動が
心の奥底まで伝わってきませんか?
◇つらい事、苦しい事、悲しい事が沢山あるからこそ
人はそこから這い上がり、努力し、成長し
本当の優しさと愛を、知ることが出来るのです。
人生の出会いと別れを切実に歌い上げている、これらの歌は例外なく
研ぎ澄まされた感性とともに、メロディの美しいものが多く
いつまでもずっと浸っていたいものばかり。
◇メロデイの美しさなら、1960年代、70年代の曲が
圧倒的に群 (ぐん) を抜いています。 それもそのはず、この奇跡的現象は
どのジャンルに限らず世界同時的な傾向でもあり、当該時代の
音楽によって空前の『黄金時代』を形成しているかのようです。
それはいったい、どういう事なのでしょうか?
満員電車や大劇場の客席にたとえるなら、座り心地の良い場所から
順当に埋まってきます。 作曲の時系列、ならびに音楽の一連の歴史を
物理的&確率論的に解釈しようとすると、それはつまり
必然の結果と言えるでしょう。 決して『ネタが尽きかけた?』と
結論づけているわけでは、ありませんが…。
◇最近の音楽は、前衛的なリズム感や歌唱法の変化、さらには多彩な
振り付けなどを駆使し、技術的洗練さを付加価値として音楽に求め
これまでには無かった境地を切り開いています。
それはそれで、とても素晴らしい…。時代背景も大きく異なり
音楽へのコンセプト自体が、異なってしまったのかも知れません。
個々で音楽に向き合う心の内面までも
変貌化したのかどうかは別として…。
◇音楽の三要素と言えば
旋律(メロデイ)・和声(ハーモニー)・律動(リズム)。
とりわけ音楽が音楽である以上、最も肝要なのは
メロデイラインの美しさと親しみやすさ。
現在の音楽的傾向を鑑みるにつけ、1960年代、70年代の音楽が、やはり
強いあこがれ以上に “雲の上の存在” のように思えて仕方ありません。
◇音楽は、すべての人々の共有財産。
いかなる時代の偏見も国境も、妨げとなってはならない。
それゆえに、日の目を見ないままの知られざる逸品が
数限りなく存在するのは非常に残念です。
かつて、14世紀のイタリアから西欧世界全体に広まった
文芸復興(ルネサンス)のように、21世紀の国際社会に先駆けて
我が国主導による『文芸復興/音楽版』の発動を期待したいところです。
【戦争が奪ったクリスマス】2/1日投稿
◇ロシア軍によって、ウクライナ国内の発電施設、高圧線、ダムなどの
重要インフラが大規模に破壊されました。
東西南北、至る所で停電が発生しています。暖房や水の供給にも
甚大な支障をきたしています。ようやく電力を復旧させても、またすぐに
再攻撃・再々攻撃され【停電】の連続です。復旧が追いつきません。
たび重なる爆撃・消火活動・高所作業・致命的低温など
命の危険にさらされながらの復旧作業は困難を極めます。
◇身も心も一瞬で凍て付くほどの寒さ。過酷な寒さと、爆音に震えながら
過ごす子供たちの苦しみを想像してみてくだい。
鳴りっぱなしの警報と暗闇の中で、止まらない涙をふいて
戦場で戦う家族の無事を祈り続ける小さな子供たち…。
楽しみだったはずのクリスマスも、恐ろしいミサイルやドローンの
飛び交う戦時下で過ごしました。避難先の地下室だったり
瓦礫だらけの広場だったり、壊されて危険な自宅の部屋だったり。
悲しすぎるこんな場所にも、子供たちは
サンタクロースが来てくださることを信じていたのです。
◇家族全員がロシア軍に殺害され、一人ぼっちになった子供は
その日から口を開けなくなりました。“戦争孤児”となった数多くの
子供たちに、なぐさめの言葉も見つかりません。
ユニセフ(国連児童基金)は、ウクライナの全ての子供に
心身の健康が脅かされるリスクがあると発表しました。
そのうちの150万人に、『うつ状態』や『PTSD』(心的外傷後ストレス障害)の症状が表れると推定しています。
◇攻撃されないロシア本国では、さぞや
例年と変わらないクリスマス (1月7日) を愉快に過ごすことでしょう。
心地よい暖炉のそばで、何も知らないロシアの方々は、聖夜にどんな祈りを捧げるのでしょうか? でもそれは4200万のウクライナ国民を“踏み台”にした偽りのクリスマスです。 神様はきっと、微笑んでいません。
◇世界中の皆さん。ウクライナで何が起きているのか知ってください。
ウクライナは今、戦禍と酷寒の凄惨な世界です。
ロシアが仕掛けた戦争で水と電力の供給が阻まれ、暖房設備さえ
ストップしたままの地域がたくさんあります。
子供たちは今がどんなに辛くても、神様の奇跡や
サンタクロースが来てくださることを固く信じていました。
ウクライナの子供たちに、世界中の助けがどれほど必要でしょうか?
できる限りの支援をしてあげてください。
傷ついた子供たちの心を、立ち直せる一番の方法は
ただちに戦争を終わらせることです。
もう二度と、恐ろしいミサイルが飛んで来ないこと。
もう二度と、町や村が燃え尽くされないこと。
もう二度と、目の前で拷問や虐殺が起きないこと。
もう二度と、家族が離れ離れにならないこと。
戦争が終われば、子供たちに笑顔が戻ってくる…
そうあってほしいと心の底から願うばかりです。
【戦争による民間人の被害状況】3/1日投稿
01,民間人への無差別殺人
02,身元不明の遺体
03,商業施設への計算されたテロ攻撃
04,リザちゃんと母親
05,瓦礫の下の妊婦
06,マカリウの忠犬ハチ公
07,増える一方の戦争孤児
08,子供たちの深い心の傷
09,医療への攻撃と深刻な医療崩壊
10,ロシア軍兵士の声
11,クラマトルスク駅
12,チャプリネの大規模攻撃
13, 飢えと寒さと恐怖…地獄のような避難生活
14, 戦死者数の隠蔽
15, 多難な9/1新学年開始
16, 決意の告発
17, リモートでの授業再開
18, イジュームの大量虐殺(半数以上が女性)
19, がれきの上のネコたち
20, ブチャだけでない相次ぐ大量虐殺
21, 強制徴兵(子供や妻を脅迫して…)
22, 計画停電下の歩行者事故急増
23, 市民生活を狙い撃ち遵守されない国際法(450万人電気なし)
24, 100匹の猫たち
25, 相次ぐ大規模ミサイル攻撃(97%が民間施設標的)
26, エネルギーテロ
27, 動物の略奪・虐待
28, 子供たちへの精神的負担
29, 子供用の拷問部屋
30, 女性たちの苦悶
31, 生物多様性の深刻な被害
(これらの詳細は、本文をお読みください)
【戦争のない世界へ向けての宣言】1/19日投稿
◇この世で最も醜いもの、それは戦争。
この世で最も憎むべきもの、それも戦争。
数知れない人々を殺し、数知れない人々を泣かせ
数知れない人々を不幸のどん底にたたき込む、許しがたい怪物。
この世に戦争さえ無ければ
誰も笑顔で、人間らしく暮らせただろうに。
◇民族と民族、宗教と宗教、国家と国家の怨恨と対立が
深刻すぎる惨禍を招いた。 混沌とした世界秩序の、成れの果てとも言える。 慈悲の心あらば、気付いてほしい。 命の尊さと比べ
いかに戦争が、時代錯誤の罪深い愚行であることかを。
◇核への依存を各国が断ち切れず、ひとたび核戦争が勃発したなら
引き返すことの出来ない、巨大地獄が待ち受けている。
人類の滅亡はおろか、地球環境の徹底的破壊すら
現実のものとなるだろう。 世界を震撼させた、広島と長崎の
被爆の実相を知ったとき、私達は、声も出せないほど驚いた。
渾身の怒りと涙を、こらえきれなかった。
◇いかなる哲学も、政治も、宗教も、科学技術も、芸術も
戦争に加担してはならない。
卑劣で残虐非道な悪魔に、魂を売り渡してはならない。
無辜(むこ)の人々を無差別に惨殺してまでも
守らなければならない価値観など、どうして必要だろうか?
同じ祖先の血を受け継ぐ、同じ人間ではないのか?
今こそ、人の道に立ち返ろう。
◇恒久平和への崇高な悲願達成に、不可欠の条件とは何か?
それは “人類愛” である。 人の道として、核兵器も戦争もテロも
すべて廃絶させなければならない。
高度に成熟した文明社会に生きる、21世紀の人類こそが——。
◇この世界から戦禍が絶えない限り、私達は日々の生活を
満面の笑顔で送れない。 身に余る贅沢も、全く気が進まない。
なぜなら人には、生まれ備わった感情がある。
人類の一員であることを胸に、私達は最後まで一生懸命に
信じていようとも。 世界の人々の、平和を希求する高潔な精神を。
人類の何にも負けない、不屈の正義と、無償の愛の強さを。
◇世界じゅうの純粋な魂がひとつになった時、未曽有の奇跡が
もたらされるに違いない。 悲しみの涙が
いつしか幸せの熱い涙に取って代わる。 何物にも代えがたい尊厳ある命が
ひとつ残らず報われるように…。
そうでなければ世の中は、あまりにも不公平に思えるから。
◇宇宙・万物を創造された私達の神様。 もしも本当に
神様が存在なさるのなら、あまねく世界の武器という武器を
どうか、人類から取り上げてください。 すべての戦争と
戦争を引き起こした悪魔を、一刻も早く葬り去ってください。
私達はどうしても叶えたい。 あきらめてはならない世界平和を。
数知れない人々と共に。 人々の祈りと愛が、決して無力では
なかったと、宣言できる その瞬間まで立ち会いたい。
◇21世紀の、新時代の人類は必ずや、成し遂げることが出来る。
痛ましい現実に何度も泣かされ、心が押しつぶされそうなときも
私達はどんなにか、待ち焦がれたことだろう。
どんなにか、願い続けたことだろう。
戦争のない世界…。 戦争による憎しみや悲しみのない世界…。
全人類が分けへだてなく、笑顔で暮らせる世界を。
【尊敬する人】1/21日投稿
◇僕には世界中の誰よりも尊敬している人がいます。
それは、おばあちゃん。おばあちゃんは18歳の時に結婚して
1女4男の子供をもうけました。ところが最愛のおじいちゃんが
病気のせいで、幼い子供たちを残したまま他界してしまったのです。
28歳の若さでした。
その時から、おばあちゃんの、壮絶な奮闘の日々が始まりました。
子供たちを女手ひとつで育てるために、死にものぐるいで
働かなければならなかったからです。
昼は洗濯屋と工場勤め。 早朝は新聞配達。 夜は漁師の網を編む内職で
一日のほとんどを費やしていました。なかでも新聞配達は
経験者でなければわからない、責任感と忍耐(=ど根性)のいる仕事です。
新聞配達だけでも、およそ50年。
足腰が弱り、びっこをひきながらでも最後の最後まで頑張りぬいた。
気の遠くなるような、長く険しい道のりだったに違いありません。
◇貧困のせいで女の子を一人、病気で亡くしました。 さらに男の子を一人
養子に出しました。それでも我が家の実質的な働き手として
家族全員を必死で支えてくれたのが、おばあちゃんです。
どんなに苦しくても、おばあちゃんは決して
子供の前では弱音を吐く事も、愚痴をこぼす事もありませんでした。
◇愛情のひとかけらも与えずに、ストレスのはけ口として
母親は、僕ひとりを虐待していたらしい。
泣きじゃくる僕を、命がけでかばってくれたのが、おばあちゃんでした。
おばあちゃんは仕事で使う大きな洗濯かごの中に、赤ん坊の僕を
ちょこんと座らせて、仕事をしながらでも僕の子守をしてくれました。
おばあちゃんは、いつでも僕のことを、気にかけてくれたのです。
◇令和の時代となって、僕もすっかり、年齢を重ねてしまいました。
たとえ十年後、二十年後、自分が何歳になったとしても
おばあちゃんは僕の人生の偉大なお手本です。
悩み苦しみ、ひどく挫けそうな時、もしもおばあちゃんだったら
どうやって解決するのだろう…と、今でも何度も問いかけ続けています。
死んだはずのおばあちゃんが
どこかで見守ってくれているような気がするからです。
◇世の中には口先だけで夢や綺麗事を語る人が、いらっしゃいます。
もしもご自身が、不幸のどん底に突き落とされたとき、それでもその夢は、不変のものなのでしょうか?
逆境の中でも自分というものを、見失しなわずにいられるのかどうか…。
逆境の中でこそ、自分らしさを貫いていけるのかどうか…。
つまり、その人の強さとか、弱さとか、優しさとか
人としての本当の姿が見えてくるのだと思います。
おばあちゃんの優しさと強さは、本物でした。
命の大恩人でもあるおばあちゃん。
そんなおばあちゃんを、世界中の誰よりも一番に、僕は尊敬しています。
【夏の風物詩】2/13日投稿
ひまわり畑、入道雲、風の音、海のにぎわい、そして蝉の大合唱からも
夏らしさを実感します。サマーソングを聴きながら、なおさら
思い浮かべるものは、ほとばしるばかりの真夏の笑顔…。
夏休みの序盤、僕は人から頂いた無料招待券で
豪華客船? (ホントは小さい) に乗って相生湾から小豆島周辺に至る播磨灘
もしくは瀬戸内海の一部を散策してきました。
海鳥たちと語らいながらの、それはまるで夢のようなひととき。
夏のたそがれ時の、どこまでも追いかけてくる夕陽と
海面に映る、あかね色のおびただしい光の帯…。
この世のものとは思えないほどの美しさでした。
この巨大な景観さえも、地図の上では、ほんの一点にすぎないなんて
ふるさと日本が、とてつもなく雄大な存在に感じられた次第。
◇夏と言えば、ふれあいの季節…。
夏祭りとお盆と、暑さ満喫の季節ですね。
僕は小さい頃から七夕や盆踊り等が大好きでした。ドンドンドン!と
大太鼓の音が響けば、それだけで子供心にそわそわと
友達と競って、近くの境内や広場に駆けつけたものです。
今でこそ気恥ずかしくて、踊りの輪の中に飛び込む勇気は到底ないけれど
老いも若きも、地域の人々が総出で踊っていた頃の昔が
大変なつかしく思えてなりません。
◇八月の上旬に、みちのく各県で行われる
“夏の東北四大祭り” にも随分と憧れを抱きました。
『七夕の飾りは揺れて思い出はかえらず。夜空かがやく星に…』とくれば、そう、青葉城恋唄の一節。およそ四百年の伝統と、全国一の規模を誇る
仙台七夕の美しい描写は、感激ものですね。
◇1万人の踊り手の団体ごとに異なる華やかな衣装も花笠も
郷土色の豊かさ抜群。最上川沿いの各地を歌詞に盛り込んだ
尾花沢発祥の花笠音頭は、今や日本を代表する民謡ともなっています。
みちのくの、これらのお祭りはいずれも一日限りではなく
数日間は満喫させていただけるので、愛すべき東北人の驚異的な底力と
郷土愛を、どうして絶賛せずにはおれないでしょうか。
◇夏は一年中で最もにぎやかな、そして、一年中で最も
人間味のある季節なのかも知れない。
朝にはラジオ体操に出かける子供達の威勢のよい声。
海の家や林間学校も、さぞや楽しかろうに。
昼間のうだるような暑さのなかで、家々から
高校野球の熱戦模様が聞こえてきます。夜は夜で、どこからともなく
花火やバイクの騒がしい音。いっそ夜の路上ライブなんてどうだ!
昼夜を問わず我が町にも、夏を生きる人々の生活の音が
ドラマチックに溢れ返っている。さらに忘れてならないのは
『終戦の日』と、広島・長崎の『原爆投下の日』。
先の大戦では全世界で五千万人もの尊い命が犠牲となった。
御霊のご冥福を、心よりお祈りするのは勿論
不戦の誓いと、『平和』の尊さについて
いっそう深く考えさせられるのが、この『夏』という季節。
◇スイカや、かき氷の、とびきり美味しいのが夏ならば
キャンプファイヤーや、海水浴もまた、夏をおいて他にはありえない。
海も空も野山の緑も、真夏の太陽の下で、なんと感動的で眩しい。
夜空を見上げれば、夏の大三角形や、天の川の星々が
すぐそばにあって話しかけてくれる。暑いとか、日焼けするとか
それだけの理由で夏を嫌ってはいませんか?
むしろ、この蒸し暑い夏こそが、日本の情緒を代表する素晴らしい
かけがえのない季節であるのだと断言します。
◇それから東京入谷の鬼子母神の朝顔市、京都鴨川の二条大橋から
五条大橋に至るまでの納涼床…。東京浅草観音のほおずき市も
京都若宮八幡の陶器市も、何もかもが『日本的』で、素晴らしい。
◇国生み神話の島『淡路島』を、友人たちと自転車で半周したのは
高校2年の夏休み。皆と交替でテントを背負い、ほとばしる汗と
込み上げる若さと夢を、全身に感じながら、真夏の太陽にむかって
ひたすらにペダルを踏んだのが、つい昨日のことのように——。
仲間を誘って奈良県の山奥へ、キャンプに出掛けたのは
高校生最後の夏。 あの頃は、見るものすべてが新鮮に感じられた。
いっそのこと、『時間よ、永遠に止まってしまえ』と…。
月日が流れ、思い出が遠いものとなっても
それでも夏は、また巡ってくる。
大自然と一体になれる夏。人間と人間がひとつになれる夏。
夏はすべての面で、僕らを生き生きと解放させてくれる。
そうとも夏は、僕らの青春のように、キラキラと光り輝いている。
すばらしい夏を、どうか満面の笑顔で感じ取ってください。
【何十万回も思い描いた夢】2/17日投稿
◇その時、全世界がどよめいた。
全世界がひとつとなった。
醜い戦争を、人々の祈りと愛で
この世から追放できた時
全世界が歓喜の渦に包まれた。
『私たちは、敵も味方もない』
『もう二度と、戦う必要がない』
人々はすべての武器を放り捨て
手と手を握り合い、又はいだき合い
誰もが待ち焦がれた世界平和の感触を
確かめ合うのだった。
街々には、大群衆があふれている。
歴史的瞬間に立ち会おうと、ありとあらゆる人々が
それぞれの場所へと駆け付けた。
空前の大劇場のごとく、歓喜の歌声と拍手喝采が
嗚呼、母なる地球の至る所から聴こえてくる。
戦禍の絶えなかった土地からも
抑圧と貧困に虐げられた土地からも…。
どの民族、どの人種、どの宗派、どの国民
老若男女みな分け隔てなく、楽しそうに踊るように。
しかも大群衆のほとんどが、揉みくちゃの笑顔だった。
熱い熱い、嬉し涙にまみれている…。
『うれしい…』『なんとしたことだ!』
『泣かずにおれようか!』
『まるで、奇跡のようだ!』
はかり知れない歴史の怒涛を乗り越え
人類はようやく掴み取ったのだ。
悲願の世界平和を。
戦争の無い世界。それこそは
誰もがめざした世界。
誰もが追い求めた世界——。
今日までずっと、ずっと
一生懸命に生きて、待ち続けてきた…。
【虹色の未来】1/19日投稿
◇若かった頃、僕らは青春の意味について、何度も語り合ったね。
青春ってやつは、素晴らしい友達だった。
僕らは青春号に乗って、でっかい世の中に向かって
がむしゃらに突っ走っていたんだ。
君は音楽に、そして僕は…。
たとえ結果がどうであれ、後悔はしないって。
幸せを願う思いは、誰も同じこと。 その上で、自分を忘れて
何かに一生懸命打ち込んでいける—。
それが青春の、まぶしいまでの特権じゃなかっただろうか。
◇家の事情で、音楽をやめると言ったとたん、君は泣いた。
ひとつの時代が終わったのかも知れない。 僕らのちっぽけな力では
世の中をどうすることも出来なかったけれど
大きすぎた夢を、決して捨てたわけじゃない。
僕らのメッセージは、未来へ確実に受け継がれていく。
君の流した熱い涙を、僕は今でも忘れない。
◇あの頃と同じように、相生湾の夕陽はとてもきれいだ。
高台から故郷の町を見下ろせば
君のギターや、君の歌声が、聴こえてくるような気がする。
おわん島も遠見山も竜山公園も、ほら、きれいな虹色に輝いて…。
君と過ごした青春は、かけがえのない勲章だった。
水平線に沈む夕陽も、もうすぐ朝日となって生まれ変わるだろう。
僕らはいつの瞬間にも、未来というものを信じていたね。
やがて幸せな時代が、やって来るんだと。
葵の幼い頃からの夢は、貧困や差別のない世の中の実現。どんな時でも葵は社会的弱者と呼ばれるすべての方々を擁護し、不屈の代弁者であり続けたい…。地域社会や世界の平和のために少しでも貢献できれば本望です。葵と共に未来を切り開いていきましょう。