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【自己受容】私が私の神になる、という話。

先日、自己受容が分かった!とはしゃいだ記事を書いた。

概念としては分かるっちゃ分かるけれど、体感としては分からなかった、この「自己受容」。出来たと思えたことで、どう思考が変わったかはこの記事に書いた感じだが、「ではどうやって出来たのか、今それが出来ない人はどうすれば出来るようになるのか」。
ここをもし特定し、万人に刺さる一言でズバっと伝えられれば、多分私は大量の人を救える。上手く行けばなんか凄い人になれるかもしれないし、ウハウハの印税生活とか、東京の夜景の綺麗なマンションの最上階でノルウェージャンフォレストキャットにまみれて暮らすのも夢じゃない、かもしれない。

とはいえ、そんなことがサクッとできるぐらいなら誰かがとっくにやっているはずである。というかそもそも、自己受容にはきっと段階がある。

・完全に自己否定の沼に陥っていて、100%死にたい段階
・少し自分を受容出来て、苦しいけど何とか生きてる段階
・かなり受容出来ていて、生きづらさはあるがまぁまぁ大丈夫だ、しょうがないよね、と思える段階

この全部の段階の人を、一度にまとめて「自己受容、出来た!」まで持っていく魔法は、多分ない。
つい先日までの私がそうだったように、生きづらさを抱えている状態の人は、多分これらの段階を行ったり来たりしていると思う。徐々に自己受容が進んで気が楽になったり、ある日何かが起こってまた死にたくなったりしながら、騙し騙し生きている感じである。
そして、安定して「かなり出来ている」段階にいられるようになったタイミングで、何かの拍子で良い感じのブレイクスルーがあると、「出来た!」になって、一気に「生きづらさのない人」の側に行ける……という事かな、と思う訳である。

何分、分かったのがついこの間の事なので、自己受容に関して私はピヨピヨのひよっこで、ライブ感あふれるレポートをお届けすることしか出来ない。
だが、つい先日のこの「自己受容が分かった直後に、私の頭の中に出来た概念」をお伝えすることは出来る。
それがタイトルに書いた、「私が私の神になる」だ。

ちょっと何を言っているか分からないと思うので、説明する。

私は日頃、特に信じている宗教はないというか、漠然と多宗教というか、そんな感じである。日本人にありがちな「ありがたそうなものは、とりあえず全部拝んどけ。普段は忘れてるけど」レベルの信仰心しか持っていない。
家には仏壇があって、クリスマスにはその真横にクリスマスツリーを置き、年が明ければ初詣に行っておみくじを引く、多分普通の範囲である。

そんな私だが、自己受容が分かった直後「そうか、神になれば良いのか!」と思った。

この「神」は、多分キリスト教の「神は全てをお許しになられます」あたりのフレーズだけを拝借して、残りは勝手に想像を都合よく膨らませた、ファンタジックな妄想の神である。
何となく創造主っぽい、偉い神様。めちゃくちゃに寛容で、生きとし生けるものすべてに無条件に愛を与えてくれて、「その代わりにこれをしろ」「これは禁止」なんて細かいことを一切言わない、とにかく慈悲深く私を見守っているだけの、私専用の神様だ。

この「私の脳内の神様」に私は着任した。
そして不完全な人間である私を見下ろして、ただひたすらに言うことにしたのだ。
「お前の全てを許そう」と。「そのまま、あるが良い」と。

何しろ神の目線なので、神様である私は、滅多な事では人間の私を責めたりしない。
人としての長所短所など単なるチャームポイントぐらいにしか思わないし、過去の行いや、他人に迷惑をかけているかどうかだって気にしない。なんせ神様なので、人間の世界の善悪とか社会通念なんか、知ったこっちゃないのだ。
どんな悪人も善人も、無条件に全部許す。そういう神様になって、私の存在を許し、私の特徴を許し、私の行動も思考も、全部許す。何なら愛する。
「よいよい、愛い奴じゃのう」と天から私を見下ろして、私がテロリストになろうがノーベル平和賞を取ろうが全く関係なく、私を眺めて愛で続ける。

その神様の箱庭の中で生きる信者(候補)は私しかいないので、神様から見ると、私は超貴重な存在だ。水槽にメダカが一匹しかいないようなものである。
その神にとっては私が生きていることが一番重要で、生きてさえいればどんな生き方をしていようと、どんなに幸せでも絶望していても、そこはどうでも良いというか、正直よく分かっていない。私がメダカの生死は分かっても、そのメダカの善悪や美醜、有能・無能は判別できず、そのメダカが絶望していたとしても気付けない、というのと同じ感じだ。

――という、こんな概念である。

この「私の脳内の神様」は、常に、絶対に、無条件に、超大ざっぱに私を許し続けるファンタジックな存在である。だが、この神様を私の脳内の最上位に住まわせることで、とてつもなく安心感が得られる。多分、宗教が人を救うのは、そういうことなのだろうとも思う。

実在の宗教でない所には一長一短がある。
短所は強力な妄想力を必要とすること、メンタルが不安定な状態の時にこの神を維持できるかが疑問なこと、この神の概念を一緒に補強する仲間が作れないこと。
長所はデメリットが一切存在しないこと、一人で完結できることだ。

どうあれ、「デメリットが一切ない」「一人で完結できる」というのは非常に強力な長所なので、この記事を読んで下さった方で、自己受容についてピンと来ていない方は、ちょっと試してみて欲しい。
いきなり「自己受容分かった!」とはならないかもしれないけれど、ちょっと安心できるおまじない、という程度にはきっと効果があると思うし、ちょくちょくこの「脳内神様」になって自分を許す動作をしておくことで、きっと自己受容を進める手助けになる……と思うのだ。

一つだけ注意点がある。くれぐれもこの神様を、戒律が厳しかったりするような、真面目な神様にしないで欲しい。妄想力を限界まで振り絞って、とにかく寛容でいい加減な、○○をしないと地獄に落ちるなんて怖いことを絶対に言わない、ふわっとした神様にすべきである。怖い系の神様だと、多分逆にヤバい。
ゆるい分には、いくらでもゆるくて良いと思う。自分が神様になるのがイマイチな場合は、巨乳美女神とかイケメン神とかにしても良いはずだ。ちなみに私の妄想神の見た目は、よくある白ひげモジャモジャ系おじいちゃんで、中身だけ私である。

自己受容、自己肯定感、自分を許す、自分を愛する。
その辺のキーワードにご興味がある方で、妄想力に自信のある方は、是非一度お試し下さい。おススメです!

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