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息子に紡ぐ物語

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1男1女の子供を持つ平凡なサラリーマンと、父で作家の「長谷部さかな」は、不思議なキッカケから毎日メールをやりとりすることに。岡山県の山奥にある見渡す限りの土地や山々はどのように手…
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2022年6月の記事一覧

■【より道‐82】戦乱の世に至るまでの日本史_室町幕府の四職_京極氏

■【より道‐82】戦乱の世に至るまでの日本史_室町幕府の四職_京極氏

■承久の乱
京極の氏は、平安時代末期から鎌倉時代に活躍した、佐々木秀義(ひでよし)の孫、佐々木信綱(のぶつな)から始まります。

1221年(承久三年)後鳥羽上皇が、鎌倉幕府の執権・北条氏に対して討伐の兵をあげ「承久の乱」が起こりますが、佐々木一族は、兄弟で敵味方わかれて戦ったそうです。

といっても、長兄の佐々木広綱(ひろつな)はじめほとんどの兄弟は、後鳥羽上皇に味方をして敗戦したのですが、四男

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【246日目】隠居という選択肢

【246日目】隠居という選択肢

ご隠居からのメール:【 隠居という選択肢】

そういえば、天皇賞で万馬券をあてたことがあったね。高校の友人のおじさんが、行方不明になったそうだが、そんなおじさんは世の中にうようよいる。オレだって、行方不明になりそうな危機はあったので、気持はよくわかるが、行方不明だと、年金、健康保険、介護保険、マイナンバーカードなどの更新や申請の手続が面倒になり、高齢者は生存が難しくなる。

十年前といえば、おれが

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【245日目】登場人物

【245日目】登場人物

ご隠居からのメール:【登場人物】

尼子一族は登場人物が多すぎる。しかも、「久」という通字が入っているのでまぎらわしい。たとえば、尼子経久には政久、国久(新宮党の祖)、興久という三人の息子がいたが、政久は早々に戦死、興久は自刃したため、政久の息子晴久が後継者とった。晴久の死後は、息子義久が継いだが、秀久、倫久という弟がいた。

諸田玲子の小説によれば、尼子姫は興久が日御碕神社の巫女に生ませた娘で、

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【244日目】ヤタガラス

【244日目】ヤタガラス

ご隠居からのメール:【ヤタガラス】

ヤタガラスはテレビドラマの「半沢直樹」シリーズでも、かたちを変えて登場しているね。ヤタガラスのような神話は、日本人の心の深層にうごめいている。『尼子姫十勇士』もそんな物語だ。

姫といっても、かなりの年齢のおばさんだ。尼子経久の息子で塩冶氏の婿になった尼子興久が、日御碕神社の巫女に生ませた娘で、興久自刃後は新宮党の伯父、尼子国久の養女となって、月山富田城下で成

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■【より道‐81】戦乱の世に至るまでの日本史_室町幕府の四職_山名氏

■【より道‐81】戦乱の世に至るまでの日本史_室町幕府の四職_山名氏

我が家の「家系図」をみると、桓武天皇から坂東武者の三浦一族につながり、平安時代に三浦義昌の妹だか、娘が、山名伊豆守の正室になったことが、記されています。

山名氏とDNA関係がつながっているわけではなさそうですが、ご先祖様は、親族関係だったのでしょうか。

源氏の新田一族の支流であった、山名氏。もともと、現在の群馬の領地を得ていた一族が、中世室町時代から、名を馳せ、遠く西国の地で勢力を広げていくわ

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【243日目】尼子十旗

【243日目】尼子十旗

ご隠居からのメール:【尼子十旗】

>>高瀬城が攻め落とされる年代を考えると、確かに不思議だね。1566年
>>(永禄九年)「月山富田城の戦」で尼子氏が滅亡するとき、米原氏は毛
>>利側についていた、もしくは、中立を保っていたのかね。尼子再興軍が
>>結成されて呼応したのだろうか。このあたりは、国立図書館で「松江
>>史」を読んだらわかるかな。

ーー1566年(永禄九年)、「月山富田城の戦」の頃

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【242日目】高瀬城

【242日目】高瀬城

ご隠居からのメール:【高瀬城】

小説『尼子姫十勇士』によれば、白鹿城と高瀬城とでは落城の時期が八年も違う。しかも、その間に、1566年(永禄九年)の月山富田城の落城、がある。尼子氏が滅亡したといわれるのはこの年だ。高瀬城は月山富田城の支城といわれていたが、実は尼子再興軍にとっては最後の砦だったのではないか。

しかし、その後、播州上月城で尼子再興軍が敗れて、お家再興の望みが絶たれると、一部の落人

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【241日目】日御碕神社

【241日目】日御碕神社

ご隠居からのメール:【日御碕神社】

日御碕神社は杵築大社(=出雲大社)の「祖神(おやがみ)」で、日の本の昼を守る伊勢神宮と並んで日の本の夜を守る「日没の宮」とされていた。小学六年生の遠足では行く先が出雲。日御碕神社にはお参りしていないが、当時は東洋で一番高い灯台といわれていた日御碕灯台にのぼって日本海を遠く水平線まで眺めたことがある。帰りのバスの車窓からは太陽が海に沈む美しい日没の風景に感動した

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■【より道‐80】戦乱の世に至るまでの日本史_室町幕府の四職_一色氏

■【より道‐80】戦乱の世に至るまでの日本史_室町幕府の四職_一色氏

■四職の筆頭
足利幕府を支えたのは三管領と四職。そのうち四職の筆頭と目されたのは一色氏ーーといっても、「へー、そうなんだ」という反応しかかえってこないのがふつうでしょう。一色氏は他の四職家である山名氏、京極氏、赤松氏と比べても、華々しい実績にとぼしく、どちらかというと地味な存在です。

吉川英治の小説『私本太平記』によれば、若い頃の足利又太郎(後の尊氏)が京に遊んだときの随行者で、その後も主君への

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【240日目】ノモンハン戦争に至るまで

【240日目】ノモンハン戦争に至るまで

ご隠居からのメール:【ノモンハン戦争に至るまで】

noteに掲載されている「ノモンハン戦争に至るまで」の草稿を読んだ。要領よくまとめていると思う。しいていえば、「青島や南太平洋諸島におけるドイツの権益を武力で奪い取り、さらに・・・」というような文案の追加挿入の可能性を検討してほしい。

「対華二十一カ条」の要求と日英同盟の廃棄、そして国際連盟の脱退は、結果的に見て日本外交史上の大失敗だと思う。

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【239日目】尼子姫十勇士

【239日目】尼子姫十勇士

ご隠居からのメール:【尼子姫十勇士】

諸田玲子『尼子姫十勇士』を読みはじめた。『八犬伝』や『八つ墓村』の系譜につながる伝記小説の類だ。

登場人物は、スセリ姫、尼子勝久、山中鹿介など。スセリ姫は、尼子再興軍の女統領で、塩冶興久が日御碕神社の巫女に生ませた娘ということになっている。

興久自刃後は新宮党の伯父、尼子国久の養女となって月山富田城下で成長、国久の嫡子・誠久の妻となり勝久を産むも新宮党は

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【238日目】 八犬伝

【238日目】 八犬伝

ご隠居からのメール:【八犬伝】

『八つ墓村』は昭和二十年代に評判になった伝記推理小説だが、それに対して江戸時代に人気を呼んだ読本は、滝沢馬琴の『八犬伝』だ。両書とも八という数字に特別な意味を持たせている。

明治時代のはじめ、坪内逍遥は、 「『八犬伝』の中の八士の如きは、仁義八行の化物にて、決して人間とはいひ難かり」と、批判した。(『小説神髄』)。

八犬士は、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌とい

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■【より道‐79】戦乱の世に至るまでの日本史_室町幕府の四職_赤松氏

■【より道‐79】戦乱の世に至るまでの日本史_室町幕府の四職_赤松氏

■悪党
「悪党」は一般に人道にはずれた行為をする悪人を意味する語ですが、中世の日本においては、支配層や体制に反抗し、騒乱を起こした者や集団のことを意味していました。

たとえば、鎌倉幕府倒幕時に後醍醐天皇方についた楠木正成(河内国)や名和長年(伯耆国)らは悪党と呼ばれていました。播磨国の守護赤松則村(円心)もそんな悪党のひとりです。

ただし、日本が天皇制国家主義の国だった昭和初期には楠木正成と名

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【237日目】ゲスのかんぐり

【237日目】ゲスのかんぐり

ご隠居からのメール:【ゲスのかんぐり】

「現象は心の影」というのは徹さんの仮説だが、世の中には逆の見方をする唯物論哲学者がうようよいる。たとえば、マルクス。

そこで、徹さんは自らの仮説の正しさを証明し、英語で論文に書いたのだと思うが、世界の大勢は唯物論哲学優勢で、特にコンピュータの活用が、その傾向を加速させた。今の世の中、コンピュータを活用したゲノム分析や言語分析の推進によって、こころよりも、

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