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書くことは本当に好きじゃなければこんなにずっと書き続けられないだろうなと思う人

ちょっと手を伸ばしたんです。ふっと。さっと。あーって。右の肩の先にある、手を伸ばせば右の腕の先にある本棚の本。それを取ろうとしたら、無くって。その本がない。
本棚はあるのにその本だけないんです。
おかしいなと思って、いつもと違うところにしまっちゃったかなと思って、ちょっと怖くなって、ふいになんだか恐ろしい目にあっている気になって、立ちあがって、その本を探す。
私は本をちゃんと読んだ日順に並べ替えるから(左上が最新、右下が一番過去に読んだ本、になるように)、だから、たびたびよく読むあの本その本は、常に左上近辺にあるはずで、あのソファから座って右後ろ、右肩の背後、伸ばした右腕の先に左右差ズレ30cm定規圏内で見つかるはずなのに。なのに、その本が、例の本がない。
その時、妻が紅茶をもって部屋に入ってきて、私のあわてふためいた顔を見て、どうしたの、と聞いた。本がないんだ。夏目漱石の「夢十夜」がないんだ。妻は、それなら私の部屋にあると答えた。妻は寝しなに本を読みたくなってたまたま、眠りに近そうなキーワードのある本を私の本棚から無断で拝借したのだたしい。
これだから寝室を分けたのには反対だったのだ。こうやって無碍な事故が起きる。私の、数秒だが、数秒の不安がこびりついて脳天が曇りしばらく晴れないだろう。それに、夢とも夜とも題名には書いてはあるが、「夢十夜」はむしろ眠れなくなった人のための本だろうが。
げに不可解。
ということで無名人インタビューゴッ!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(無名人インタビュー主催)】

今回ご参加いただいたのは 翼祈(たすき) さんです!

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現在:〔社会福祉〕は基本的に誰も傷付けないっていうか、なんか柔らかい気持ちが持てると思うので、私も書いてて楽しいです、すごく。ものすごく書いててズンと来る感じじゃなく、本当に社会にとって良いことをしてる記事なので、書くこと自体は楽しいですね

qbc:最初の質問ですけど、今何をやっておられる人でしょうか?

翼祈(たすき):WEBライターです。

qbc:WEBライターはどういう形態で働いておられる?

翼祈(たすき):私が勤めているところは、「就労継続支援A型事業所」というところでして、そこは障害者、障害とか病気とか難病を持たれてる方しか行けない福祉事業所で、そこで、その弊社が掲げているテーマが、《障害・病気・難病》、それの《治療法、治療薬、研究》、そこからの《生きづらさ・働きづらさ》と、《社会福祉》もしくは《障害者福祉》と、《教育》が主な三本柱ですが、基本的に何でも書けまして、締め切りとかもなく、その人の体調に合わせて書けるので。
大体他のところって、結構自分の体験談を書くサイトが多いんですけど、弊社では、もちろんこういうのを書いて下さいっていうのはあるんですけど、書ける範囲というかジャンルは幅広いんじゃないのかなと思ってて。入社した時から、「色んなテーマが書けるWEBライターになりたい」と思ってたので、それで色んなテーマを書いて。書く時に自分は知らないテーマを、全く知らない知識もない様な話を書くことも多いのでその時には事前に調べて、そこで日々、毎日書いています。

qbc:なるほど。それが『TANOSHIKA』という施設ですかね?

翼祈(たすき):はい。福岡県久留米市にあります。

qbc:こちらの方で、仕事をしている感じなんですね。

翼祈(たすき):そうですね、はい。

qbc:なるほど。初めて聞きました。事業所でライティングをされるんですね。

翼祈(たすき):弊社は、「生きづらさ働きづらさのない世の中を創る。」をビジョンに掲げております。弊社は、大きく3部門あって、会社自体は4つあるんですよ。1つがTANOSHIKA FARMっていう、「ONEGO」っていう、ローマ字で「ONEGO」というブランド名であまおう、いちごを生産している、農業をやってる会社があって。他には、TANOSHIKA PLUSという清掃だったり、あと、「YOW(よう)」というアクセサリーを販売している会社があったり。
あとは【TANOSHIKA CREATIVE】っていうパソコンの仕事をしている会社がありまして。そこで、諏訪野町は、WEBデザインとWEBライターがいて、東町がWEBデザインとコーディングをやられてる方がいらっしゃるんですけど、私はそのうちのWEBライターの人がいる諏訪野町の方に在籍してます。

qbc:なるほど。じゃあサイト作成などもされてるということですか?

翼祈(たすき):サイト作成ではなく、私はまだその頃入社してないんですが、2017年に
弊社が立ち上げた『AKARI』っていう自社のサイトがありまして。そこで記事を書く仕事が主です。

qbc:なるほど。自社で運営してるブログサイトの記事を書くと?

翼祈(たすき):うん、そうですね。専門性の高い記事を皆さん、書かれているっていう感じですね。

qbc:どれぐらいやられてるんですか?

翼祈(たすき):私は、2021年の10月に入社しまして。それで、入社して2年ともうすぐ3ヵ月という感じなんですけど。記事自体は、noteも入れると700近くは書いています。色んなテーマを書いています。

qbc:どんな気持ちですか?

翼祈(たすき):何がですか?

qbc:書いてる時の気持ちです。

翼祈(たすき):書いてる時に、いつも読者の人のことを考えて書くんですよ。その読者の人が、読んでどう感じるかなと思って。それを書く毎に、どういう人をターゲットにして書くかっていうのを考えて書いています。それが1人の人とか1つの県だけじゃなく、全国的に該当する様な内容を書かなければいけないので、そこが難しかったりはするんですけど。この『AKARI』というサイトの向こうに、画面の向こうにいらっしゃる読者の方がどんな風な気持ちで読んでいらっしゃるかなとかっていうのを、反応なりコメントなりを見て、嬉しく感じたり。仕事をすることですごく元気にもなるので、仕事をやってる時のモチベーションはすごく高いのかなと思います。

qbc:どんな記事が多いですかね?

翼祈(たすき):私が以前上司の方から言われたのは、〔社会福祉〕が1番多いんじゃないかなと言われました。〔障害者福祉〕でもあります。実際に私のライター名で、翼祈(たすき)っていう名前で、そのGoogleとかで検索すると、やっぱり〔社会福祉〕っていうカテゴリーの中に翼祈(たすき)って名前で、出てくることが多いので。〔社会福祉〕が多い。結構、他のライターさんと比べての数が多いというか。他にも色々書いてますけど、〔社会福祉〕がやっぱり多いというか。〔社会福祉〕は基本的に誰も傷付けないっていうか、なんか柔らかい気持ちが持てると思うので、私も書いてて楽しいです、すごく。ものすごく書いててズンと来る感じじゃなく、本当に社会にとって良いことをしてる記事なので、書くこと自体は楽しいですね、すごく。

qbc:なるほど。こういうことやってる、そのライティングとかをやってる施設って多いんですか?

翼祈(たすき):どうでしょうかね?久留米はパソコンを扱うA型事業所が多いと聞きますね。結構色んなところがやってますね。弊社がライティング部門でやっているのが、その私が今回応募するきっかけになったnoteだったり、その広報誌「TANOSHIKA TIMES」をWEBライターさんが質問考えてインタビューもして、表紙とか中身を弊社のWEBデザイナーさんが作ってるっていう広報誌を出したり。それとかYouTubeアカウントで「TANOSHIKA ch.」ってのがあるんですけど、そこでWEBライターさんの書かれた記事を、動画を作れる方がラジオ動画にして、それがラジオ動画なので通勤中、通学中も楽しめますし、文字も出てくるので視覚的にも楽しめますし、中にはもう在籍してない方の記事もラジオ動画になることもあるので、昔の記事も知ることができます。
それに、SNSとかもやってまして、旧TwitterのXとかインスタ、Facebookもやってまして。私はTwitterとインスタを担当してて。それで、最近になって1ヵ月ぐらい前にそのストーリーやリール動画の投稿の仕方を覚えたので、最近は音楽をつけて投稿するのが楽しいなって思ってます。
で、あと私は、これには携わってないんですけど。「TANOSHIKA TOBIRAプロジェクト」という、AmazonのKindleで、電子書籍の絵本を販売してるんですよ、99円とかで。それが、WEBライターさんが体験された体験談だったり、詩とか短歌とかを絵本にされてて。それが、去年2023年の12月28日時点で8冊出てます。
あとは月に何回かライターさんの会議があって、それで私が今度ライター会議で発表しなきゃいけないので、その資料作りをしなきゃいけないなと思ってますし。それとか弊社は見学者の方がすごく多いので、その見学者の人の対応をさせて頂くことも多くて。例えば午前とか午後にそれぞれ見学者の方が来られたり。それとか利用者側で来る人もいたり、上司というか私達の会社、福祉業界では、その上司のことを支援員って言うんですけど、支援員になりたい人が見学に来てて、その人向けの説明をしたりとか。この間は企業さんが来られてたので、その企業さん向けにちょっとギュッと絞ったWEBライターの説明をしたりとか。大変だったのが、その30分刻みで2人来られた時にはすごく焦ったんですけど、そういう風に見学者の対応もさせて頂いています、説明を。

qbc:どんなご病気というか、なんでその就労支援型に行かれているんでしょうか?

翼祈(たすき):元々、私は3ヵ所目なんですよ、A型事業所っていうところは。それで、まぁ過去のことを言うとあれなんですけど、中学時代にいじめを受けまして、それで高校どこ行こうかなって思った時に、私は行きたかったところが受からなくて。それで地元じゃない高校に行って、それで大学で行きたいところがあったんですけど、そこが受験失敗して、それで県外の大学に行くことになりまして。そこで寮で寮生活をしてたんですけど、嫌がらせを受けまして。それで半年で寮を退寮して、その後引きこもりになって、そのまま大学1年で中退して。そこから引きこもり、10年近く引きこもりだったんですけど。
その後に、家族ですごい怪我をした家族がいて、その家族を見てて「私、働かなきゃいけないな」と思って。それで、最初1ヵ所目のA型事業所に行き始めて、そこから2ヵ所目に行って。2ヵ所目は好きなことをやれて、最初は楽しかったんですけど、なんかだんだんキツくなったりとかして。それで、なんかこのままずっとここにいたら駄目だなって思った時に、どなたか忘れたんですけど、TANOSHIKAから営業に来られてた方がいて、こういう会社やってますって言われて、パソコンで文章を書いてるって聞いて、私ここで行きたいなと思って。それで1年ぐらい準備をして、TANOSHIKAに入社したっていう感じで。
元々、文章を書くことが好きで、文章自体は今年で18年目になるぐらい、ずっと書いてて10代の時から。だから今までは、なかなかできることとしたいことが仕事として結び付かなかったんですけど、TANOSHIKAにおいては、自分ができて好きなことが仕事にできたっていうのもあって、そのひたすら書くことが楽しいっていう感じですね。

qbc:引きこもりの期間はどれぐらいですか?

翼祈(たすき):引きこもりの期間は、約10年ぐらいです。いや、もうだから20代、19歳から20代ぐらいまではほぼ引きこもってましたね。

qbc:今どんな感じですか?TANOSHIKAで働きはじめて3、4年経ってるっていうことですよね?

翼祈(たすき):いや、2年と3ヵ月です、もうすぐ。

qbc:今どんな気持ちですか?

翼祈(たすき):いやなんか、今までは、何か本当に全然駄目な人間で、自分なんていても居なくてもみたいな感じだったんですけど、今は記事を書いてSNSとかで反応頂けたりとか、コメント頂けたり、読んで頂けたりとかして、それでなんか初めて人の役に立ってるというか。その何か記事を通して、なんか救われることもあるんじゃないのかなと思うと、なんかすごく初めて世の中の役に立ってるっていう気持ちがすごく強くて。
それで私が、難病の遠位型ミオパチーっていう記事を書いたんですよね、去年。その時に、なかなかそういう記事って当事者の方に届かなかったりするんですけど、私が旧TwitterのXでその記事を投稿した時に、その当事者の方がその記事に引用で反応されてて、それが治療法の記事だったんですけど、「希望の光が見えた、嬉しい!」
って書かれてて。それで何か届いたことですごく嬉しかったですし、やっぱりその治療法、治療薬、研究というのは、その当事者の方であったら広く関わってくることなので、なんかそういうことはやっぱり、特にその記事のジャンルでいったら“ニュース”っていうジャンルなんですけど、それは発信し続けなければいけないなと思ってて。色々書きたいテーマもあるんですけど、何かそういう記事を発信することも大事だなと思ってますし。とにかく、ようやく人の役に立ててるっていうのが、記事を書いててすごく嬉しいなと思ってます。

qbc:すごいですね。なるほど。なんかすぐ慣れました?働くっていうことに関して。

翼祈(たすき):いや、実はですね。私、入社して4日後に骨折して、3週間仕事休んだんですよ。欠勤扱いになりました。

qbc:どうして休んだんですか?

翼祈(たすき):右足の小指の骨を、3ミリ × 3.5ミリ折りまして、それで3週間休んだんです、ちょっと落ちて。そこで、私すごくなんか「こんなに長く休んで、どうしよう…」とか思ったんですけど、そこで色々吹っ切れたというか、そういうこともありましたし。
今頑張れてるのは、ある意味反面教師っていうのがあるので。私が2ヵ所目のA型事業所を辞めて、今のTANOSHIKAに入る時に、ハローワークに、「この人は前の職場を辞めたのに何ですぐ働くのか」っていうのをハローワークに提出しなきゃいけない時に、その当時の精神科の主治医の先生に、「この人は文章を書くことが得意だから、TANOSHIKAで働かせて欲しい」っていうのを書いて頂いて出して。それがハローワークで認められて、その後にTANOSHIKAに見学しに行って、体験、ライターとデザインの体験をして、そこから面接して入社したんですけど、その時に記事を書いてて、その前に通院した時に、「先生、翼祈(たすき)さんの記事読むからね」って言われてて。それを、
2年前の12月の中旬ぐらい、通院に行ったんですよね、病院に。それで「先生、読んで頂けましたか?」って聞いた時に、「長いよ、読む人のことを考えたら?」ってことを言われて。それがすごいショックで。その時はもう、その2年前の12月は、その通院した時から大晦日、だから、半月ぐらい泣き崩れて寝込みました。でもなんかそれがあったから、何かもっと仕事頑張ろうって思えたってこともありますね。

qbc:お医者さんに言われたの?

翼祈(たすき):そうなんです。主治医の先生に言われたんです。ただその前に、10年間お世話になった先生がいたんですよ。その先生が退職されて、新しい主治医の先生が2人目の先生だったんですけど、その先生がそういう風に言ったんです。文章が長すぎると。

qbc:新しい先生からですか?

翼祈(たすき):その当時そんなに文章を書いてなかったんですよ、長く。今だったら長い記事だと25分読むのにかかったりするものもあるんですけど。

qbc:文字数って分かります?

翼祈(たすき):文字数は多分、7000以上超えてると思うんですけど。それぐらい長い記事はその当時まだ入って間もなかったんで、そんなに書いてなかったと思うんですけど、それでも長いと言われ、そういう風に何かTANOSHIKAに入ることを背中を押して下さった先生にそういう風に言われたので、すごくショック大きかったっていう。

qbc:どうやって復活したんですか?

翼祈(たすき):いや、あのー、固有名詞を出したらいけないってことなんでぼかしますけど、年末の大晦日の歌番組あるじゃないですか。あれを見てて、たまたま見てたときに、すごくあるアーティストさんの曲がすごく好きになって。その曲を聞いた時に、なんか嬉しい方とか幸せの涙が止まらなくなって。それからそのアーティストさんをすごく好きになって。それで正月休みが1月の3日まであるんですけど、それまでずっとそのアーティストさんの音楽を聞いて。今はもうほとんど音楽を聞かなくて、そのアーティストさん以外。最近の曲を知らない人の方が私は多いんですけど、そのアーティストさんの曲を聞いて気持ちを上げていって、それで持ち直しましたし。今でも仕事とプライベートの切り替え時に、そのアーティストさんの曲とかYouTube動画とかを1時間ぐらい観るっていうことをしてますね。

qbc:アーティストの名前、知りたいです。

翼祈(たすき):いや、ちょっと言わないです、あえて。

qbc:分かりました。趣味は他にあります?

翼祈(たすき):趣味は、色んなエンタメとかを観に行くことが好きだったんですよ、元々。すごく好きで、色々行ってましたし。ある時は、ミュージカルを観に行った後、反対方向に行って、ライブを観に行ったりとかってこともあったりしたんですけど。コロナ禍で、私は基礎疾患を持ってるので、なんかかかったら死ぬんじゃないかっていう心配がすごく強くなって。そこからパタッと行かなくなって。なので、もう4年以上は何も行ってないですね。
だから元々そういうのを観るのが好きだったので、時々記事で、ドラマとか映画とかの記事を書いたりするんですよ。その中で弊社のテーマに沿ってるのを選んで書いたりするんですけど、その時に、私が知ってる情報とかがその記事の役に立ってるというか。記事の最後に絶対私の感想を書くんですけど、そこに活かされているというか。
それとか、ちょっとこないだ久しぶりに作りに行きましたけど、ハンドメイドとかを作るのが好きで。それで、そうですね。楽しかったのがトルコランプを作ったこともあったりとか、それとか美濃焼のタイルクラフトとかを作ったり、色んなのを、コロナ前は多分、3年ぐらいで50件以上色んなワークショップ行って、色んなものを作って。すごく好きだったんですけど、コロナ禍になってから、私がこれすごく作りたいと思うワークショップの先生が、そういう先生って結構県外の方が多くて、その先生たちが来なくなっちゃったんですね、福岡県に。その間に行かなくなって。そういうことがあったからそのワークショップ、ハンドメイドのワークショップに行くのも自然とちょっと足が遠のいたというか。近くで、何か作ってるワークショップがあっても、これはもう自分が作ってるものだったりとかして。だから、この間の12月に久しぶりに、11ヵ月ぶりか何かに作りに行ったんですけど。なんか、
最近は結構作ってるものが多かったので、今まで。何か作りたいけどまだ一度も作ったことないと思うものを探す方が難しくなってて。本当に、今、仕事人間みたいな感じで。仕事と家の往復ぐらいしかなくて。仕事等が趣味で、みたいな感じですね。それ位、本当に文章を書くことが好きなので。

qbc:性格はどんな性格なんですか?

翼祈(たすき):性格は、私は、ふたご座なんですよ。ふたご座って、なんか好奇心旺盛。何にでも興味を持つっていうのがあるらしいので。私の場合、記事を読む、記事を調べる時に多分、他の人より興味のあるアンテナに引っかかりやすいっていうか、他の人からすれば普通の記事であっても、私が観た時には「これすごく良い」って思うことが多くて。
最近だと、いつも毎日のルーティンで夜の22時ぐらいになると、色んな媒体、記事の媒体とかから、色んな記事が集まってくるので、それを1時間ぐらいずっとSNSで見てて記事を。それで、これは会社のサイト用、これはnote用、これはまだちょっと情報が弱すぎる、少なすぎるのでちょっと分けておこうっていう3つに分けて。その後に、どの記事を書こうかなと思う時に、これを書きたいと思ったものをさらにGoogleで細かく調べていって、それを、こういうのもあるんだと思ってその記事の中身を深めるために、さらに調べていったりするので。
なので記事を書く時には、もう準備ができてるんですよね。ある程度記事を書くベースが。なので、記事自体は私は、弊社のサイトの、『AKARI』の記事自体は大体平均的に2000文字から4000文字ぐらいなんですけど、それを大体下書きを2時間〜2時間半ぐらいで書くっていう感じですね。

qbc:ありがとうございます。

過去:これ今でも記事には活かされているんですけど、すごい過集中だったりこだわりが強すぎて、なんか他の人たちとうまく合わせられないというか。

qbc:過去のことをですね、お伺いしたくて。子供の頃は、どんな子供でしたか?

翼祈(たすき):やっぱり私は結構色んな基礎疾患っていうか、障害も病気も持ってまして。その障害で言うなら、7歳頃から、聴覚障害の左耳が感音性難聴で全く聞こえなくて。
で、あと大人になって、20歳前に発達障害って分かって。発達障害も、自閉症スペクトラム障害(ASD)、注意欠如・多動性障害(ADHD)、学習障害(LD)、3つ全部持ってまして、要素を。それで、教室を動き回るとかいうことはなかったんですけど、とにかく何かじっとしていられない子供だったらしいですし。これ今でも記事には活かされているんですけど、すごい過集中だったりこだわりが強すぎて、なんか他の人たちとうまく合わせられないというか。でもなんか色んなことに、その当時から色んなことに興味を持って、すごく好きなアニメだったり、好きなキャラクターとかもすごく多かった子供でしたね。

qbc:小中高ってどんな感じでした?

翼祈(たすき):ん-、私あんまり過去のことを覚えてなくて。なぜかというと、私は20代の前半に、甲状腺機能低下症っていう病気を発症したんですよ。その病気って、記憶を結構忘れてしまうところがあったりするんですよね、症状的に。それで引きこもりになって寝ている時に、母が「何かすごい髪の毛抜けていておかしいから調べた方がいい」って言われて、別の病気で内科に行ってて検査をしたら、その「甲状腺機能低下症ですよ」だと言われて。その後から、チラーヂンSっていう薬を飲み出して、それからは割と覚えてたりするんですけど。その前は、その引きこもりもあってずっと寝てばっかりもありましたし、病気の影響で結構忘れてしまってて。ただ中学校のいじめに関しては一部覚えてるものがあるので。それに関しては、やっぱりひどかったんだろうなと思いますね。
高校とかに関しては、私は中学校の時にすごく英語ができたんですけど、本当だったら英文科に行きたいぐらいできてたんですけど、高校に入ったらもう全くできなくなって。それがもしかしたら、左耳が聞こえないのもあって、結構かなりリスニング苦戦してたんですよね、聞こえなくて。他の人よりかなり遅れて聞こえたりとかすることも多くて。
それでもう1つできたのが小学生の時から日本史がすごくできて。中学校の時に、「お金と歴史にまつわる文章のテーマでコンクールに出そうと思うから書いて下さい」って先生から言われて、ちょうど日本史も好きでしたし、調べたら結構、ほんと調べるのがすごく好きなので、調べて書いたら、それが入賞して。そこで初めて、人生初めての賞を取って。本当に日本史もすごく好きでしたし。

qbc:それは何歳だったんですか?

翼祈(たすき):その賞自体は、多分中学2年生とかですかね。
高校で日本史があったのが17歳ぐらいのときなんですけど、その時はすごく日本史が好きすぎて、教材の自分でオリジナルノートを作って、なんかあの赤いペンで書いた文字に、赤いシートを当てたら消えるのがあるじゃないですか。あれを使ってひたすら文字を書いて、自分だけのノートを作って、日本史ノートを作って、それをテスト対策で使って、それで日本史は、日本史だけ飛び抜けて偏差値も高かったですし。学年で1番出来ましたね、日本史に関しては。それで英語ができた時には通訳とかにもなりたいと思ってたんですけど、その英語はできなくなって。それで、日本史で歴史学者とか、そういう学芸員とかになりたいなと思ったんですけど、受験に失敗して、その後引きこもりになったので、その夢も消えてしまったっていう感じですね。

qbc:子供の頃、こういう遊びしてたとか、本当にちっちゃい頃のこと覚えてます?こういう遊びが好きだったみたいな。

翼祈(たすき):そうですね、こういう遊び…。なんか遊びじゃないですけど、私が好きだったのは、図書館で歴史上の偉人の本を読むのがすごく好きでしたね。あんまり友達がいなかったことと、元々運動もできないので、外で遊ぶ子じゃなかったので、あんまり他の子と遊ぶっていうことはなくて。結構1人で好きなことをして遊ぶっていうことが多かったので、それ以外はその当時流行ってたもので遊ぶっていう感じでしたかね。

qbc:偉人の本を読んでたのって小学生ぐらいですか?

翼祈(たすき):そうですね。小学5、6年生の時に、クラスのほぼ横が図書館だったので、そこで昼休み図書館に行って、ずっと偉人の歴史の本を読んでるっていう感じでしたね、ずっと。

qbc:高校時代はどうでした?

翼祈(たすき):高校時代は、図書館とかには行かなかったですけど、その当時に仲良かった友達と、人生で初めて出かけたりとかして。元々その誰かと出かけるってことがなかったので、出かけたことがやっぱり今でも楽しかったなと思いますね。ちょっと今はもう、その子たちとは友達じゃないので、ちょっと色々あって友達じゃなくなってしまったので。なんか、中学校の時に体験できなかった友達と遊ぶっていうことを体験できたのがすごく大きかったっていうか。
高校に入ってから、それまで電車とかも1人で乗ったことなかったんですけど、それが初めて結構自分で切符を買って乗るっていうことをして、高校ではしたことない様な経験をすることが多かったというか。友達作りも、地元に行かなかったので本当に友達、知ってる人がいなくて周りに。そこで夏休みに入る前に、2人組の子がいて、それまでずっとお弁当を転々ともしていたんですけど、グループを。「これじゃまずい」と思って2人組の方に話しかけて、そこから仲の良かった7人とずっと一緒にいたんですよ。そこが楽しかったなと思いますね。

qbc:で、大学に入って、寮生活がうまくいかなくて、引きこもりに至って。

翼祈(たすき):そうですね。

qbc:引きこもりの時って、どんな生活だったんですか?全く人と会わないのか、時々散歩とか行ってたのか。

翼祈(たすき):いや、本当に引きこもりで外に出てなかったですね。寮を退寮してちょっと一人暮らしをしてましたけど、本当に外に出なくて。で、両親が時々ご飯を作りに来てたんですよね、様子を見に。

qbc:あ、一人暮らしで引きこもりだったんですか?

翼祈(たすき):ちょっとだけ一人暮らしでした。その寮を退寮した後に。で、両親が作ってくれたものを食べたりとか、なんか本当に外に出なかったりですね。それで、昼夜逆転もしてて、朝まで起きててその後寝てっていう生活を繰り返して、その時から私は不眠症になりました。

qbc:で、実家に戻るんですか?

翼祈(たすき):そうですね、実家に。で、それから10年近く引きこもりっていう。で、完全に引きこもる前に、「やっぱり何か働かなきゃいけない」と思って、色んなところへ面接に行ったんですよね、アルバイトなんですけど。
その時に、色々言われたりとかして。最初1ヵ所目に初めて面接に行った時には、友達がいるところだったんですけど、店長の方に、「この人がいることであなたがその人に頼って、それは困るからあなたは雇えない」って言われて。で、2ヵ所目の時には接客だったんですけど、接客業で、「左耳が聞こえない」って話をした時に、「いや、左耳が聞こえないとお客様が『何がどこにありますか?』っていう時に反応できなかったら、困るから雇えない」って言われて。その後にも、あるところに行った時には、「あなたはこういう基礎疾患があって、あなたみたいな人がいると、ここの店に人が来なくなるから困る」とかいうことを、色んなことを言われたりとかして。
それでまぁ例えば九州国立博物館とかでちょっと働きたいなと思って面接行った時に、私はその当時高校の時に使った日本史ノートとかを見せてたんですけど、面接時に。でも面接に来られている方のほとんどの人が、やっぱり学芸員とかそういう資格を持ってる方なんですよ。だからどうしても自分が持ってるカードが弱くて、そういうのが駄目で。結局150件以上2年間ずっと探していって、落ち続けて、その落ち続けるために顔色がどんどん悪くなって、それでもうものすごい家の中で荒れたりとかなることも多くて。それで採用されたのは2ヵ所ぐらい、採用されたのがあの年末年始の年賀状の仕分け。それとちょっとした派遣に半年、なので私が一般で働いたっていうのが、半年と半月ぐらいしかなくて。
で、そこからはもう、ずっと落ち続けた時に、家にずっと「不採用です」とか書いた封書が来たり電話がかかって来たりとかして、それを観てまた落ち込んで、それでもどんなに顔色が悪くても面接に行って。結局もう起き上がれなくなって、それで引きこもりになってしまったっていう。

qbc:なるほど。大学の寮では何があったんですか?

翼祈(たすき):寮では相部屋の人が、同じ学科だったんですよ。それで、同じ学科で、最初母が「うちの子と仲良くして下さいね」って言って、それで別れたんですよね。入学する前に。相部屋の人は、すごく派手で明るい方だったんですよ。でも私は、ファッションも地味で結構暗い感じだったんで、話が合わなくて。で、友達も大学でもできなくて。それで、すごく最初に険悪になったのが、寮でお風呂を沸かして入れるんですけど、そのお風呂を沸かす時に、寮の相部屋の人が遊んでたんですよ。それで帰ってこなかったんですよね。で、それまで一緒にお風呂に入ったんですけど帰ってこなくて、「お湯が流されたらまずい」と思って先に入って、その後門限破って帰ってきたら寮母さんに、「風呂抜きだから」って言われて。それを私が見てたら、すごく睨まれたんですよ。その後に相部屋の方がサークルに入って、それまでは相部屋の方も、隣の部屋の方も同じ学科だったので、4人で食事に行ったんですけど。相部屋の方がサークルに入って、それで、「今度から寮のご飯どうなるんだろうなぁ?」と思ったら隣の部屋の人が来て、「今度からご飯食べたかったら1人で食べに行ってね」って言われて。1人でご飯を食べに行く様になったりとか。それとか、1人も友達いなかったんで、昼休みとか休みの日とかにちょっと離れた本屋さんに行くのが好きで、ある日その本屋さんに行く時にガソリンスタンドで入ってきた高齢ドライバーの車とちょっと足を接触しまして。ここでちょっと松葉杖になりまして、その時にも相部屋の人が廊下で、「相部屋の人が松葉杖でマジ迷惑なんだけど」っていうことを言ってたりとか、っていうのもありましたし。
あと、今でも時々そうですが、ストレスとか寝不足が続くと目眩が起きたりするんですけど、その寮生活のストレスがMAXであって、それで目眩がひどくて。1回目の目眩がした時には、「寮のご飯持ってきたよ」って言ってくれてたんですけど、回数が増えてくるとすごく嫌がられて。その相部屋の方は寮の先輩にすごく気に入られてたので。それでなんか先輩と、1回寮の大掃除の時に、自分が目眩で倒れて寝込んだ時にも、「なんかズルくない?、ってかサボりだよね?」みたいな感じで言われたりとかして。
それで本当は寮って、最低でも1年いなきゃいけなかったんですけど、私がもう夏休みの時には実家に戻ってきて、母から、「何かバイトでもしたら?」って言われてたんですけど、本当に家にいることがすごく嬉しかったので、バイトも全くしなくて。それで、最後の寮に帰る最終日の時に、何かどっか遠くに行きたいと思って、寮に戻る日に。それで福岡市まで盛大な家出をしまして。10時間以上帰ってこなかったんですよ、家に。それで父が私を探しに来て、それで連れ戻されて寮に戻った時に、大学との話し合いで、「この子はもう寮にはおれないですね」、みたいな話になって退寮したんですよ。
その後に学校に行った時に、相部屋の人が、「なんか学校に来て厚かましいよね」みたいなことをずっと他の人と言ってるんですよ。寮も辞めたりとかしてっていう。それを聞いてから大学に行けなくなって、そこから最初の引きこもりが始まったっていうか。

qbc:実家の方の10年間っていうのは、どんな気持ちだったんですかね?

翼祈(たすき):なんかもうひたすら寝てましたね、ずっと。ずっと寝てて、365日もうほぼずっと毎日毎日寝てて。その寝てた時には、そんなにテレビも見なくて、元々音楽聞くのはずっと好きだったんですよ。なので音楽が聞くのが好きで、小学校の高学年から大学に入る時まではすごく色んな音楽聞いてたんですけど、大学に行って中退してから約10年間、引きこもってる間、ほとんどテレビを見なかったので、その当時に流行ってる音楽は今でも分からないぐらいで。
ずーっと寝てて、母も寝てる私を見て、「これからどうなるんだろう」って思ってたみたいですし。私は時々情緒不安定で泣いて、母の仕事先に電話してきたりとかして、なんかそれぐらい荒れてて。
で、私が基礎疾患を発症したきっかけになったエビリファイっていう薬があるんですけど、その時に、すごく家の中で暴れるっていうのが止まらなくて。物を壊したりとか、色んなことをして。それで母が「娘のことで困っています」と病院に訴えて、新しい薬に切り替わって。切り替わったらそれはジプレキサって薬なんですけど、それになったら今度はすごく暴飲暴食が止まらなくなって、暴れなくなった代わりに。その後にその基礎疾患を発症して。それで発症してから、発症した年と、その次の年の2年間で緊急入院で、計3回入院しました。

qbc:基礎疾患っていうのは、甲状腺の病気のことですか?

翼祈(たすき):いや、違います。糖尿です。薬剤性でなったんです、元々。そのジプレキサっていう薬のせいで。だからあんまりいい思い出はないですね、引きこもりの時には。

qbc:結構、病気になってた期間も長いんですよね?糖尿病。

翼祈(たすき):そうですね。20代の前半からなってるので。なんかもう本当に、色んな病気や障害を持ってます、すごく。

未来:何か書くことで、私っていう人間が、その引きこもりだった時は想像できなかった、ここにいるっていうのを証明できることがすごく好きなのかなと思って。

qbc:じゃあちょっと未来の方の話をしていきますね、5年10年30年最後死ぬっていうところまでイメージして、どういうふうな未来をイメージしてます?

翼祈(たすき):未来、本当に大きくは全然予想してないんですけど。その、TANOSHIKAっていうところは、ずっと居れないんですよ、A型事業所っていうのは。いずれ卒業して一般就労に行かなきゃいけないんですよね。一般企業に。その時に、私は色々病気とか障害とか持ってて、すごく大変ではありますけど、今が1番元気なんですよ。本当に。仕事もほとんど休まなくて。私がある仕事をして寝込んで3日間休んだら、もう上司の人たちがみんな、慌てるぐらい本当に休まない人なくらい、元気で。
私は将来的にも、その今の弊社でやってるような、障害者の方だったり発達障害者の方を取材して、それを記事に書くことだったりとか、そういう障害福祉を紹介する様な人になりたいなと思ってて。それがずっとそうですね、なんかWEBライターとしてやっていきたいと思った時に、ずっとその夢があったりしますね。
あとは、将来がどうなるか分からないんで、なんかいいご縁があったらいいなとか思ったりはしますけど。まーなかなかですね、難しかったりはしますし。ものすごく私ってコンプレックスの塊で。父方のいとこと、母方のいとこがいるんですけど、父方の他のいとこはみんな結婚して、子供がいる方もいるんですよね。1番上の方は、私がもう小学生の時には子供がいたんですよ。それぐらい年が離れてて、私がそういうのに憧れてるので、そういうコンプレックスがあって。
下のいとこはすごく優秀で。1番上の人は、その人は火山関係なんですが、気象庁に入ったりとか。2番目の子も、成績優秀で県内で数名しか選ばれない特待生に選ばれて学費免除で大学入学したりとか。3番目の子も結構優秀なんですよね。そういう幸せということと、学歴のコンプレックスがすごく激しくて。
私が今の病院に行く前に受診していた病院で、母が「普通に暮らしたい、普通の幸せが欲しいんです」って言ったら、その先生から、「それが高望みなんですよ!
」って言われたんですよね。その普通の幸せって描くことが。私は、他の人が持ってる様な普通の幸せがずっと欲しいなって思ってたんですけど、なかなかそれが叶わなくて。それで、人を羨ましがることが多くて。何かどちらかといえば後ろめたさというかそのことで暗くなることが多かったんですけど、元々趣味でやってた文章を書くっていうことが仕事になって、それを発信してSNSとかで反応頂けることで、今が1番色々あるけど、何か今が1番楽しいと思えて。
それを将来的にも仕事にできていけたらすごく幸せなことなんだろうなと思って。
で、今でもずっと書きたい記事がいっぱいあるので、それをひたすら毎日書き続けるっていう感じですし。なんかすごく私、専門的な記事を書くのが結構好きなので、それを調べて、どんどん書いていけたらなと思って。最近も専門的な記事を6記事ぐらい書いたので、それがいつ投稿されるか分からないですけど。

qbc:仕事に対するモチベーションがある感じなんですかね?

翼祈(たすき):そうです。もう本当に幸せって感じですね。もう本当に嬉しいっていう感じで。

qbc:どうやってこの仕事に対してモチベーションを上げてるんですかね?

翼祈(たすき):やっぱり書くことで、書いたら他の記事を書きたいとか思いますし。本当に自分が知らないことを書くので、それでその知らないことを知れて、またその知識として増えるのも嬉しいですし。色んな自分に、色んな世界に行けるところがこの仕事のモチベーションなのかなと思いますね。知らない世界に連れて行って貰えるっていうか。

qbc:もしもの未来の質問っていうのをしていて、もしも書くことがなかったら、書けなかったらどうなってたと思います?人生。

翼祈(たすき):多分ずっと引きこもりだったと思います。こういう風に、自分自身がこの世からいなくなるっていう選択をしない限りは、ずっと引きこもりだったと思いますね。それぐらいずっと引きこもってて、私も「なんかずっとこのままなのかな?、このままでもいいや」って思ってることの方が多かったので、その当時は。でも家族のあることがきっかけで、仕事を始めようと思ったので、なんか多分本当に私自身が友達もいないので、その点は多分ずっと引きこもりだったんだろうなと思いますね。

qbc:家族にあったことって、何が?

翼祈(たすき):怪我をしたんです、すごい怪我を。2ヵ月ぐらい入院してて。

qbc:交通事故とか?

翼祈(たすき):いや、ちょっと、転落して。落ちたんです、ちょっとあるところから。そこで入院したんですよ。そこから、「働かなきゃいけない」と思って働き出したって感じだったんですよね。だから、そういうきっかけさえなければ多分今でもずっと引きこもりで、趣味で元々ブログをずっとやってるので、文章を書くことは世の中の人と繋がれるっていう唯一の手段だったので。それだけは続けていきつつも、多分仕事には結び付かなかっただろうなと思ってます。

qbc:書くことは何が楽しいですか?どこが好きですか?

翼祈(たすき):自分自身を表現できることが好きですね、自分の言葉で。自分の感情とかを。書くことで、その人の人生に寄り添えるというか、何かその人の役に立てているというか。書くことは本当に、本当に好きじゃなければこんなにずっと書き続けられないだろうなと思ってますし。今の精神科の主治医の先生に、「そんなに書き続けて疲れませんか?」って、「キツくないですか?」って言われたんですよ、前に。でも「全然平気です、私は書くことがすごく好きなので」って言って。本当にずっと書き続けて、とりあえず今のところ、記事の書く元のネタがあるので、それをずっと書き続けられることがすごく楽しいっていうか。
色々まだ書きたいものがいっぱいあって、どれを書こうかなって選ぶのも楽しいです。なんか、本当にずっとせめぎ合いなんですよ、どれを先に書こうかなっていうのがあって。それを選ぶのも楽しいですし、書いて、それがいざ『AKARI』っていう会社の、弊社がやってる『AKARI』っていうところに掲載されてまた嬉しかったりとか。
本当に、何か書くことで、私っていう人間が、その引きこもりだった時は想像できなかった、ここにいるっていうのを証明できることがすごく好きなのかなと思って。多分、WEBライターじゃなければ、私のことを知ってる人なんてほぼいなかっただろうなと思うぐらい、それぐらいそういうことで何か、もっと世の中と深く繋がれてるっていうことがすごく楽しいかなと思います。

qbc:書くことって、翼祈(たすき)さんにとって何ですかね?

翼祈(たすき):あー、趣味でもあり、その仕事上の恋人でもあり、家族、友人でもあり。色んな人に喜んで貰える幸せの連鎖だったり、笑顔の連鎖があるっていう感じですね。なんかすごく、幸せな感情しか出てこない仕事だなと思ってます。

qbc:いつから書いてたんですかね?

翼祈(たすき):10代の頃から書いてますね。はい。

qbc:小学生?

翼祈(たすき):いや、小学生じゃないですね。

qbc:中学生?

翼祈(たすき):大体多分、テスト対策で言ったら本当に小学校とか中学校とかそのぐらいなんですけど、本格的に書いたのは、大学に入るちょっとぐらい前ですかね。

qbc:何を書いてたんですか?

翼祈(たすき):元々、掲示板っていうところから書き始めて、そこに投稿してその掲示板が閉鎖されて、それでSNSに移って。で、私がSNSを始めた当時すごく主流だった、アバターっていう自分の分身を作るSNSにすごくハマッていっぱい登録して。そこで発信したりとかして、そこで色々書いて。その時に立ち止まって下さった方がすごく私の文章を観て喜んで下さるっていう感じで、書くことで喜んで貰えることがすごく嬉しかったですね。

qbc:その頃に書くって日記ですか?その頃って日記とかそのSNSでアバターでしていたのは。

翼祈(たすき):そうですね。日記みたいな感じでしたね。そのSNSの中の、文章を書く。それが時々SNSのなんかコミュニティなんかに参加したりとかして、投稿したりとか。

翼祈(たすき):正直今やってるインスタとか旧TwitterのXとかも、Twitterはずっと鍵垢で、インスタも自分が携わるまでアカウントは作ってても、投稿とか一切したことなかったので。
本当に初めは、初心者マークが多かったんですけど、それでも元々そういうのが割と得意だったり、何か新しい事をするのが好きなので、楽しくやってます。

qbc:なるほど。今後書いていきたい文章ってあります?

翼祈(たすき):今後書いていきたい部分は、ずっと実はある家庭の事情で、今ちょっとしばらく在宅勤務なんですよ。今、ここも今在宅でしてまして、Zoomも。それで今は前回の時もそうだったんですけど、在宅の時って家にいる分、結構より専門的な話を書けるんですよね。難しい文章とかを。最近も、日本脳炎だったり破傷風だったり、ボツリヌス食中毒だったりとか、それとかジフテリアや百日咳とか、乳児ボツリヌス症だとか、そういうのも書いていて。何か周りに人がいない分より細かく書ける記事とかもあって。そういう記事とかを、何かじっくり考えられるので、
そのことを、あんまり上司の方には「そういう記事ばっかり書いても」って言われるんですけど、そういう記事を書くこともすごく好きなんで。そういう記事を後いくつか書きたいのがあるので、それを在宅勤務中に書き終えたらいいなと思っていますね。
まぁ後は、とにかく今度のライター会議までに資料を作らないといけないなと思うと、私が20代の頃働いてなかったので、キャリアっていうキャリアも積んでいないですし、他の方が20代でやったことを私は経験してないので、スライドショーとかパワーポイントも使ったことないので。それでできるかなって心配もすごく大きくて、不安なんですけど。広報誌の時にも、最初はできるかな?と思ったんですけど、上司の方に「そういう風に取材しに行く様なライターさんになりたいなら参加した方がいい」って勧められて参加し始めて。それで質問とかも考えて、それが採用された時は嬉しかったですし。
とにかく、記事自体は色々書いてますし、今回のインタビューも含めて、まだやってこなかったことに挑戦できる年になれたらいいなと思ってます。

qbc:ありがとうございます。最後の質問ですね。最後に言い残したことはということで、そのインタビュー振り返っての感想でもいいし、読者メッセージでもいいし、遺言にして頂いてもいいんですけど。最後に言い残したことがあればお伺いしております。

翼祈(たすき):ちょっと待って下さいね、最後に言い残したことは、そうですねー、いつも言ってるのが、『AKARI』の読者の方とか、noteの読者の方とか、SNSの読者の方も含めてなんですけど、すごく読みに来て下さることでモチベーションも上がりますし、次も頑張って記事を書こうって思ってます。すごく皆様にそうやって読んで頂けることで、すごく楽しいですし、この仕事をやってよかったなってすごく思いますし。今後も、今のところ書きたい話がまだまだあるので、読みに来て下さったらすごく嬉しいですし。これからも読者の方に、寄り添った内容を書いていきたいと思うので、弊社のTANOSHIKAを含めて、応援して下さると嬉しいなと思ってます。

qbc:ありがとうございます。

翼祈(たすき):ありがとうございます。

あとがき

書くことがなかったら私も生きてなかったと思う。
10代20代の時期に書くことが無かったら人に暴力ばかをふるっていたんじゃないかな。
自分の心を。
書くことで自分の心を、考えていることを受け止めて、これをそのままリアルに表現するべきか、この感情をそのままリアルで表現したらどうなるかというシミュレーションを小説で緻密に組みあげていったのだと思うと。そう思うと、そのころあのころに書いた小説は、ほんとう、自分こっきりのためのものだったのかもしれない。
文章を人のために書くという、思いこみが、あったんだろうな。
そんなのなくてもいいよ。
文章は、自分のために書いていい。自分のためにある文章もあっていい。
それあればこそ、他人のための文章もあるのでしょう。

【インタビュー・あとがき:qbc】

【編集:mii】

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