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「自分探し」を探してみる(15)私の成り立ち・決定要因は遺伝?自分なりに考えた氏と育ち
(14)の続きです。https://note.com/umi2100/n/ndb7f5560ddfa ○「非共有環境」って何? 前回、安藤寿康「日本人の9割が知らない遺伝の真実」の感想を書きながら「…
「自分探し」を探してみる(14)私の成り立ち・遺伝子2
「日本人の9割が知らない遺伝の真実」より 前回(13)→の続きです。 https://note.com/umi2100/n/nd955d27ded02 氏か育ちか、すなわち「性格を決定するのは遺伝子なのか…
「自分探し」を探してみる(13)私の成り立ち・子供時代2
「本当の自分」がわかる心理学より(その2) 前回(12)は→です https://note.com/umi2100/n/n7a7fa9447bc8 〇「内なる子供」の傷(影子)を感じないようにする…
「自分探し」を探してみる(15)私の成り立ち・決定要因は遺伝?自分なりに考えた氏と育ち
(14)の続きです。https://note.com/umi2100/n/ndb7f5560ddfa
○「非共有環境」って何?
前回、安藤寿康「日本人の9割が知らない遺伝の真実」の感想を書きながら「これでは『氏』が圧倒的に優勢で、『育ち』は見る影もないという結論になりかねない。昨今は今はこうした意見が主流なのかもしれないが、それでも、そう結論付けるのは避けたい」という気持が強くなった。そこ
「自分探し」を探してみる(14)私の成り立ち・遺伝子2
「日本人の9割が知らない遺伝の真実」より
前回(13)→の続きです。 https://note.com/umi2100/n/nd955d27ded02
氏か育ちか、すなわち「性格を決定するのは遺伝子なのか、それとも生まれた後の経験なのか」という議論は今も続いている。前回は、子供時代の影響を重視する立場の本を紹介したが、近年は育ちより氏、という説が主流となりつつある。そのことを、安藤寿康「日本人
「自分探し」を探してみる(13)私の成り立ち・子供時代2
「本当の自分」がわかる心理学より(その2)
前回(12)は→です https://note.com/umi2100/n/n7a7fa9447bc8
〇「内なる子供」の傷(影子)を感じないようにする防衛戦略
前回は、「内なる子供」の存在を、どうやったら確認できるのか、という疑問に対する筆者の答えを紹介した。筆者はこの確認ができると、次の疑問である、どうやったら「内なる子供」の傷を修復
「自分探し」を探してみる(12)私の成り立ち・子供時代1
私の成り立ち・子供時代1 「本当の自分」がわかる心理学より(その1)
〇「内なる子供」とは?
子供時代がその後の性格形成に影響を及ぼす、という意見には誰もが賛成しそうだが、どのような形で影響するかに関しての決定的な説が未だ無いのも実情だだろう。とはいえ長い間、最も注目されてきて、今でも無視できないのがフロイトを中心とする精神分析の考え方だろう。
子供時代がどんな形で性格形成につながるのか? 子供
「自分探し」を探してみる(11)私の成り立ち・遺伝子
私の成り立ち・遺伝子
私の成り立ちを、遺伝子、子供時代(6歳ごろまで)、現在までに三つに分け、もう少し丁寧に考えてみる。
私たちの成り立ちに一番大きい影響があるのは遺伝子だということに異論を唱える人はいないだろう。しかし何となく、設計図によって家が建てられるように、遺伝子が全ての心や体を形作る、と理解している人が多いが、細かい点では違っている。
たとえばネズミなどの実験で、生まれてすぐ
「自分探し」を探してみる(10)私の成り
私の成り立ち
──「本当の自分」がわかる心理学、を参考にしながら
現在ある自分の「成り立ち」を時期別に分けて考えるとすれば、生れる前、つまり遺伝子にプログラミングされている要素と、子供時代、そして現在に至るまでの三つに大別するのが良いだろう。
一番大きいのは遺伝子だろう。性格形成においても大きな影響があることは40年ほど前からさまざまな分野で指摘されるようになった。筆者も遺伝子が性格(
「自分探し」を探してみる(9)「本当の自分」がわかる心理学
「本当の自分」がわかる心理学
すべての悩みを解決する鍵は自分の中にある
シュテファニー・シュタール 繁田香織(訳)大和書房
「本当の自分」というタイトルに惹かれて読んでみた。しかし残念ながら「本当の自分とは何か」を直接的に取り上げている本ではなかった。それでも世界で160万部、出版されているというだけあり、自分探しにも役立つと思うので紹介したい。その上で、これに関連させて、自分なりに考えたことを
「自分探し」を探してみる(8)今でも自由に選べるわけではない
自分自身の行動や、あるべき姿を自分で選べないという現象は今もある。私自身のささやかな体験から話そう。中学生のとき、部活練習の一環として学校の周りを走るように指示され、一時期はそれを日課にしていた。
その当時は走ることに対して疑問に思うこともなかったのだが、その後高校生になったある日「体力を付けよう」と考え、かつてそうしたように出身校である中学校の周りを走ることを思いついた。
ところが、中学
「自分探し」を探してみる(7)かつては自分の未来は自分で選べなかった。
先日、たまたま高齢者ばかりが集まり、昔話に花を咲かせた。現在も農業をしているという80歳の男性が「若いころ、自分は本当は造船の技術者になりたかった。それで恐る恐る父に相談したら『自分が長男だということを忘れるな』とだけ言わた。その一言だけで『ああ自分は農業をやるしかないのだな』と悟った。今の若い人にそんな話をしても判ったもらえないだろうな」、と嘆くように語った。
するとすかさず70歳の女性
「自分探し」を探してみる(6)昔は、悩まなかった?
昔に比べ、自分探しの助けになるツールや情報は、飛躍的に増えたと
思われる。ではそししたものが無かった昔の人は、私たちよりももっとこうした問題に悩んだのだろうか?
職業に限定すれば、狩猟採取の時代においては、専門職というとシャーマンぐらいで、あとは皆同じようなことをやっていた。もちろん力が強い、勇気がある、視力がよいなどの特徴によって、役割どころは違っていただろうが。
農耕の時代にな