「自分探し」を探してみる(8)今でも自由に選べるわけではない

 自分自身の行動や、あるべき姿を自分で選べないという現象は今もある。私自身のささやかな体験から話そう。中学生のとき、部活練習の一環として学校の周りを走るように指示され、一時期はそれを日課にしていた。

 その当時は走ることに対して疑問に思うこともなかったのだが、その後高校生になったある日「体力を付けよう」と考え、かつてそうしたように出身校である中学校の周りを走ることを思いついた。

ところが、中学校の近くまで来たとき「そう言えば自分はもう中学生でもないし、当時の先生に会うかもしれないし~」などという考えが頭をよぎり、急に走る気を無くしてしまい、そのまま引き返してしまったのである。

これは要するに、人の目を過剰に気にする私の性格ゆえの出来事ではある。しかし「指摘されてもないのに自分で勝手に、他人の目を意識(空想)して自制してしまう」人は、私だけではないようだ。

 周囲の暗黙の期待に影響されたり従ってしまうという人なら珍しくないようだ。24歳、システムエンジニアの女性はこんな話をしてくれた。「私は本当は保母さんになりたかったのです。でも私はなぜか理数系の成績が良かったし、理屈っぽいところもあったせいか、友達も学校の先生からも理数系が向いていると言われて、大学を決め、結果的に今の会社に就職することになったのです。でも仕事で疲れたときは、『なんでこんな仕事を選んだのかな』とよく考え込んでしまいます」

 また自分が構築した自分像と、現実とのギャップに悩む人もいる。26歳、カウンセラーの男性。「自分は人間の心に興味があるし、人のためになりたいと思って、今の仕事を選んだのです。しかし話が回りくどいと『要点を言ってください』と話を遮りたくなるし、せっかく自分が考えて提案した方法をやろうともしない人がいると、イライラしたりどなりたくなるんです」

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