「自分探し」を探してみる(15)私の成り立ち・決定要因は遺伝?自分なりに考えた氏と育ち


   (14)の続きです。https://note.com/umi2100/n/ndb7f5560ddfa
○「非共有環境」って何?
 前回、安藤寿康「日本人の9割が知らない遺伝の真実」の感想を書きながら「これでは『氏』が圧倒的に優勢で、『育ち』は見る影もないという結論になりかねない。昨今は今はこうした意見が主流なのかもしれないが、それでも、そう結論付けるのは避けたい」という気持が強くなった。そこで、もう一度、批判的な視点でこの本を読み直してみた。
 するとこの本の中に出てくる「非共有環境」という言葉が気になった。改めて調べると行動遺伝学は主に双生児を対象に、一卵性か二卵性か、そして同居(同じ環境)かどうか、という二つのファクターで、遺伝と環境との関係を統計的手法で検討する学問のようだ。つまり「非共有環境」とは遺伝でも同居要因でもない全てを含んだもの、一言で言うと「その他」に属す要因ということになる。
 非共有環境という表現だと、友人や学校といった「環境」のことだろうといった理解してしまいがちだが、これはそのまま「その他」と表現すべき性質のもののようだ。そこで非共有環境=その他と読み替えてみると、私の感想も異なる内容になりそうだ。性格を例にしてみよう。
前回「・性格:大半は遺伝。家族の影響は僅か」とした部分は以下のように読み替えられる。
ビッグ5の30~50%は遺伝の影響、共有環境は僅か。残りの50~70%は「その他」でこれがこれが一番多い、と。
ではこの「その他」50~70%をどう理解したらよいのだろうか。共有環境は僅かということは、仮に同居している一卵性双生児がいたとして、この二人に親が同じような注意をしても、受取り方や反応が異なる程度が50~70%見られるということだ。
遺伝や家族環境では説明できない子供自身の独自性が見られる割合が50~70%ということになると、「一卵性双生児といってもずいぶん違うな」という印象を持つだろう。

○一卵性双生児でも違うのはなぜ?
 ではこの違い(独自性)はどうやってできたのだろうか。いくつかの要素がありそうだ。
a)一卵性双生児。全く同じ遺伝子を持つわけではない。
たとえばアイスランドの研究チームは一卵性双生児381組を調査し、その結果「初期発生段階の突然変異のため、一卵性双生児は平均5.2個の異なる遺伝情報を持つ」、「381組中、遺伝情報が同一であったのは9.9%(38/381)」といった報告をしているhttps://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2021/03/post-95833.php。
この報告は一卵性双生児といっても遺伝的に異なるので、違い(独自性)があっても当然という話につながるのだが、50~70%を占める「その他」の何割ぐらいを説明できるのかは、私の知識では不明である。

b)エピジェネティクス
 最近の遺伝に関する話題としてエピジェネティクスがある。これはDNAの塩基配列が同じでも、DNAにタグを付けたり外したりすることで遺伝子が働いたり働かなかったりする現象(や学問)である。
このエピジェネティクスの例として、生田哲「遺伝子のスイッチ(東洋経済)」では、母親が低栄養の状態で生れると、その子供が肥満や糖尿病になりやすくなるとか、幼少期の環境によってストレス感受性が異なるという例が紹介されている。
ただし筆者(生田哲)が強調しているのは、遺伝子が同じでも環境次第で変わるという点のようだ。もっともエピジェネティクスによる変化は環境要因といつも関係して生じるわけではなさそうだ。そうなるとエピジェネティクスは「その他(独自性)」と共有環境の両方に繋がる現象ということになる。

c)共有環境
 安藤寿康は「共有環境は僅か」と言い切っているが、果してそうなのだろうか。
宮川剛「こころは遺伝子でどこまで決まるのか(NHK出版新書)」P40には以下のような表が載っている。
           知能テストの相関
一卵性双生児 同居    0.85
一卵性双生児 別居    0.74
兄弟     同居    0.45
兄弟     別居    0.24

これは性格ではなく知能テストの結果であるが、この表を見る限り「共有環境」の要因はそれなりにあるといえそうだ。

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