「自分探し」を探してみる(14)私の成り立ち・遺伝子2


「日本人の9割が知らない遺伝の真実」より

前回(13)→の続きです。 https://note.com/umi2100/n/nd955d27ded02

氏か育ちか、すなわち「性格を決定するのは遺伝子なのか、それとも生まれた後の経験なのか」という議論は今も続いている。前回は、子供時代の影響を重視する立場の本を紹介したが、近年は育ちより氏、という説が主流となりつつある。そのことを、安藤寿康「日本人の9割が知らない遺伝の真実日本人」という本を紹介しながら考えてみる。
 筆者は遺伝の影響を調べる行動遺伝学の第一人者であるが、もともとは「才能は生れつきではない」「人は環境の子なり」というバイオリンの早期教育の必要性を説く鈴木鎮一氏に深く傾倒していて、卒論テーマに選んだほどの環境論者だった。
ところがその後、環境によって決まる能力を証明しようと、双生児や養子の膨大なデータを調べた行動遺伝学の論文を読み漁った結果、ちょうど反対の主張をする研究者として活躍するようになったという興味深い経歴を持つ。
 以下、私にとって印象的だった内容をかい摘んで紹介する。

○性格、一般知能、精神疾患の遺伝の影響
・性格:大半は遺伝。家族の影響は僅か。
 最近は、性格をビッグ5と呼ばれる要因で捉えることが多いようだ。それは開放性(好奇心)、誠実性(勤勉さ)、外向性、協調性、神経症傾向(情緒不安性)の5つだ。このビッグ5の30~50%は遺伝の影響で、残りは非共有環境(家庭以外の要因)とされている。
・一般知能:5割以上が遺伝、家庭環境の影響もある。
一般的知能の場合は5割以上が遺伝。性格は共有環境(家庭環境)影響はほとんどないが、一般知能はある程度ある。
常識的には一般知能は、年齢を経るのに伴い遺伝よりも環境の影響が大きくなりそうだが、実際は逆で、環境に晒される期間が長くなるほど、遺伝的要素があぶり出されるようだ(P80)。
また音楽や執筆、数学、スポーツの才能に関しては、遺伝の寄与率が80%を越え、外国語の才能に関してのみ共有環境の影響が表れる。
・精神疾患
統合失調症や自閉症、ADHDは80%程度が遺伝で説明できる。
                                      ○遺伝の影響をどう考えるか
・「非相加果的遺伝」という不思議な現象
 実際の遺伝には沢山の遺伝子が関わっているため、メンデルの法則のような単純計算とは異なる遺伝の仕方になる。これが非相加果的遺伝で、ある条件では不利だが、別の条件では有利になるよう仕組みとして機能している可能性がある。
 たとえば統合失調症は生存競争には不利なはずだが、未だ進化の過程で淘汰されていない。その理由は、統合失調症の遺伝子が別の遺伝子と組み合わさることで、ある種の非凡な才能を生み出しているから、といった可能性である。
・家庭環境と子供の才能は関係なさそう
 親が芸術家やスポーツ選手で、子供もその道を選ぶというケースをよく耳にする。しかし親が何かに秀でていることと、それに対する子供の「好き嫌い」や「どの程度時間を費やしたか」との関係は、ほとんどが遺伝と非共有環境だけで説明できてしまい、家庭(共有環境)の要素は少ない(P96)。
・勉強するのはムダというわけでもないが・・・
 教育は生きていく上で不可欠なので、勉強はしなくてはいけない。しかしどの領域でどの程度のレベルまで辿り着けるかは遺伝的な素質で決まる。つまり誰でも努力さえすれば良い大学に合格できる、というわけではない。
・遺伝的素質は後から変化することもある(エビジェネテックス)
 母親が妊娠期に低栄養や高ストレスの状態だと、生れた子供が肥満や神経質になりやすいというデータがある。

○あるべき教育の姿
 教育の役割は、知識や能力を付けさせることにある。教育が一部の人だけに与えられると、知識や能力の個人差は教育を受けたかどうかにかかる。しかし教育があまねく行き届く状態だと、教育は個人間の格差を広げる方向に働く。
                                      ○私の読んだ感想
 この本によって、遺伝の影響の大きさを改めて知らされることになった。なかでも性格や、音楽や数学、スポーツといった才能に関しては、親などの家庭環境(共有環境)の影響が少ない。知識についても、遺伝の他に共有環境(家庭環境)の影響はあるが、年齢を重ねるほど遺伝の影響が強くなるという話は、複雑な気持にさせられた。 今ある自分は子供時代の影響を強く受けているという説を信じ、自分が社会で活躍できない原因を子供時代の傷付きと捉え、修復のためカウンセリングを受けたところで、報われることはないのだろうか? 努力すれば報われるという言葉を信じて、才能がないと言わても、諦めずプロ選手を目指して日々トレーニングに励むのは虚しい試みなのだろうか?
 こうした嘆きに対して筆者なりに答えてはいるが、逆転打となるような提言はないようなので、ここでは触れない。

今回はここまでにして、次回自分なりに考えた氏と育ちについて述べたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?