「自分探し」を探してみる(11)私の成り立ち・遺伝子

私の成り立ち・遺伝子

 私の成り立ちを、遺伝子、子供時代(6歳ごろまで)、現在までに三つに分け、もう少し丁寧に考えてみる。

 私たちの成り立ちに一番大きい影響があるのは遺伝子だということに異論を唱える人はいないだろう。しかし何となく、設計図によって家が建てられるように、遺伝子が全ての心や体を形作る、と理解している人が多いが、細かい点では違っている。

 たとえばネズミなどの実験で、生まれてすぐの時期から全く光がない状態で育てると、光を感知する神経系が未発達となり目が見えないネズミになってしまう。逆にノックアウトマウス(遺伝子操作による特定タンパク質が欠損したマウス)が、これという異常を示すことなく成長することもある(動的平衡、福岡伸一p160)。

つまり生後の環境しだいで、一部の遺伝子は一生使われない。また一部の遺伝子が欠けることがあっても他の部分で埋め合わせ(代用)するなど、家を建てる際の設計図よりはかなり柔軟だということだ。

 私たちは遺伝子の設計によって生れるのは確かだが、生まれた後もしばらくは設計図が書き換わる、とくに脳を含めた神経系において、その傾向が顕著だという点は私たちはもっと注目すべきであろう。

たとえば生まれたとき、手足だけでなく体の全てを使って乳房にすがりつき母乳を飲んで育つのと、口元まで運ばれた哺乳瓶のミルクを飲んで育つ場合とでは、臭覚や触覚など脳神経系における発達の様子はずいぶん違うのではないか。

 念のために述べるが、私はどっちが良い、という話がしたいのではない。私個人の場合、私が生まれたときは母はとても忙しい状態だったので、たぶん母の乳房を独占できた時間は少なかったと思われる。

もし、十分独占できたなら、私はもっと違う私になったかもしれないが、乳房を独占して育った姿が本来の自分だ、と主張するのはバカげているだろう。良いか悪いかは別として、私はそういう体験を経て、今の私になっているのである。


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