記事一覧
精神障害の原因の言い換えの試み
外因→「自分」の成立よりも前段階において起きている障害
内因→「自分」が成立するときにそこで起きている障害
心因→「自分」が成立した後に、その中で起こる障害
認識と主観と世界のつくられる順番
「認識」が「主観」の中に「出現」するきっかけは二つあると考えられる。
・一つは、身体の外から始まる流れである。
身体の外からの刺激 → 身体の感覚器官(による感知) → 「認識」との結びつき
・もう一つは、身体の中から始まる流れである。
身体の中からの刺激 → 疑問や欲求 → 「認識」との結びつき
「認識」は集合して「主観」を形成することで、初めて「主観」の中に「出現」する。言わば“「認識」から
自分の状態と新しい認識の把握
「自分」の「状態」を概ね同じ「状態」として保つためには、「自分」以外の対象もまた恒常的に存在する「認識」としてあらしめる必要があるだろう。「自分」の「状態」は「認識」の「集合」であるからだ。
しかし、ある対象が“新しい「認識」”として捉えられる場合、ある対象を“恒常的にある「認識」”として捉えようとする働きはどこかで停止させられる。
ある対象を新しい「認識」として捉える働きと、「自分」の「状態」の
会話と自分の場所 その3
「自分」の成立の危機とは何か。
「内容」と「場所」から得られる「認識」の集合が、“「主観」”という新たな「場所」の対になる、新たな「内容」になる。このときに、「場所」になるはずの“「主観」”が「主観」として成立しなければ、その他すべての「主観」全体の「集合」に集合することができなくなるだろう。“「主観」全体の「集合」”を“「自分」の「内容」”として考えると、「自分」の成立の危機とは、“「主観」全体
会話と自分の場所 その2
他者と会話ができるということは、1:会話という「行動」、「場所」が成立する、2:「自分」が成立している、ということであろう。
では、会話をすることは、相手に「場所」を与え、「自分」が成立することに寄与するのだろうか。
これはうまく作用するときもあるし、うまくいかないこともあると予測される。会話をすることで楽になったり安心することもあるし、プレッシャーや疲労を感じたりすることもあるからである。
「
内容および場所と、今ここの関係
「場所」は、常に「今」と「ここ」における「認識」を担う。
一方で、「内容」は、「今」と「ここ」をいつも説明しているというわけではない。
例えば、「仮定」や「推測」というような「場所」が障害されて「今」と「ここ」における“なんらかの「場所」”に代償的に近似された場合、その「場所」を障害されている事象性の「内容」が、“なんらかの「場所」”において新たに出現してしまうだろう。
「今」と「ここ」を説明し