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自分の考えをそのまま発表し、皆様に見ていただける場は他にありません。ありがとうございま…

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自分の考えをそのまま発表し、皆様に見ていただける場は他にありません。ありがとうございます。

マガジン

  • 認識とはなにか

    認識とはなにかを考察しました。

  • 認識と主観と自分について

    世界は内容と場所の中に

最近の記事

AIと精神科治療について

精神症状が増悪したとき、私たちはAIを使用して自分を治療することができるだろうか。 できるときもあるし、できないときもあるだろう。 自分の気持ちをAIに投影することができたとき、肩の荷が下りたような、カタルシスを得ることができるだろう。 自分がAIを使用しない限り、AIは役に立たないだろう。抑うつ症状や幻聴などの精神症状が強いとき、AIを使うことができないかもしれない。 “それが症状である”ことを自分がわからないとき、AIを使用しないだろう。 AIを使えるようになることが

    • 精神障害の原因の言い換えの試み

      外因→「自分」の成立よりも前段階において起きている障害 内因→「自分」が成立するときにそこで起きている障害 心因→「自分」が成立した後に、その中で起こる障害

      • 認識と主観と世界のつくられる順番

        「認識」が「主観」の中に「出現」するきっかけは二つあると考えられる。 ・一つは、身体の外から始まる流れである。 身体の外からの刺激 → 身体の感覚器官(による感知) → 「認識」との結びつき ・もう一つは、身体の中から始まる流れである。 身体の中からの刺激 → 疑問や欲求 → 「認識」との結びつき 「認識」は集合して「主観」を形成することで、初めて「主観」の中に「出現」する。言わば“「認識」から「主観」を組み立てていく仕組み”によって、我々はいきなり「認識」に面会させられる

        • 自分の状態と新しい認識の把握

          「自分」の「状態」を概ね同じ「状態」として保つためには、「自分」以外の対象もまた恒常的に存在する「認識」としてあらしめる必要があるだろう。「自分」の「状態」は「認識」の「集合」であるからだ。 しかし、ある対象が“新しい「認識」”として捉えられる場合、ある対象を“恒常的にある「認識」”として捉えようとする働きはどこかで停止させられる。 ある対象を新しい「認識」として捉える働きと、「自分」の「状態」の恒常性を保つ働きの両方を同時に達成する必要がある。 対象にどの「認識」をあてはめ

        AIと精神科治療について

        マガジン

        • 認識とはなにか
          13本
        • 認識と主観と自分について
          2本

        記事

          会話と自分の場所 その3

          「自分」の成立の危機とは何か。 「内容」と「場所」から得られる「認識」の集合が、“「主観」”という新たな「場所」の対になる、新たな「内容」になる。このときに、「場所」になるはずの“「主観」”が「主観」として成立しなければ、その他すべての「主観」全体の「集合」に集合することができなくなるだろう。“「主観」全体の「集合」”を“「自分」の「内容」”として考えると、「自分」の成立の危機とは、“「主観」全体の「集合」”に支障を来すときである。 一つの「主観」の「場所」が障害されることで

          会話と自分の場所 その3

          会話と自分の場所 その2

          他者と会話ができるということは、1:会話という「行動」、「場所」が成立する、2:「自分」が成立している、ということであろう。 では、会話をすることは、相手に「場所」を与え、「自分」が成立することに寄与するのだろうか。 これはうまく作用するときもあるし、うまくいかないこともあると予測される。会話をすることで楽になったり安心することもあるし、プレッシャーや疲労を感じたりすることもあるからである。 「自分」や「自分」の「場所」が危機にさらされたとき、それを乗り越えるためにはどのよ

          会話と自分の場所 その2

          会話と自分の場所

          言葉は発音のパターンとその組み合わせである。 文章は言葉でできており、ある事柄を表すことや情報交換に使われる。 話し手が聴き手に自分の意見を文章で表そうとするとき、それを完璧に表現することは難しい。聴き手もまた、話し手が伝えようとしている内容を完全に理解することは難しい。 文章は単語の連続であるが、単語の意味を理解し、文章の意味を理解しても、相手の言いたいことを理解したこととイコールではないことが関係しているだろう。 大体の場合、“相手が聴く文章と相手に伝えたい内容とは別物

          会話と自分の場所

          内容および場所と、今ここの関係

          「場所」は、常に「今」と「ここ」における「認識」を担う。 一方で、「内容」は、「今」と「ここ」をいつも説明しているというわけではない。 例えば、「仮定」や「推測」というような「場所」が障害されて「今」と「ここ」における“なんらかの「場所」”に代償的に近似された場合、その「場所」を障害されている事象性の「内容」が、“なんらかの「場所」”において新たに出現してしまうだろう。 「今」と「ここ」を説明していなかった「内容」が、「今」「ここ」で新たに“「現実」”として出現することにな

          内容および場所と、今ここの関係

          病的な認識と自分の図

          病的な認識と自分の図

          認識と自分の図 補足 その3

          認識と自分の図 補足 その3

          認識と自分の図 補足 2/2

          認識と自分の図 補足 2/2

          認識と自分の図 補足 1/2

          認識と自分の図 補足 1/2

          認識はいつどこでつながっていくのか その3

          「自分」は「主観」の中で「身体」や「外界」を得る。「自分」は、「身体」や「外界」が「今」「ここ」に存在すると感じるだろう。覚醒時と睡眠時の違いは、「身体」や「外界」を得ているかどうか、「今」「ここ」を得ているかどうかの違いにあると言える。 「身体」や「外界」を介して結びついている「今」「ここ」を手に入れることで、「今」「ここ」と結びついている「認識」を手に入れることができるだろう。

          認識はいつどこでつながっていくのか その3

          認識はいつどこでつながっていくのか その2

          一つの「認識」に含まれる「認識」の集合やその内容は、いつも完全に同じではないかもしれない。新たに出現した「認識」が既存の集合に含まれうるからである。にもかかわらず、これまでと“同じ「認識」”としてその集合は維持される。見たことのない「みかん」の品種に出会っても、「みかん」という「認識」の集合は崩壊しないだろう。 その時によって集合の部分は変わるかもしれないが、全体は保たれる。これによって、新たな「認識」が既存の「認識」とつながりを持ち得るのかもしれない。

          認識はいつどこでつながっていくのか その2

          認識はいつどこでつながっていくのか

          自分の認識できる情報が「認識」として保存されると仮定する。「認識」は情報を保存する手段であり、保存されたかたちである。 人は自分の目で物事を認識する。「主観」の中で「認識」は得られる。「主観」は「認識」の集合という意味で、「主観」も「認識」である。「主観」の集合が「自分」であるとすると、「自分」も「認識」である。 「自分」が「主観」を通じて「認識」を得る「今」「ここ」が、「認識」同士がつながり、新たな「認識」の形成される場所ではないだろうか。

          認識はいつどこでつながっていくのか

          夢と認識 その3

          楽しい夢や怖い夢など、夢には感情が伴うことがある。悪夢で夜中に飛び起きることがある。覚醒時のように「内界」が完全に成立していない場合でも感情は出現するものであり、認識や主観の活動が感情や恐怖を呼び起こしていると言える。むしろ、覚醒時には悪夢ほどの恐怖を感じることは少ないのではないだろうか。 朝起きると、意図せず自分が成立している。自分の活動を生みだす機能が身体に備わっているからだろう。身体にとって、覚醒時に自分はあって当然のものである。 もしも、夢のような現象が覚醒時に起

          夢と認識 その3