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ASD(アスペルガー症候群)やADHDの特徴を有する人間が一般社会で生きていく上で覚えておくべきこと

ASDやADHDに関する記事は、センシティブな内容が多いので極力書きたくないんですが、感謝のメッセージやら相談をいくつかもらったので、今回は少しだけ書いていこうと思います。
相談に対する明確な回答ではないですが、ヒントにはなるでしょう。



ASDやADHDの特徴を有する人は意外と多いです。

私もガッツリASDの特徴を有しているので、同類たちの存在にはすぐに気づきます。
長年自覚を持って生きているプロのASD、ADHDの皆さんはちゃんと自分の特徴を理解していますし、大抵の場合は医師からも指摘をもらっているので、周りの同類に敏感です。
ASDの場合は共感性が若干弱いので、他人に興味自体はないことが多いですが、心の中で「あいつもこっち側やな。大変やろけど、頑張れよ」とは思っています。

統計上は、ASDについては50人に1人、ADHDについては20人に1人くらいいると言われていますが、診断を受けていないだけの話で実社会ではもっと多いです。
私の経験則でいうと、診断が出るかどうかギリギリのゾーンだなと思う程度のASDは20人に1人程度、ADHDについては15人に1人程度いると感じています。

そしてASDやADHDの割合は、年収の高いスペシャリスト職種や専門家と呼ばれる職業において高くなります。
エンジニア、医師、公認会計士、弁護士などの専門職ではASDが非常に多く、体感としては10人に1~3人くらいのペースで出会うことができます。
営業職や頭の回転の速さが必須のコンサル職などではADHDが多く、トップ層の人たちの中には2割ほどいるという体感です。

これは、ASDやADHDの一部が、特別な才能を持っていることが多いからです。

例えば、ASDは、自分が好きな特定の行為や作業にだけ集中させると、他の人では真似できないほどの集中力を発揮して、あっという間に天才の領域に踏み込んでいきます。
ADHDも行動量という点で強い特徴を持っているので、行動量がものをいう作業などで実力を発揮することがよくあります。
それゆえに、年収が高い層の人たちや専門家の中にASD・ADHDが多くなるのだろうと思っています。

これは高偏差値の高校・大学でも同じことがいえます。
私の知人の東京一工阪卒の人たちや、灘・開成・麻布・筑駒卒の人たちの多くは、ASD又はADHD、若しくはその両方の特徴を強く有しています。
学力が極めて高いがゆえに、周りから「あの人は天才だから変わっている」という認識を持ってもらっていて、それで許されているところがあります。

しかし、もし仮に彼らに学力が無かったとしたら、かなり生きづらい人生になっていたはずです。
別の視点から言えば、学力に救われた人たちと表現しても良いでしょう。

彼らのように、学力という武器がある人はまだ社会で生きていけるのですが、中途半端な能力しか持っていない場合、生きづらさの程度が跳ね上がっていきます。
最近の言葉でいうと、いわゆるグレーゾーンにいる人たちです。

ASD・ADHDには程度の差があるので、明らかにそうだといえる人以外は皆グレーゾーンにいます。
そして私の知っている限りでは、そのグレーゾーンこそが最も辛いゾーンです。

自分が健常者なのか、それとも発達障害持ちなのか、どちらか怪しいけど、とりあえず人間関係でずっとトラブルを抱えているという状態を長年経験します。
その上で何か特別な能力を有しているわけではないので、周りからポンコツだと認識され、社会での居場所がなくなっていきます。
それが何年も続くので、他の症状(鬱、不眠症、パニック障害など)まで併発してしまうことがよくあります。
グレーゾーンにいる人たちは人数が相当多く、発達障害のことをあまり良く知らずに、理由もわからず悩み続けている人も多数存在します。

言葉選びが正しいかはわかりませんが、自分がASD・ADHDだと気づけている人たち、又は、その特徴を有利に利用できた人たち(学力に助けられた人たち)は、まだマシなのです。
特徴に対して深く理解して、活用していけば、対処もできるので。

すべてが中途半端になってしまうのが一番怖いことです。
私も元々中途半端側なので、その生きづらさを骨身に染みる地獄の経験を通じて知っています。
だからこそ、我々には忘れてはならないことがたくさんあるのです。

それを今日、書いていこうと思います。
なお、これはただの私見であって、科学的根拠はないので、その点はご了承ください。
無料で読めるただのブログみたいなものなので、あまり多くを期待せずに読んでもらえればと思います。



一点集中すること

一発目から極論を言いますが、我々が一般社会で生き残る道は、一点集中しかないと思っています。
ASDについては特にそれが当てはまります。

中途半端な学力、中途半端な能力で生き続けるには、あまりにハンディキャップが大きいのです。
健常者の皆さんと同じ土俵で戦っている限り、我々には勝機がないですし、おそらく邪魔にしかなりません。
最終的には居場所がなくなって、自ら退場せざるを得なくなっていきます。
すでにそういう経験をしている人も多いでしょう。

私は極めて貧しい地域で生まれ育っているので、日本とは思えないような貧困家庭も多く見てきています。
それゆえに、普通の人よりは地獄を理解しているつもりです。

その経験を踏まえて言わせていただくと、社会は中途半端な能力しか持っていない発達障害者を受け入れられるようにはできていません。
そういう人を徹底して排除するようにできていると言っても過言ではないくらいです。

だからこそ、我々は一点集中によって特別な能力を身につける必要があります。
その他大勢よりも高い能力を有する人間にならないと、居場所を作れないからです。

私は大して頭が良くなかったので、その居場所を確保するのに10年もかかりました。
小学生レベルから勉強をやり直して行って、世間一般で高学歴と呼ばれるレベルまで到達するのに10年です。
それでやっと自分の働く場所のようなものができました。
長く苦しい旅でしたし、気が狂う一歩手前まで勉強をし続けたので、できれば二度とやりたくないです。
しかし、それしか道が無かったなと今でも思っています。

たしかに、出会い運がとても強い人については、一点集中しなくても許容してくれる場所が見つかるかもしれません。
周りの人に恵まれることで、なんとか働き続けられる場所が見つかるかもしれません。

しかし、それはあと何年続くのでしょうか。
その会社が潰れたらどうなるのでしょう。
周りの人が転職や人事異動などでいなくなったらどうなるでしょう。

すべての人がASDやADHDに許容性があるとは限らないのです。

いつ放り出されるかわかりませんし、いつイジメの対象にされるかわかりません。
そもそも対人関係でトラブルを起こしやすいのは我々側なので、いつ誰が敵に回ってもおかしくないです。

そういう人間が長く生きていくためには、一点集中的に能力を磨いて、どこの会社でも「とりあえずこの職種では使えるやつ」というポジションを確保しないといけないと思っています。

私の知る限り、長年存在を許されているASD・ADHDの人たちの多くは、士師業(医師・公認会計士等)及び芸術家(歌手、演奏者、YouTuberなど)の人たちや専門職の人たちばかりなので、そういう道しかないという確信を持っています。
できる限り早い段階で、特定の科目に絞って、何か突き抜けた能力を身につけるべきです。



他人に期待しない

ASDやADHDの特徴を有する人の中には、他人に理解を求める人がいます。
自分たちの特徴をよく理解して、寛容であれと要求しているのです。

個人的な見解として、これは間違っていると思っています。
むしろ、迷惑をかけられているのは健常者の皆さんなので、心から申し訳ございませんという気持ちです。

自分たちの辛さを理解しろ、受け入れろ、もっと寛容であれ!なんて、そんな図々しいことを考えたこともなければ、思ったこともありません。

それに、理解して受け入れるなんて、無理だと思っています。

極端な例でいうと、生まれつき目が見えない人に、空の色を解れと言っているようなものですし、生まれつき両手がない人にキャッチボールをやろうぜと言っているようなものです。
そもそも不可能です。

だからこそ、他人に過大な期待を持つこと自体が間違っています。

我々側がおかしいのですから、まずはそのおかしな特徴をよく理解して、極力他人様に迷惑をかけないように配慮すべきです。
そういう努力を最大限までやった上で、ほんの少しの理解(こいつはこういうポンコツ仕様なのねという理解)をしていただければ、それで十分でしょう。

それ以上を望むのは間違っていると思います。



迷惑をかけている自覚を持つこと

我々は、自分たちが思っている以上に、周りに迷惑をかけてしまっています。

ASDは、他人への配慮とか、空気を読むということがとても苦手なので、健常者の皆さんがけして言わないであろう言い方で、言ってはいけないことを、言ってはいけないタイミングで、平気な顔して言い放ちます。
それによって、多くの人を恐怖させ、傷つけ、苛つかせています。

私もその事実に気づくまでに長い時間がかかってしまいましたが、気づいた後は死にたくなりました。
自分がどれだけ周りの人を傷つけてきたか……
申し訳無さでいっぱいです。

その発言をしていた当時は、それが悪いことだという認識すらなかったです。
自分の育った家庭(親父が私の10倍くらいASD)では、もっと酷い暴言や殺意のこもった暴力が頻繁に発生していたので、感覚自体がおかしかったというのもあります。
様々なことが負の意味でのピタゴラスイッチになって、一般の常識を全く理解できていませんでした。
心から反省しております。

そして、完全には治せないということも、今では理解しています。

私の場合、考えるよりも先に言葉が出てきてしまうからです。
私の意思とは無関係に頭が高速で回転して、相手が最も言われたくない正論パンチを瞬時に繰り出しています。
ほとんど自動制御なので、こちらでコントロールができません。
場の空気が凍りついて、皆が恐怖している顔を見て、いつも「あ、またやっちまった」と思うだけです。

私の取り得る最善策としては、沈黙しかありません。

私はクラピカを神と仰いでおります


ADHDの皆もそうです。
私の比較的仲の良い人に、だいぶヤバい子がいます。

この子は、こちらの指示を極めて頻繁に忘れます。
Aというタスクをやっているときに、Bのタスクが一瞬脳をよぎると、衝動的にBのタスクをし始めて、Aを完全に忘れるということを繰り返します。

理解力も乏しいので、間違った解釈も極めて頻繁にしています。

わかりやすく例え話でいうと、とある夫が妻に「ダイエットしたいからご飯の量を減らさないといけない。お米の摂取量を減らしたいから、お米の量を減らしてもらって良い?」と依頼したとしましょう。

すると、妻は「わかった!任せて!」と答えます。

次の日、少量で盛られたお茶碗が4杯分出てくる・・・ということが起こります。

本人としては、お茶碗に盛るお米の量を減らしているつもりなのですが、実際に出されたお米の総量はむしろ増えています。
指示の趣旨を理解したり、臨機応変に対応することが極端に苦手なのです。

一般の人ではこういう解釈がなかなか出てこないでしょうけど、ADHDの人はこれくらいアクロバティックな解釈をかましてきます。

これをビジネスの世界で、極めて頻繁にやられると思ってください。
重要なプロジェクトでやられたら殺意を覚えるほどの失敗です。


上記の例はほんの一部で、ASD・ADHDの人間は、確実に周りに迷惑をかけています。
迷惑をかけずに生きられるはずがないのです。

だからこそ、せめてその自覚は持ちましょう。
最低限の礼儀として、自覚だけは持っていないと人としてアウトです。



他人に極力関わらないこと

上述のとおり、我々は様々な点で他人に迷惑をかけていますから、徐々に周りからハブられて(仲間外れにされて)いきます。
子供の頃からずっとそうだったと思いますが、ぼっちまっしぐらです。

私もずっとそうですし、ASD・ADHDの仲間たちもみんなそうです。
子供の頃からぼっちを極めし者です。

例外として、灘や開成の子については、周りの大半もASD・ADHD又は変人(天才)ばかりなので、意外と気があって仲間っぽい集団に属していた人もいますが、世間一般でいう「友達」とはまた違った比較的ドライな関係性です。

いずれにしても、健常者の皆さんやその他大勢とは異なる感性・思想・感覚・価値観・能力などを持ってしまっているのが我々なので、迷惑をかけないようにするためにも、極力他人と関わらないようにするべきです。

私の経験則では、無理に他人と関わろうとすることによって事故が起こります。

周りの事例を見ている限りでもそうです。
寂しさや孤独感に負けて、他人と無理に関わろうとしてしまうから、よりヤバい状況に陥ったり、詰んでしまっています。

我々は、他人と上手に付き合っていくことを早々に諦めて、一人で生きていく覚悟をまず決めるべきです。

その覚悟を持つことで、考え方が変わってきますし、他人に依存する傾向が無くなっていきます。

他人に頼ったり、期待したり、依存するから、絶望するのです。

自分一人で生きていくにはどうすればいいか、どうすべきか。
まずはそこを考えて、自立してください。

いつまでも子どものままではいられないので、何かしらの強みを持つために努力をして、勉強して、一人で生きていく術を身に着けましょう。
そうやって、強く一人で生きていけるようになると、不思議と周りに人が居てくれるようになります。

常に誰かを頼ろうという依存型人間より、独立して自分で生きていける人間の方が、仲間も作りやすいのだと思います。



感謝を行動で示すこと

我々の思考回路は単純又は複雑過ぎるので、時々本当に大切なことを見失ってしまいます。
感謝を行動で示すこともその一つです。

我々のような変な特徴を持っている人間と一緒にいることは、健常者の皆さんに多大なるストレスや負荷を強いることになります。
それが長年続くと、カサンドラ症候群という弊害を招いてしまうこともあります。


自分の大切な人たちを傷つけないようにするために、極力関わらないことがまず第一ですが、それと同等に大事なこととして、感謝を行動で示すべきです。
我々のような人間の傍にいてくれるだけで、極めて稀な尊い人物なのですから、毎日感謝の言葉を伝えても足りません。
毎月プレゼントや特別手当を出してもいいくらいです。

私は感情の起伏が乏しいので、行動で示すのがとても苦手ではありますが、突然意味もなく、うちの秘書にプレゼントを渡したりしています。
誕生日とか、クリスマスなどの行事に一切興味がないので、そういうのは忘れがちですが、ある日突然思いつきでそういうことをします。

これもまた変な行動の一つなのですが、やらないよりはやったほうが良いと思っています。

私というクソ野郎の下で働くのは、想像を絶する苦痛を伴います。
私はASDであるがゆえに、自分の好きな分野の膨大な情報を瞬時に脳内で整理できてしまう傾向があり、それを一気に渡して、複数の場合分けが存在するタスクを指示したりしますから、秘書の立場に立って考えるとクソ野郎でしかありません。

だからこそ、思いついたら即何かを買ってあげるようにしています。
いつもすみません、ありがとうの意味を込めての感謝の証(免罪符)です。

そういうのを忘れたら、我々は終わりだと思います。
周りに人間がいてくれる、それ自体が特別なことなのです。



一人ではないこと

ASD・ADHDで悩む人の中には、周りに同類がおらず、自分ひとりだけがこんなに悩んでいるのではないかと思っている人もいます。

しかし、それは間違いです。

ASD・ADHDで悩んでいる人は山程います。

ほんの一例ではありますが、ASD・ADHDを原因として、悩みを抱えている人たちの事例を以下に列挙しておきましょう。
すべて私の知人たちの実例です。


  • 配偶者と上手く行かず、離婚危機に陥っている人

  • 妻や子どもの悩みが理解できず、家庭崩壊してしまっている人

  • ADHDが原因ですでに3回離婚している人

  • 子どももASDになり、学校で酷いイジメにあっている人

  • 「もう限界だ」と言われて先日離婚されてしまった人

  • 自分の発言で人を傷つけてしまったが、その後も失言を抑えらない人

  • 自分の失敗に対する後悔で不眠症になっている人(非常に多い)

  • 過去の失敗の罪悪感でうつ病になっているが、会社にも同僚にも言えないまま何年も働き続けている人

  • 自分の失敗の多さに辟易して、毎日死にたいと思っている人

  • 恋人と長続きせず40歳超えても独身で、絶望感で打ちひしがれている人

  • ADHDの特徴が原因で出世機会を逃して将来に絶望している人

  • ASDの特徴が原因でパワハラ問題に発展して訴訟を起こされている人

  • どこの会社でも対人関係で上手く行かずに転職を繰り返している人

  • 失言が多すぎて皆に嫌われているのに、すでに他に行くところがない人

  • 家がゴミ屋敷になってしまっている人

  • 他人への配慮に欠けた行動が原因で懲戒処分をくらっている人

  • 衝動が抑えられずに大きな事故を起こしてしまって人生詰んだ人


例を挙げれば切りが無いほどたくさんあります。
ちなみに、上記の例の中には年収が高い人達も相当数含まれています。
客観的には「年収が高いエリート」のように見えるかもしれませんが、実態としてはASDやADHDの特徴によって失敗し続けていて、精神的にも疲弊していつどうなってもおかしくない人たちです。
そういう人たちがたくさんいるのです。

あなたもその中の一人でしかないです。
沢山いる悩める仲間の一人です。

そう思うと、少しは楽になるかもしれません。



病院に行っても解決しないこともある

医療を否定するつもりはないですが、私の見てきた限りでは、現代の医学ではASD・ADHDは治せないと思っています。
医者側からすると、ずっと投薬できる対象なので儲かるビジネスだとは思いますが、患者側からすると下手な希望や期待を持たない方が良いと思います。

特にASDについては先天的な場合が多いですし、治療薬もないという認識なので、一生付き合っていくしかありません。

手がない、足がないのと同じで、無いものは無いのだと思って、それなりに生きていくしかないのです。

そもそも我々には、他人の心を正確に理解する能力が欠如しています。
衝動的な行動を制御する機能が馬鹿になっています。
言ってはいけないことを理解する能力が乏しいです。
感情の起伏をコントロールする能力も足りません。
一つのことに集中すると周りが全然見えなくなります。
他人の言葉を文字通り受け取って勘違いすることもよくあります。

そういうポンコツ仕様で生産された製品であるということをまず認識して、受け入れないといけません。
それは重く苦しい事実かもしれませんが、現実は変えられないので、受け入れる以外の選択肢がありません。

それに、過去の失敗も変えられませんから、心の底から反省、謝罪して、もう二度と迷惑をかけないように関わらないようにすることくらいしかできません。

忘れてはならないことは、我々が変えられるのは未来だけという事実です。

自分の特徴(ASD・ADHDそれぞれ異なるし、個人差も激しい)を深く理解して、メカニズムを分解して、一つずつ予防策を講じていくしかないのです。
そういう努力を怠った時点から人生が終わっていくのだと思います。

そして、それと同時に、自分の強みを理解しましょう。

私は、人と上手に付き合うことはめちゃくちゃ苦手ですが、一つのことをアホみたいに続けることが得意です。
勉強もその一つで、呼吸と同じ感覚で続けられます。
別に勉強が好きというわけでもないし、どちらかというと辛い活動ですが、それでもお金のため、自分の将来のために続けています。

自分の強みを理解して、一人で生きていくための手段として活用しましょう。
選択する科目や分野を間違わなければ、長く続ければ続けるほど有利になります。

そうやってお金を稼げば、ひとまず誰かに頼らなくても生きていけるようになります。

資産が3,000万円超えれば、切り詰めれば配当だけで生活できるレベルに到達します。
5,000万円超えてくると、将来への不安もかなり減ります。
1億円を超えれば、贅沢はできませんけど、配当や利回りだけで一生生活できます。
2億超えればもう安泰です。

我々には、健常者にはない特徴があって、使い方によっては有利にも不利にもなります。
だからこそ、まずは自分をよく理解することが大事です。
そのために病院が役に立つなら良いですが、多分自分と向き合う時間を増やす方が効果的だと思います。

強みを伸ばして、弱みを受け入れる戦略を取って、一点集中で頑張ってください。

そして、できるだけ早く、株式投資、不動産投資、コーディング(エンジニア)、YouTube、作画、執筆、会計処理などの人とあまり関わらなくても生きていける術を身に着けてください。


おじさんからのアドバイスは以上です。


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