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出来ない事のその向こうにあった出来る事~特性を多角的に見る~



私の特性そのものについて考えた時、
私の出来ない事、...に対比して、私に出来る事...と考えました。
出来ない事の、反対側に、出来る事、があるのかもしれない...と思いました。
ふと気づいた事がありました。


他者とのコミュニケーションで、
私が聞いてすぐに理解出来ない言葉、言葉の裏に別の意味が含まれていたり、曖昧な言葉は、
相手に、必然的に聞き返す必要がある言葉です。
私が、相手の言った事を理解する為に、敢えて再度、どういう事なの?と聴き直す必要がある部分です。
それは、例えばですが、
もしも私が誰かと、相手が心に抱えている何かモヤモヤする気持ち等について話している時なら、言葉の裏や、曖昧な言葉の奥には話しづらい本音本心があったり、相手が自分では気づいていない何か思い込みがそこにある場合があるのかもしれない。
もしかしたら、相手が無意識に隠したい、気づきたくない気持ちがある...という場合もあるのかもしれない、と思いました。


もしかしたら、私は持っている特性のおかげで、相手に必然的に質問して聴き返すそこに、相手が思い込みに気づく為に掘り下げる事が出来る余地があると、
大切な何かに気づくポイントが、そこにあるのかもしれないと、自然に気づく事が出来るのかもしれない...と。
もしもそうだとしたら、誰かの心の中の、話しを聴いてあげられるかもしれないと。
相手がもしも必要とするのならば、何か、一緒に考えて、何かに気づき、何かを伝えてあげられるかもしれないと、...
もしもこの事を活かす事が出来たら、私は誰かのために何か力になれるんじゃないか...と、
そう思いました。

出来ない部分は、自分の特性のマイナス要素だと感じていましたが、実は神様からもらったプレゼントなのかもしれない...宝物なのかもしれない...と思いました。


私の場合は、今ぼんやりと、そう思うだけです。
ふと思っただけです。
何の確証もなければ、何の検証もしていないので、気のせいかもしれないし、何もないかもしれません。思い違いかも...とも思います。
でも、なんとなく、自分に感じた可能性でした。
今従事している仕事に加えてもうひとつ、自分の中にポッと見つけた灯りのように思いました。
豆電球みたいな小さな灯りです。でも、嬉しくなりました。
今の私は何の不足もなく満たされていて、好きな事を好きにやれて、分かちあう仲間がいる幸せを感じられています。
そう感じられるのは、目に見えて支えてくれている家族や、関わってくれているまわりの人達のおかげですし、目には見えないけれども繋がり合っている人達や、確かに感じる大きな存在に守られて支えてもらっている、そのおかげです。
日々そう実感した時に、心が震えるその時に、手を合わせて、心深く感じる感謝を言葉にしています。自然に涙が流れます。涙は私にとって大切な、癒しで浄化で、自己受容と許しになっています。
今のままの私も、可能性へと歩むかもしれない私も、どちらの自分も好きでいたいと思います。
私はもう、私のままで、生きていいからです。
誰もが、そのまま自然体で、生きていいからです。


焦る事はしません。
もう無理も、出来ません。
自分の過去の体験と、その後の向き合いで、心(脳)がどれほど大切なものか、及ばないながら、少しはわかって来たつもりでいます。
心の事は、とても繊細な事なので、相手本人が望まない限りは、私からは触れる事は出来ない領域の事です。
その人自身をずっと守り保って来た大切な心。
思い込みは、その人(私)が生きられるように、ずっと心身を守って来てくれた大切なものでした。
だから、ただ思い込みを見つけて意識をどんどん書き換えればいいというものでもない、と。
個々の気持ちに合わせた丁寧さ、慎重さが必要不可欠だと思っています。
大切なその事と、自分が持つ別の特性も考慮して、自分なりの方法とペースで、自分を愛し優しく寄り添いながら、特性の多角的な面を磨いていけたら...と思っています。



そして、私を含めて誰もがそのままで、個性特性豊かに、ありのままの自分で、生きたいように生きていいという事が大前提で、お伝えしたい事は、
自分では、出来ないと思っていた、思い込んでいた、その反対側に、これが出来ないからこそ、これが出来る、という事が、あなたにもありませんか? という事です。


出来ない事、出来ないと思い込んでいた事をいろいろな角度から見て、ハッとする角度はありませんか?
何か、気づく部分は、ありませんか?
もしかしたら、出来ない事のその奥に、
これは出来ないけれど、実はこれが出来るよ、と語りかけてくる何かがあるかもしれない...。
出来ない事を、少し視点を変えて見た時に見えた、出来る事。
出来ない事はマイナス要素だと思い込みがちでしたが、もしかしたら、同時に、プラスの要素もあるのかもしれない...。
それは、特性があっても、なくても。
1人1人に素敵な個性があるように、きっと誰にでもあるのでは...、と思います。
自然体の自分を、少しずつでもありのまま表現する事が出来るのは、喜びになると思います。
たとえ、今はまだ、見えなくても、
あなたが持つ、あなただけの可能性や強みが、
あなたのこだわりが活きる光り方が、いつか気づいて...と、見つけてくれる事を待っているかもしれません。


等身大の自分が、素直な気持ちで感じる好きな事に。
自分に正直になって、心がわくわくする事に。
色々な、○○しなければいけないという状況がある中で、喜びを感じつつも疲れ過ぎたり、頑張らないといけない日々の中で、
仕事でも、趣味でも、娯楽でも、自分をホッと癒してくれる事、なんでも。それが、ナビになって、道案内をしてくれる気がします。


本当に好きな事 ( ≠好きだと思い込んでいる事 )
なら、わぁ...大変だ...と感じる事も、それに伴う工夫や努力が、苦なく無理なく行えて、何の見返りも求めずに、心が伸びをして、わくわくする楽しみになると、そう知りました。
愛とわくわくが循環していくんだな...と知りました。


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先日、親戚の伯父が亡くなり、義父母と共に葬儀に参列しました。
魚釣りが大好きな伯父で、よく釣った魚を持って来てくれた事を思い出しました。
安らかに眠る伯父の周りに生花を置く際、今までの関わりへの感謝を伝えて、見送りました。
それぞれが帰途に着く頃、親戚の伯母に、子供の近況を話した際に言われました。
先楽しみ(さきだのしみ)だねと。
確かに...と思いました。そして少し時間が経ってから、その言葉が穏やかに響いてきました。
先の楽しみ。
私達はいつかは亡くなるけれど、
生きているうちは、誰もがみんな、先に色んな楽しみがあるとイメージして、体験して。
それぞれ、今を大切に、今日を、明日を、明るく楽しく過ごしていこうねと。
そんなふうに言葉をもらった気がしました。





カラー・ユア・ライフ / 葉加瀬太郎



最後までお読み頂き、ありがとうございました。







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