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愛と感謝を伝え続ける事~恐れからの気づき~



note初投稿から、先日1年経ちました。
速かったような、もっと長い時間が経ったような...両方を感じました。
どちらにしても、この1年は私にとって貴重な体験を重ねた時間でした。その体験は、今の私へと繋がっています。


昨年の年末頃から、1月の間は、私は自分の中にあった根深い恐れの気持ちからの学びがありました。
私はある学びの場に、興味がありました。迷った末、説明会に参加してみました。
その後、もう1歩踏み出す事が出来たら、学びの場へ向かえたかもしれません。

でも、説明会の後、正直に言って私は気後れしてしまいました。引け目を感じて、私はその場に混ざれない...私は場違いなのでは...?... 私には何もない...そう思ってしまいました。劣等感を感じました。


そう思ってしまった直後に、...え... ... 。と、愕然としました。
この気持ちは、自分が自分の事をまだ肯定出来ていないって事だ...と思いました。
私は自分で自分をしっかり肯定出来ていない...。
自分で自分をしっかり認められていない...という事...。
私は...まだ、自分で自分の事を差別しているじゃないか...と気づいてショックで蹲り泣きました。
昨年の向き合いで心がけて、もう出来ていると思っていました。自分で自分を全肯定出来ている。全受容出来ている。以前は出来なかったけれど、出来るようになったと思っていました。でも、まだでした。
そして、こんな気持ちの現状の自分では、まだ外へ学びには行けない。その段階ではない、そう思いました。
しばらくそのショックな気持ちを感じ、抱え、共に過ごしました。その後、心身共に落ち込んでしまう事も色々重なり、その気持ちのまま、時間が経過しました。


無理やりに気持ちを回復させようとはせずに、受容して自然の流れに任せて過ごしました。今のありのままの自分、無力だと感じる自分、弱い自分も受け入れました。
そして、私は今の私に出来る事をしようと思い直し、それから後に気持ちが復活していきました。
その時に、気づいたのは、
昨年の向き合い中、私は何度も何度も感情を深く、時に涙と共に感じきり、思い込みに気づいて手放して捉え方を書き換え、自分で自分を認める事、本心で全肯定する事、全受容する事、自分に感謝する事をしてきたつもりでしたが、それに加えて、具体的に自分で自分を褒める事がまだまだ足りなかったんだ...という事でした。

自分の心に従って行動してみて、私の心の中にあった根深い恐れの感情を感じる事が出来て、そのおかげで、気づけた事でした。
ネガティブな感情を感じた時は辛さも苦しさもありますが、同時にそれは自分にとって大切な事を気づかせてくれる事。再度その事を感じました。
そうしたら、恐れの気持ちにも、ありがとうと思いました。恐れの気持ち、ネガティブな気持ち、出て来てくれて、ありがとうと。今までそんなふうには思った事はありませんでしたが、この時は本心でそう思いました。



謙虚さや、謙遜する事、それは日本人の美意識の1つと言われて、素晴らしい文化で、相手を尊重する時とても大切な意識だと思います。
でも、それはきっと、自分を適正に知って、自己肯定が出来ていて、自分に適正な自信を持てて初めて、心がニュートラルな状態で初めて、心から相手を尊重し自分が謙る。と、そう表現出来て、その時美しいのだと思います。
それとこれは話しが違っていて、これは自分以外の理由で偏ってしまった心をニュートラルに戻そうとする時、大事だと思う事です。


幼少期に無条件の愛が与えられず、肯定される事なく、自分がわからないまま育ち、自己肯定感を育てられなかった人。
もう十分頑張っているのにも関わらず自己評価が低いまま過ごしている人や、生きづらさを感じている人は、まず、自分で自分を無条件に認める事、自分で自分を本心で褒める事、自分で自分を全肯定する事。それは、知らず知らず偏ってしまった心を中庸に戻そうとする時、欠かせない、大切な事だとお伝えしたいのです。


幼少期、またそれ以降、自分ではどうする事も出来なかった様々な環境での体験がありました。
そのために、自分の心身が、自分自身の命が、かけがえのない大切な存在だという事。
自分で自分を愛する事、自分で自分を大切にする事がどれだけ重要なのかを知りませんでした。
本当に大事な事に、気づきませんでした。
無意識に、そういう事を考える事もなく過ごして、心は大きく偏った状態で一生懸命生きてきて、生きづらくなってしまった私達が、その生きづらさやその原因に気づいて、手放そうとする時には、一見偏っていると思える程にまで念入りに、まずは自分で自分を愛する必要があるんだと思います。
心深くから本心で、自分を愛して認めて褒める。生きててえらい、生きてるだけでえらい、今まで生きてきてくれて本当にありがとう、と自分に伝える。伝え続ける。
そう出来て初めて、やっとちょうどいい塩梅、ニュートラルな心になれる、戻れると気づきました。


種を植え発芽して育っていく為には、種を植えた直後から日々たっぷり滴る程の水や暖かな日光が必要なのと同じように、私を含め生きづらさを抱えてしまった人の愛を知らない乾ききった心に潤いを戻すには、まずはたっぷり自分で自分に優しく大切にして、今この瞬間まで生きてきた事を認めて労い、感謝の言葉を伝えて、自分で自分を褒めて、しつこい程にまで、本心で優しく、自分を肯定する言葉をかけ続ける。そうしなければ、心に潤いが浸透していかないのだと思います。
心の思い込み、ブロックをとったあとに、自分で自分に愛の言葉をかけ続ける。
そうする事で、心に愛情が染み込んで、潤い満たされていくと思います。だんだん、心の深い部分にまで愛が伝わっていくと思います。
自分の事だけを大切にしようとか、傲慢に思い上がろうという事ではありません。
物心ついてから今まで、長い年月、自分で自分を大切にする事を知らず、そうして来なかったから、傷つき偏ってしまった心を潤いあるニュートラルな心に戻す為には、長い年月ならばその年月分の不足を補うだけの分量、沢山の自分への愛や感謝を日々自分に伝える必要があった、という気づきでした。

今回の気づきを得て、note開始からちょうど2年目の始まりの今、無理のないペースで、昨年の体験の振り返りをしていこうと思いました。
昨年は、日々起こる感情や気づきを体験し記録する事で精一杯でもありました。
今後は昨年の体験を振り返り、再度辿りながら、自分への愛や感謝を改めて感じて、言葉にして自分に伝えていく。自分で自分を心から肯定していく。肩の力を抜いて、優しく。そういう年にしたいと思いました。
過去の記事、全部にではありませんが、解説を加えながら追記していこうと思っています。もしも宜しければ、お読み頂けると嬉しいです。


今回の体験から、自分の現状を知り、今の自分に足らなかった事を知る事が出来た後は、じゃあこうしていってみようと思えて、今は、今目の前にある環境で、自分を磨いていったらいいんだと思いました。
現状維持する日があるのもよし。
成長していく日があるのもよし。
後戻りする日があってもそれもまたよし。
どんな日でも心地よさや、学びや発見(気づき)、収穫があるから、それでいいんだと思えて、心が楽になりました。
外への学びも大切な事ですが、背伸びせず、飾らず、まずは自分の内側を整えようと思いました。
そして素直な自分で、心から今に感謝して、純粋に生きる事を楽しんでみたいと思いました。


幸せのカタチは人それぞれですが、当たり前に繰り返される日常、そういう何気ない日々にも幸せがあるのではないでしょうか。
そういう日々から学べる事や、変化とは言えない程の、小さなステップを重ねるようにして、自分を肯定して成長させていける物事は色々あると思います。
そして、ささやかな事でもわくわくする事を生活に取り入れて、自分で自分の時間を楽しく、心地よくしていきたい。
ゆっくり焦らず、今は、自分育てをする幸せな時間だと思い感謝して、この命を生きたいと思っています。




Love Song/Uru
夕凪/jizue



最後までお読み頂き、ありがとうございました。






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