山田尚子「リズと青い鳥」
完璧だ。
あまりに完璧すぎて感想なんて沸きようはないし、まして批評なんてしようはない。優れた映像作品は本来言葉にしようがないところにその本懐がある。
「女の子同士」における関係の「濃さ」ゆえにその内質から受け付けられない人もいるのかもしれないが、まず間違いなくこれは現在、日本の文芸アニメーション表現における最長不倒。後の世に金字塔としてさえよいだろう。
人と人との間、心の距離は、そこにあるのではなく、作ってしまうもの、生まれてしまうものであるのだけれど、そんな心のいじらしさ、繊細さ、ゆえのままならない不自由さを、表現して余りあるほど表現し尽くす、この圧倒的に微細かつ精緻でありながら時に大胆なまでに描き出す、指の先から髪の毛一本一本、そして瞳に至るまでの作画演技の数々。
ワンシーンワンカットがまるで漏れなく、焦点となる被写体から背景となる被写体まで計算されたアニメーションがアニメーションたる「動き」によるキャラクター個々の語り口は、本当にそれだけで感動のあまり泣きそうだというのに、まさしくそのことによって表現しきる十代的感性と心のすれ違いは身を乗り出して見入りながら身悶えのあまり狂い死にしそう。
まさしく完璧。
そんな作画で見せてきた彼女らの一挙手一投足一つ一つが、まるで終盤初めてみぞれとのぞみが心から互いの心のうちをさらけ出した「大好き」の一つ一つであったようにその瞬間思い出され、作画とドラマが一致した骨頂に、感銘とともに身震いしたほどだ。
またそんな作画をリードする山田尚子監督一人コンテという、また完璧な切り口。アニメーションにおいて、あるいはキャラクターの心理描写において、まるで長回しなどむしろ邪魔であるというほど、アップを挟んで刻むことによって綿密にキャラクターの心情に寄り添いながらも扇情的にはならずあくまでも匂わせるように「カメラ」という客観性を維持し続ける本当に見事な距離感だ。
それでいてまた終盤での第三楽章の全体練習。みぞれのソロパート。バトルや、あるいはダンスのようにそれ自体の動きそのものによって格の違う「凄さ」を表現することの難しい、静のなかにある動で見せなければならない演奏という表現において、ほとんど演奏するみぞれ、手の止まるのぞみと各演奏者たち、そして流れ落ちてスカートを濡らしたのぞみの涙、それらの切り返しとピントぼかしのカメラワークのみによって、今まさに演奏しているみぞれの「凄さ」を描ききってしまったその卓越した画の流れによる語りは、それこそまざまざと山田尚子監督という比類ない才能と集まったスタッフの力量を見せつけられたようだった。
また吉田玲子さん脚本の尺がいいのだ。90分というコンパクトさとは比較にならない、二人の関係と変化を描く数ヶ月の起承転結。映画の物理的な時間とは比較にならない濃密さを長すぎず短すぎず、またくどくならずに、なおかつ二人からだけでは照射出来ない焦点を周りからも当てていくための同級生、下級生の存在の詳細と省略の加減。
段々と距離が縮まる過程をきちんと描きながら、距離が縮まってからは省略して、みぞれとのぞみ、二人のドラマから軸をぶらさない、この鮮やかな切り替えをプールの写真一枚で済ませた潔さと手際には見ていて脱帽するし、そうして毎日同じように見えて刻々と過ぎていく高校生活という時間の流れを、これは原作であるのかもしれないが、図書の返却というギミックのなかで折りをつけて表現していることで、ドラマにリアリスティックな「時間」の体感が生まれるという脚本のリードも素晴らしい。
実際生きている人間が観賞するのだという時の観賞感覚における実体感のリアリティの錯覚はこういった現実の「制約」をどのように作品のなかに盛り込んでいけるかにも懸かってくるように思われる。無限のようにあって流れない時間のなかのドラマなんてどんな悲恋も悲劇になりゃしない。前作「聲の形」も見事で、またその問題は考慮してあったように思うがやや尺に対して物語が窮屈だった印象も否めない。脚本も演出も。今回、吉田さんの脚本も山田監督のコンテも実に伸び伸びして生き生きしているのが何より清々しく嬉しい。