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よく生きるための中心軸、主軸としての信

信はなぜよく生きるための中心軸、主軸となるのでしょうか?なりうるのでしょうか?

ここで言う信とは、

以前の記事にも書きましたように、現象としての自他や森羅万象、または一定の思想信条を信ずるということではありません。

それらは、諸行無常な本来空なるもの。真に実在するものではないからです。画面上のバーチャルリアリティのようなものです。

現象としての自他や森羅万象、または一定の思想信条を絶対なものとして信ずることは、盲信、狂信につながり、恐ろしい事態も引き起こします。

ここで言う信とは、

以前の記事記載のとおり、以下の宇宙観、世界観、人間観を信ずることです。

自他や森羅万象の最小単位である粒子(※)は、姿形なきエネルギーを有する波でもあり(ここまでは量子論、量子力学において科学的に立証されています)、この波動エネルギーは神と呼ばれる至高存在から照射される光エネルギーである。

 ※ 電子、光子、素粒子などの量子。量子の運動法則は量子論、量子物理学において記述される。量子にマクロ物理学やこの世の常識は通用しない。量子はまさに異次元の幽霊のごとき性質を有する。

ここにおいて、

自他やすべての存在は、

その存在の根源において、

現象の様相にかかわらず、

絶対唯一無二の光であり、善であり、美であり、価値であるわけです。

そして、自他やすべての存在の根源にあるそれらの絶対唯一無二の光、美、価値は、

量子もつれ(関係し合う電子、光子、素粒子などの量子が、光の速度を超え、時空を超えて情報交換するマクロ物理を超越した現象)により、リンクし、一体であるのです。

現象において到底信ずることができない様相が展開されても、これに負けず、惑わされず、混乱せず、慌てず、どっしりと安定して、こうした定義における信を把持し、信を鍛えることで、以下の幸せとは言えない状態から遠ざかることができます。


褒めてほしい、評価してほしい、受け入れてほしい、愛情を向けてほしいという過剰な承認欲求、渇望、焦燥感、嫉妬心

すぐに、もしくはいつまでも怒ったり、自分の思い通りに人をコントロールしたいという過度な支配欲

自分を無価値な存在として否定し、卑下し、罰する思い

いまの現象として現れている自分を、完璧であり、優れた存在であり、誰からの援助や指導も不要と見なす傲慢な思い

自他に対する根深い疑心暗鬼

過敏で強烈な不安、恐怖感、悲観、絶望感


この諸行無常なるバーチャルな世界、仮想現実の現象世界のなかで、

自他やすべての存在の根源にある絶対唯一無二の実在である量子的な波動エネルギーとしての光、善、美、価値を信ずることで、信じ続けることで、

人は、少なくとも、不幸には向かわないように思われます。

















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