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質問1540:自己肯定感の低さからくる承認欲求を満たすためにテニスのインストラクターを始めたのかもしれない(副題ウサイン・ボルトに勝つ方法)

お世話になっております。※※です。 返信(質問1539)ありがとうございます。   実はその後noteに移行する直前(私の感覚で)に何度か質問させていただいております※※と同一人物です   何故かその後テニスのインストラクターで生計を立てることとなりました 今思うと自己肯定感の低さ(※注1)からくる承認欲求を満たすためにインストラクターを始めたのかもしれないと思っておりますが、まだ続けております

回答


▶「憧れの職業」に就きたくなる心理

 
それはよくあるでしょうね。
 
自分が苦手だからできるようになって、できるようになった自分を認めてもらいたい(承認欲求)から、その職業に憧れる。
 
もちろん、苦手を克服する努力は素晴らしいと思います。
 
しかし、もともとが「苦手」。
 
これはご自身に限った話ではなくて、あまねく多くの人に当てはまる傾向性。
 
後ほど「フィールド(場)」の話をしますが、苦手なフィールドで勝負するのは並大抵の努力ではありません
  

▶口下手ほど「論破」に憧れる

 
自己肯定感が低いと、自分が本当に得意な分野があったとしても、自己否定的ですから、「こんなの得意になっても仕方がない」「これが得意だなんて人に知られたらヘンに思われるかもしれない」などという感じ方になります。
 
ですから人は「ないものねだり」で、できない、苦手な分野に憧れるきらいがある。
 
口下手な人が、論破するのに憧れたり、一人でいると落ち着く人が、人々の注目を集める人気者になりたくなったり。
 
ふくよかな人が痩せたくなったり、痩せている人がふくよかになりたくなったり。
 
客観視すれば人それぞれ個性、魅力があるのだけれど、自己肯定感が低いと「今の自分のままではどこか足りていない。欠けている」という感じ方になります
 

▶これで「才能」がみるみる開花する

 
口下手な人が、論破するのに憧れたり、一人でいると落ち着く人が、人々の注目を集める人気者になりたくなったりする。
 
でも、寡黙には寡黙の人の重みがあり、孤独には孤高の素地があります。
 
それを、「寡黙はヘンだ」「孤独なんて人に知られたらみじめだろうな」などと感じるのが、自己否定的なのだと思います。
 
ですから自己肯定感を取り戻すと、寡黙、孤高の特質をありのままに受け入れるから、もともと備わっていたけれど埋もれていた才能が、みるみる開花します
 
換言すれば、無理して話そうとするから、あるいはみんなでつるもうとしているために、せっかくの才能がスポイルされてきたのです。
  

▶「勝てないのは、努力が足りないからじゃない」

 
「ないものねだり」は所詮、自分には「ないもの」なのでしょう。
 
こちらにも、書きました。
 
世間の花形基準ではなく、自分軸の見つけ方
 
元陸上競技選手の為末大は、世界の強豪に比べてフィジカルの違いなどから花形の100メートル走では勝てないとアセスメントし、「諦める(明らかにする)力」を振り絞って、ハードルに転向し活路を見出したのでしたね。
 
曰く「勝てないのは、努力が足りないからじゃない」。
 

▶ウサイン・ボルトに勝つ方法

 
夢のない話になってしまいますが、私たちがウサイン・ボルトに勝とうと思ったら、並大抵の努力では難しいに違いありません。
 
だけど勝てないのは、努力が足りないからではなかった。
 
ウサイン・ボルトとテニスで勝負したら、インストラクターでしたらきっと勝つでしょう(※注2)。
 
勝てるのです。
 
「耐える人生か。選ぶ人生。か」と為末は問う。
 
勝負する場を、「選ぶ」のです
 

▶苦手なフィールドに迷い込む

 
もちろん、誰もが世界一にならなくてもいいのだけれど、自己肯定感が低いとうっかり、世界一どころか、自分の苦手なフィールドに迷い込んでしまいがちです。
 
苦手とは言わないまでも、自分が本当に得意な分野には、それがいとも簡単にできてしまうせいもあり、価値を見い出せなかったりします。
 
ウサイン・ボルトは、テニスは選ばなかった。
 
だけどかけっこなら、いとも簡単に誰にも勝てた。
 
「走るだけなんて能が無い」と言うなら、それは自己否定感が疼くからです。
 
改めて、「勝てないのは努力が足りないからじゃない」
  

▶それでも「ウォール街」を目指すか?


世間の花形基準ではなく、自分軸で自分を中心に世界を回せる場を見つけて、そこで勝負するのです。
 
そのためには、自己肯定感がプライオリティワン
 
自分を否定的な目で見ていると、自分の持てる個性、特質、才能が、「ヘン」に思えたりします。
 
「走るだけなんて能が無い。ニューヨークのウォール街で稼ぐんだ」などと、場違いなフィールドに迷い込みがちです。
  

▶「ありのまま」を受け入れる

 
自分探しの旅に出かける必要はありません。
 
何者かになろうとしなくていいのです。
 
今ここにいる自分を、ただありのままに受け入れてあげればよい。
 
そのために使う公式が前回のメールでご指摘いただいた下記。
 
「自己肯定感=他者肯定感」
 
自己肯定感というと、その名前からつい、自分に目が向きがちです。
 
ですから自分を「好き」になって自己肯定感を高めようと提唱するアプローチも少なくないのだけれど、それは今の自分を「嫌う」強烈な自己否定。
 
マイナス(嫌い)にいくらプラス(好き)を掛け合わせても、出てくる答えはマイナスです
  

▶「嫌いな自分」を受け入れるのが難しいなら


今ここにいる「嫌いな自分」も、ただありのままに受け入れてあげればよい。

こう言うと、「それができれば苦労はない」という声が聞こえてきそうです。
 
そう、それが難しいから、まずは「ありのままの他者肯定」
 
テニス選手はよく「ラファをリスペクトしている」「ロジャーをリスペクトしている」などと言いますね。
 
これは本当に相手への敬意なのですけれども、同時にその肯定的なブーメランが「情けは人の為ならず」として、自分に返ってくるのです。
 
ですから、「ありのままの他者肯定」。
 
そうすれば、ご指摘いただいたように正比例の相関だから自己肯定感が回復し、幼いころに自他より否定的な目を向けられ封印されてきた才能が開花します
  

▶「風穴を開ける勇気」


何も、今のご職業が不向きだと言いたいわけではありません。
 
ただしインストラクターとして従事するなら、スクールの社畜では、埋もれてしまいます。
 
フォームを教えようとする常識的なテニス指導に、「風穴を開ける勇気」を
 
プライベートで指導するなら、常識にとらわれない「風通しのいい環境」を
 
応援しています。
 
※注1
ご自身の自己肯定感は、それほど低くないと思います。
本当に低い人は、「自分は自己肯定感が低い」とはなかなか言えません。
むしろ低い人ほど、「高い」と喧伝します。
「自己肯定感の高さとプライドの高さ」は、反比例の相関だからです。

※注2
「きっと」と但し書きするのは、勝負はやってみるまで、その結果は分からないからです。
100メートル走でも、ボルトが足をつったら、私たちが勝つかもしれません。

即効テニス上達のコツ TENNIS ZERO
(テニスゼロ)
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