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テニス上達メモ474.「リスペクトは人の為ならず」で自己肯定感アップ!
▶自己肯定感が低いと、ウソをついてしまう
自己肯定感が低いと、悪気はなくても「ウソ」が多くなります。
「偽りの自分」を演じるのです。
自分の価値が相対的に低いと思い込んでいるから、たとえ自分は「嫌い」なものでも、話し相手が「好きだ」といったら、「好き」なほうに合わせるウソをつく。
話し相手が「あの人嫌い」と言ったら、自分はそうでもないのについ同調して、「確かにムカつくよね」などと、本心ではない気持ちを発してしまうのです。
▶「相手に合わせる」ことと、「相手をリスペクトする」こととは、違う
ですから、自分の気持ちも、よく分からなくなる。
「自分の本心を言ったら、厚かましいと思われるんじゃないか」
「相手に合わせておけば、波風も立たないんじゃないか」と。
そうやって、相手とつながっていようと、するのだけれど、表面的にはつながっているように見えますけれども(だから見た目には、仲が良さそうには映る)、本質的な心のレベルでは、つながっていませんよね。
「相手に合わせる」ことと、「相手をリスペクトする」こととは、全然違うからです。
「相手に合わせていれば問題ないだろう」というさげすんだ見方が、むしろ正反対の「ディスリスペクト」なのです。
▶低いから、相対的に高めようとしてしまう
本当は「対等」なのに、どうしてさげすむかというと、自分が低いから、相対的に高めようとしてしまうのです。
そして他者否定感は、自己否定感と正比例の相関ですから、当たり前と言えば当たり前ですが、自分を偽る(=ウソをつく=他者を欺く)ほど、自己肯定感を損ないます。
ですが本心を話しても(話し方にコツはあれど)、相手をリスペクトする姿勢でいれば、波風は立ちません。
むしろ、自他を偽らずに本当の自分でいる「あり方こそ(BE)、リスペクト(DO)そのもの」と言えます。
▶相手のウソが垣間見えたとき
逆の立場から、偽りの自分を演じる「相手のウソ」が、垣間見えるときもあるでしょう。
特にこの日本では、自己肯定感の高い人は、あまり多くいませんからね。
多くの人が、「偽りの自分」を演じています。
「自分がどうありたいか」というよりも、「人としてどうあるべきか」、あるいは「相手にどう思われるか」が、日本社会では重んじられがちだからです。
相手のウソが垣間見えたとき、「ウソをつく人間なんて信用できない!」などと評価を下して相手を否定してしまうと、他者否定感と自己否定感は正比例の相関ですから、やはり自己肯定感は下がります。
そんなときこそ「この人はよっぽど自己肯定感が低くなる生い立ちだったのだから、今は仕方がないんだろうな」と肯定するありのままの受け入れにより、他者肯定感と正比例の相関である自己肯定感も、高まるのですね。
▶自己肯定感を上げるための「合理的な戦術」
ウソを許すとか許さないとかの、道徳の話ではありません。
自分の自己肯定感を上げる戦略のための、合理的な戦術です。
ウソを肯定するのではありません。
人を肯定するのです。
ここが、自己肯定感が誤解されやすいいちばんの分かりにくいところなのでしょうね。
また逆説的ですが、自分の自己肯定感の「低さ」を受け入れると、自己肯定感は高まります。
自己肯定感が低いと、本当に「生きづらい」のですけども、それを受け入れると「いろいろな事情があって低い自己肯定感を抱えながらも、よく頑張って生きてきたなぁ」という自己肯定ができるからです。
自己肯定感が低いのは、別に私たちが何かを怠ったからではなく、先述したように日本社会(環境)が、そういう雰囲気を醸造しやすい側面もあるのです。
何かが優れているとか、ピアノが弾けるとか、イケメンだからとか、金持ちだからとか、健康だからとか、課長だからとか、母親だからとか、優しいからだとか、日本人だからとか、礼儀正しいからとか、親切だからとか、結婚しているからとか、家を建てたからとか、テニスが上手いからとか……etc.
挙げればキリがありませんけれども、そういった諸条件はすべて度外視して、「いろいろな事情があって低い自己肯定感を抱えながらも、よく頑張って生きてきたなぁ」といった具合に、「存在そのもの」をリスペクトする。
自分だけではなく、他人に対しても。
それは「情けは人の為ならず」の教えのとおりなのです。
他者肯定感の高さは自己肯定感の高さと完全に正比例の相関ですから、リスペクトは自分にも返ってくるのですね。
※老婆心ながら「情けは人の為ならず」を、よくある誤用「情は人の為にならないから、かけるべきではない」とすると、正反対の解釈になるので要注意。
「情はその相手のためになるだけではなく、やがてはよい報いとなって自分のためにもなる」から、「リスペクトは人の為ならず」で、自己肯定感がアップするのです!
▶自分を「好き」になろうとする「罠」
逆に、自己肯定感の低さを受け入れたくないから、自分を「好き」になろうとするアプローチ。
確かに、よくありがちです。
「自分を好きになって自己肯定感を高めよう!」というネット記事や、自己啓発本も、よく目にします。
だけどそれで自己肯定感を高めるのは難しいでしょう。
ありのままの自分ではない「だれか」を、また演じ始めて、「偽りの自分」で生きてしまうからです。
そもそも自分を「好き」になろうとするのは、今の自分が「嫌い」だから。
これほど強烈な「自己否定」はありません。
皮肉にも自己肯定感は高めようとすると、低くなるのです。
▶自己肯定感が低いと「要求」が少なくなる。けれど……
また、自己肯定感が低いと、表面的には周りに対する要求が、少なくなります。
それは、「ああしてほしい」「こうしてほしい」などと頼める立場ではない、という自分についてのビハインドな感じ方があるからです。
親戚の家に遊びに行くと、とたんにシュンとおとなしくなったりするタイプ。
一見すると、遠慮がちで、迷惑をかけずに、相手を「リスペクト」しているふうに、見えるかもしれません。
だけどその要求が少なくなるぶん、潜在的には「あえて言わないけど、ああしろよ」「こうしてほしい」「それくらい、言わなくても分かれよ」など、実は相手を「ディスリスペクト」するベクトルが強化されがちなのです。
▶自己肯定感の高さと、プライドの高さは反比例
また、自己肯定感の高さと、プライドの高さは完全に反比例なのですけれども(一般的には、プライドが高い=自己肯定感も高いと考えられがち)、プライドの高さが、「それくらい察しろよ」という圧力をさらに高めます。
それで、察せられたら察せられたで「お茶でも飲む?」などと、いざ誘いをかけられたら「いえ、大丈夫です」などと、あたかも要求などしていない「偽りの自分」を、ここでも演じてしまう。
自分が無力ゆえ、頼めないから怒りを募らせ、さらに自己肯定感が下がる悪循環です。
また親戚に限りませんけれども、自他を受け入れ合うコミュニケーションが取れずにいるから、自由に立ち回ることもできず、「ちょっと出かけてくる」「少し疲れたから横になる」など、自分のやりたい行動が制限されます。
「遠慮して何が悪いのか?」と思われるかもしれませんが、それが過度になり、ますます自己肯定感を低めてしまうのです。
そもそも、「遠慮したほうが相手に負担を強いない」などと決めつけるのも、相手の意向を尊重しないディスリスペクトと言えます。
▶自分軸で、自分の要求を、相手に伝える
一方では、人の話を延々と聞いてしまうのもこのタイプ。
「こちらから言わなくても、そろそろ話を切り上げてほしい」とは伝えられずに、イライラしながら上の空で(本意でなくても)つき合います。
それは実は、相手を尊重するどころか、相手に対する(そして自分に対しても)ディスリスペクトであり、ますます要求を伝えられない無力感を強めて、自己肯定感を下げるのです。
ですから、「上手くプレーできない」「どうにかしてほしい」などとメール相談をくださる方は、先の例に比べて、自己肯定感は高いほう。
自分の要求を、伝えられているからです。
自己肯定感が低いと、自分軸で、自分の要求を、相手に伝えられません。
また一方でプライドが高いから、要求を伝えるのが「弱み」をさらすようで、屈辱感を覚えたりもします。
それを、「遠慮するのは美徳」と思い込みつつ、本音では「言わなくても分かってほしい」怒りを募らせるのです。
▶自己肯定感が低いと、怒りやすくなる
ゆえに自己肯定感が低いと、怒りやすくなります。
自己肯定感の低さは、他者肯定感の低さと正比例の相関だから、自己肯定感が低いと、他者を否定的に見てしまうのですね。
やれ「あれがなってない」「ここがダメだ」「痛い目にあえばいいんだ」。
そうして他者を否定的に見るから、イライラする。
そしてイライラするから、さらに自己肯定感も下がり、一層イライラしやすい性格づくりに加担する悪循環です。
ですからテニスでいえば、ミスしても怒らない(嫌悪しない)ようにしようと、頭で理解して心がけても、自己肯定感は「イメージ」ですから、あらがえません。
自己肯定感が低いと、やっぱりミスすると怒る(嫌悪する)から、ますます集中力をすり減らしてしまいます。
「怒りを主張できるなんて、自信があって自己肯定感が高いんじゃないの?」と思われるかもしれません。
しかし、自己肯定感が低いからこそ、主張しないと「ナメられる」と感じる「怖れ」「おびえ」が、根底にはあるのです。
▶自己肯定感を高めるためにできること
「当てはまるかも」と思われた方も、いらっしゃるかもしれません。
「あぁ、自分はこんなに自己肯定感が低かったんだ」と、さらに自己肯定感が下がって、自分を嫌いになりそうな気がするかもしれません。
しかし、思い出してください。
自分を「好き」になろうとするのは強烈な自己否定。
自分の自己肯定感の低さを受け入れるところに、チャンスがあるのでしたね。
▶誤ったイメージに引きずられて、体の動き方がウソになる
自己肯定感は「イメージ」、私たちは、イメージにはあらがえません。
「自分を偽らないようにしよう」「嫌なことにははっきりノーと言おう」と、頭では理解していても、自己肯定感が低いと、気持ちや行動がなかなかついていかないのです。
そして、それはテニスも同じです。
頭では「ああすればいい」「こうすれば上手くいく」「だからそうしよう」などと理解していても、イメージがズレていると、体はイメージに引きずられて、誤った動き方をしてしまいます。
たとえばボールが飛んで来るのを、「待てばいい」のに、どうしても自分から突っ込んでしまい、詰まった打ち方になるプレーヤーがいる。
「待てばいい」と頭では分かっていても、イメージに体が引きずられるのです。
あるいは確認していただきたいのですが、対戦相手のサーブがネットフォールトたら、足を1歩、前へ踏み出したりしないでしょうか?(意図的に踏み出すというより、思わず出る)。
それは、「ネットにかかる低いボール=浅いに違いない」と決めつけるイメージに基づく誤った反応、ここで申し上げているテーマにあえてなぞらえれば、いわば「ウソ」なのです。
自己肯定感が低いと自分を偽るため、ウソが多くなるとご説明しました。
テニスも同様に、誤ったイメージに引っ張られて、体によるウソの反応が多くなります。
「当てはまるかも」と思った方も、いらっしゃるかもしれません。
誤った動き方をしてしまう「イメージのズレ」は、こちらでイッパツで治ります!
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