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聖書と信

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聖書はひとを生かすもの、という思いこみだけで、お薦めします。信仰というと引かれそうですが、信頼などの信として、ひとや世界を大切にする思いが、少しでも重なったらステキだな、と思いつ…
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2022年10月の記事一覧

『旧約聖書がわかる本』(並木浩一と奥泉光・河出新書)

『旧約聖書がわかる本』(並木浩一と奥泉光・河出新書)

並木浩一先生の本はいくらか手にし、好感をもっていたので、新たな新書ということで注目していた。本のタイトルは卑近であり、「<対話>でひもとくその世界」ということで、終始対談という形式で展開していることも気になったが、むしろ読みやすかった。「対話」というから、いくらか議論めいたものがあるのか、と思ったが、大学での師弟関係でもあるせいか、至っておとなしく、二人の「会話」が進んでいくような印象である。
 

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私は聖書を学ばない

私は聖書を学ばない

礼拝説教で、違和感を覚えるひとつの言葉は、「学びましょう」という言い方である。聖書を説明する。そしてそこから、何々を「学びましょう」という件(くだり)である。
 
私は、聖書から、特に説教から学びはしない。教えられはするかもしれない。ただ命じられるというように捉えることもある。また、気づかされるということは度々ある。説教が神の言葉であるのならば、こうしたことはあたりまえのことだと理解している。言う

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恵まれる礼拝説教がある

恵まれる礼拝説教がある

「この説教を、ぜひほかの人に聞かせたい」などと言うと、少し高慢に聞こえるだろうか。「あの人に、聞いてほしい」と素直に思うような説教がある。「この」というのが、ある日の特定の説教である場合もあるが、同じひとの次の説教を信頼している場合には、「この人の説教を聞いて戴きたい」という言い方にもなる。どういうシチュエーションであってもいい。
 
教会の礼拝に参加している方は、そうした礼拝生活を送っているだろ

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教会に必要な「きよさ」

教会に必要な「きよさ」

プロとして彼女は、白魚のような指で、ピアノを弾き続けた。
 
違和感がおありの方は、ピアノを弾く方であろうか。ピアノの弾ける友人がよく言っていた。そんなのは嘘だよ、ピアノを弾くには筋肉が必要なんだから、と。
 
どうにも勝手なイメージというものが先行することが、世間ではよくある。「クリスチャン」に付く枕詞は「敬虔な」であるように思われているようである。一体いつからそうなったのか知らないが、これに対

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お金の問題

お金の問題

私自身、経済観念がない。いや、誤解を招く言い方だ。浪費するという意味ではない。生活の切り詰めについては、大学時代にとことんやった。京都に行かないといけない、との思いだけで家を飛び出したみたいな恰好になり、親には申し訳ない気持ちばかりがあった。できるだけ学費の安いところを選んだし、住まいは古くてもよいから極力実費を抑えられるところにした。自炊が原則だった。食費は1日400円というノルマを課した。昔だ

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歴史と現実の背後に神が在す

歴史と現実の背後に神が在す

もし、逆らえない権力者がいたとする。その要請に応じて兵として召集され、戦争で命が消費されていくのだとしたら、現代人は堪えられないかもしれない。教育がかなり行き渡っていることが、その背景にあることは間違いないだろう。為政者は、時に教育を厭うものだった。思考する人間が多くなると、容易には操れなくなるからだ。知恵がまわる者が、簡単に多くの人間を操ることができた時代、ひとは権力者の道具でありただの機械のよ

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「恩送り」と「いざ鎌倉!」

「恩送り」と「いざ鎌倉!」

情けは人のためならず。国語調査でよく質問に挙がる言葉である。「情け」という言葉を広く解すると、ひとに優しくすると自分も優しくされる、というような内容を表すものであろう。報いがある、という知恵を教えてくれる。そんなに世の中は信用できるかよ、との声も聞こえてきそうだが、むしろ信用するお人好しが増える世の中であってほしいと思う。
 
他人のためになるばかりではない、自分のためにもなるのだ。そう見なすと、

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行くべきところ

行くべきところ

その朝、子どもが授かることについて悩んでいた人から、よい知らせが届いた。やがて礼拝が始まった。創世記の16章であった。どうしてこの朝なんだ、とときめいた。
 
アブラムの妻サライには、子どもが生まれなかった。(16:1)
 
そこで、サライが夫に提案する。「主は私に子どもを授けてくださいません」とまず口を開く。すでに主は、アブラムに対して、あなたから生まれる者が現れる約束をしていた。アブラムは主を

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『絶望に寄りそう聖書の言葉』(小友聡・ちくま新書)

『絶望に寄りそう聖書の言葉』(小友聡・ちくま新書)

コヘレトの言葉は、旧約聖書の中でも異色の書である。「空の空」などと繰り返すところが、仏教思想の言葉でもあるせいか、日本人が比較的受け容れやすいのだそうだ。NHKテレビで、コロナ禍に入った時にこの書についての番組を半年にわたり担当した。また、新しい聖書協会共同訳の翻訳も担当しているというせいもあって、一牧師並びに神学校教授である身から、マスコミや出版のほうからも声がかかるようになったようだ。その後い

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