#テーマパーク
思想としての東京ディズニーシー
「思想として、ディズニーシーが好き」という人々がいる。
東京ディズニーシーのおもしろさの一つ(そして、日本のディズニーオタクが怖れられ、避けられ、嫌われる理由の一つ)は、この「思想としての東京ディズニーシー」にあると思う。
私は現在、このnoteの査読もしてくれているもちさんと、YouTubeで「RADIO ON D'AIR」というラジオをやっているのだが、もちさんも歴とした「思想としての東京
現代舞浜まわりかた問題
「まわりかた」なんて言うけれど、昔のディズニーはまだ良かった。ファストパス取ってればなんとかなった節がある。
本当にディズニーランドのまわりかたが試されるのはむしろ現代。2020年代であるといえよう。
というのも、SNSで散々いわれている通り、近年の舞浜には優先入場券システムが乱立しているからである。
スタンバイパス、エントリー受付、ディズニープレミアアクセス、40周年記念プライオリティパス、
東京ディズニーランドは入園する前がいちばんおもしろい?
東京ディズニーランドに行くとき、悩ましいのが開園待ち。
確かに入園後の時間は効率的に使いたいが……何もない空間で2時間も3時間も待つのは確かにしんどいと思う。
正直これらは覚えるとか調べるとかいうまでもなく、パーク内での体験を最大化するために覚えてしまうしやってしまうことだ。ほとんど無意識に近いのである。
記事を見ると「去年彼女がまだ大宮住みのころ、一度一緒に行ってみたいな~と思って、誘ったんで
ディズニーランドが勝つ理由、負ける理由─西武園とハワイアンズを旅して気がついたこと
「西武園ゆうえんちが2021年にリニューアルオープンしてから一年以上が経過した」……という記事を書き始めてから、一年以上経過した。
東京ディズニーリゾートファンである私は、反感を抱くこともなく、むしろ西武園ゆうえんちに行きたい気持ちを募らせていた。しかし、訪れようという気力もまた持ち合わせていなかったのである(記事を書き上げる気力がなかったこともその証左であろう……)。
一年前の私は何故、突如と
Identityの問題──インドとディズニーランド、カレシとポリコレ、松下幸之助とミッキーマウスについて
ディズニーパークの最大の弱点、すなわちネットでいじりやすいところと言えば「ミッキーマウスの中の人」ではなかろうか。
この単語を出した時、実に色々な反応が想定されておもしろい。「夢の国とはいえ所詮中は人www」となるのか、「子供には見せちゃダメ!」みたいな茶化し方になるのか、それとも「ミッキーに中の人なんていません!」なのか、「ミッキーの中の人によって性格が違う」とか言い出すのか(事実に最も近いの
ディズニーによる「夢の解体」が始まっている
「今度、ディズニーに行くんだ」
こういうときのディズニーは「東京ディズニーランド」なり「東京ディズニーシー」なりを指しているというのがいつもの流れである。そこに「へえ、あの夢の国ね」なんて付け足したらもう完璧だ。
“ディズニー”はいい。1日、東京の狂騒を離れ、楽しい音楽の溢れる“夢の国”へアクセスし、束の間の休息。あちらのアトラクションからこちらのアトラクションへ、ワゴンフードを買ってお喋りしな
テーマエリアはおもしろいぞ─「自分探し」から「自分在り」の時代へ
東京ディズニーランドの「トゥモローランド」や、東京ディズニーシーの「ミステリアスアイランド」のように、各エリアのことを「テーマエリア」と呼ぶ。ランドでは「テーマランド」、シーでは海に因んで「テーマポート」と特に括っている。
もしかしたら、ディズニーパークを訪れるにあたり、テーマエリアを意識することはあまりないのかもしれない。しかし、テーマエリアとは、ウォルト・ディズニーがディズニーランドに込めた
ディズニーランドにかけられた呪い
ウォルト・ディズニーといえば、アメリカのエンターテイメントの王様である。映画、アニメ、テレビ、テーマパークと幅広い展開が魅力的な彼の思想を紐解き、ディズニーランドがかけられつつある呪いについて、手の届く範囲から考察を仕掛けていこうというのが今回の試みである。実際のものと相違があるかもしれないが、一ファンの考察として楽しんでいただけたら幸いである。
映画『トゥモローランド』の「現実世界」2015年