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テーマエリアはおもしろいぞ─「自分探し」から「自分在り」の時代へ

東京ディズニーランドの「トゥモローランド」や、東京ディズニーシーの「ミステリアスアイランド」のように、各エリアのことを「テーマエリア」と呼ぶ。ランドでは「テーマランド」、シーでは海に因んで「テーマポート」と特に括っている。

もしかしたら、ディズニーパークを訪れるにあたり、テーマエリアを意識することはあまりないのかもしれない。しかし、テーマエリアとは、ウォルト・ディズニーがディズニーランドに込めた理念を体現するための「肝煎り政策」なのだ。
そこで今回は、2020年にオープンした「美女と野獣エリア」を通してディズニーパークのテーマエリアを総括し、更にそこから「若者が『自分探し』と称してインドに行くのは、果たして意味があるのか?」という永遠の命題に切り込む。「自己のアイデンティティは、テーマエリアの中にある」というのが、本文の主張なのだ。

「テーマエリア」という概念

テーマエリアとは、ディズニーパークが提唱するテーマパークの重要な機能である。従来の遊園地では、ジェットコースターやメリー・ゴーラウンドを無造作に設置し、あるいは周遊性を高めて効率的に設置していた。
しかし、テーマエリアの考え方は全く異なるのである。テーマパークでは、それぞれのジェットコースターやメリー・ゴーラウンドは独自の「テーマ」を持っている。例えば、ジェットコースターの「ビッグサンダー・マウンテン」ならば「ゴールド・ラッシュ」であるし、メリー・ゴーラウンドの「キャッスルカルーセル」では、ディズニー映画さながらの「白馬」がモデルである。従来の遊園地のようにこれらを隣り合わせて設置してしまうと、ゲストは心的な断絶を感じるし、景観はカオスを生じてしまう。
そこでディズニーパークは、同一または近しいテーマの施設をひとまとめにして設置し、家屋を融通させてひとつの都市のように仕立てることで、「テーマエリア」の中にそれらの施設を収納しているのである。ゲストは、ひとつのテーマにまとめられたそれぞれの施設を眺め、ゲストが出入りする光景を確認しながら、お目当ての施設へのプロローグとして気持ちを高めることができる。

1983年にオープンした東京ディズニーランドは、五つのテーマランド「ワールドバザール」「アドベンチャーランド」「ウエスタンランド」「ファンタジーランド」「トゥモローランド」により構成されていた。1992年に「クリッターカントリー」、1996年に「トゥーンタウン」を追加して現在は七つになっている。
さて、こうした1983年(或いはアメリカ合衆国カリフォルニア州にディズニーランドの登場した1955年)に作られたテーマランドは、主に二種類に大別できる。つまり、「ウエスタンランド」「ワールドバザール」と「アドベンチャーランド」「ファンタジーランド」「トゥモローランド」とでは、その組成が大きく異なっているのだ。

前者のテーマランドは「共通の舞台」として整備されている。「ウエスタンランド」は西部開拓時代のアメリカを舞台として一貫した物語を展開しているため、「ビッグサンダー・マウンテン」や「グリズリー・ベア・ホール」(「カントリー・ベア・シアター」を上演するシアター)、「トレーディングポスト」などは、ひとつの西部のタウンに存在する施設として振る舞う。また、「ワールドバザール」はひとつの街として独立した存在であり、一部のショップでは「ワールドバザールに出店された」「ワールドバザールにオープンした」というストーリーを持つものがある。

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後者のテーマランドでは、抽象的な物事のパッチワークが作り上げていると言える。例えば「アドベンチャーランド」にはポリネシアとニューオーリンズが同時に存在していて、「アドベンチャー=冒険」という一点が各施設を繋ぎとめている。「ファンタジーランド」に於いて、アトラクション「ピノキオの冒険旅行」の舞台はイタリア、「ピーターパン空の旅」ではロンドンとネバーランドだが、「ディズニー映画のファンタジー」という共通点で結びついている。「トゥモローランド」は「未来」や「宇宙技術」などの概念がテーマとなっていて、「モンスターズ・インク:ライド&ゴー・シーク!」と「スペース・マウンテン」はストーリー上は地続きになっていない。

更に時代が進行すると、「クリッターカントリー」と「トゥーンタウン」が現れる。「クリッターカントリー」は、ディズニー映画『南部の唄』をベースにしているし、「トゥーンタウン」は『ロジャー・ラビット』に則っている。これは、三種類目のテーマランドであると言える。「テーマ=ストーリー」であるものと、「テーマ=ワード」であるもの、「テーマ=映画」であるものだ。

 その後に現れた東京ディズニーシーは、はじめに紹介した「テーマ=ストーリー」を徹底したテーマパークである。
「メディテレーニアンハーバー」は1901年の南ヨーロッパ、「アメリカンウォーターフロント」は20世紀初頭のアメリカ合衆国東海岸・ニューヨークとケープコッド、「ロストリバーデルタ」は1930年代の中央アメリカと、具体的背景が与えられたテーマポートが共通した登場人物の元で動く。
一方「マーメイドラグーン」というのは、映画『リトル・マーメイド』の世界に由来する世界観を共有しており、さながら「テーマ=映画」型なのである。 

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2020年9月、東京ディズニーランドにオープンしたのが「ニューファンタジーランド」だ。現在東京ディズニーランドに存在する「テーマ=ワード」型エリアであるファンタジーランドに、ディズニー映画『美女と野獣』をテーマにした「テーマ=映画」型エリアを導入しようという試みである。

ところで、このエリアに着目してファンタジーランドの沿革を見ていくと、大きな転換点となっているのは、アトラクション「プーさんのハニーハント」の登場であるとわかる。「プーさんのハニーハント」は、新規アトラクションとしてただオープンしたのみではない。アトラクション出口には併設ショップ「プーさんコーナー」が登場し、ディズニー映画『くまのプーさん 完全保存版』をベースに「くまのプーさん」シリーズのキャラクターのグッズが展開された。又、道を挟んだ向かい側には、プーさんの好物である蜂蜜に因んでか、ハニー味のポップコーンワゴンが設置されている。
「ニューファンタジーランド」に於ける「美女と野獣エリア」に先駆けて、ファンタジーランドの中に「くまのプーさんエリア」、これ即ち「テーマ=映画」型エリアを既に作り上げていたのである。こうした試みは、後の「モンスターズ・インク:ライド&ゴー・シーク!」に於いても行われていたと言えよう。

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つまり、この「ニューファンタジーランド」、とりわけ「美女と野獣エリア」とは、「くまのプーさんエリア」或いは「モンスターズ・インクエリア」の延長線上にある正統進化に過ぎないのである。「テーマ=ワード」型エリアに対する進化の手段の提供である、またはある種のテコ入れの方法であるこの方法は、実は2000年の「プーさんのハニーハント」に遡るのだ。

さて、「くまのプーさんエリア」は「テーマ=ワード」型エリアに対して新たな解釈を与えるものであったが、その一方、新規で「テーマ=映画」型エリアを開発した例が「アラビアンコースト」「マーメイドラグーン」である。そして、その完成型としては「スター・ウォーズ:ギャラクシーズ・エッジ」を挙げることができる。
「アラビアンコースト」や「マーメイドラグーン」からは他のテーマポートが観測できるが、これが「スター・ウォーズ:ギャラクシーズ・エッジ」では限りなく解消された。このエリアはアメリカ合衆国カリフォルニア州のディズニーランド、フロリダ州のディズニー・ハリウッド・スタジオに存在し、フランス共和国のウォルト・ディズニー・スタジオ・パークにも建設予定。
然し、フロリダ州のエリアのみ、2021年にホテルが開業予定だ。その名も「スター・ウォーズ:ギャラクティック・スタークルーザー」である。このホテルは、一度入ると二泊三日で「スター・ウォーズ」シリーズの世界を楽しめ、正にテーマエリアに宿泊するような感覚が得られる。

こうなってしまうと、起床してから朝食をとり、一日を過ごし、夕食をとり、家族とボードゲームでもして、布団に入り、翌朝また起きるまですべてを「スター・ウォーズ」シリーズの中で終えることが出来る。正に「テーマ=スター・ウォーズ」型テーマエリアの完成形である。

『個性』時代の夜明けと『人間性』の定義が変わる日

さて、こうしたディズニー情勢を鑑みて、これからの話をしよう。世界では近年「個性」と「自由」が重んじられてきた。

とりわけ日本に激震が走ったのは、YouTube動画投稿によって生計を立てるYouTuberを起用した広告「好きなことで、生きていく」だろう。
2015年に33億円だった日本国内のYouTube市場は、19年に400億円へと膨れ上がった。10倍以上だ。SNSの発達により、誰もが自分の日常や興味を発信できる時代になった。2007年には「ワーク・ライフ・バランス」、近年になって「働き方改革」というキーワードも登場した。

然し、これにより面白い現象が起きている。

「個性」「個性」「個性」と個性が並びに並んだ結果、「個性がありすぎる」のだ。作品の平均レベルは急激に上がり、これまで世に出なかった素晴らしい作品が多数発見できるようになったのは素晴らしいインターネットの魅力だ。然しその影で、個性が重視された世界が進行しすぎて、「個性がある」というひとくくりが誕生してしまったのである。

「テーマ=映画」型エリアはディズニーランドの救世主

さて、「テーマ=映画」型エリアを再考しよう。これらは個性の埋没に対抗する手段として存在する。そこには、個性の更に先に存在する「唯一性」が関係している。

「テーマ=映画」型サブエリアの登場は、「テーマ=ワード」型エリアの肉体改造という側面がある。「テーマ=ワード」型エリアと、他の二者の最大の違いは、「個性」と「唯一性」で説明可能である。
「ファンタジーランド」にある「ホーンテッドマンション」や「ピーターパン空の旅」は、「ファンタジー」というワードにくくられているから、当初こそ魅力的であっただろう。しかしそこには明らかに「個性がある」というひとくくりが誕生してしまっているわけである。そこに唯一性を与えるのが「テーマ=映画」型エリアであったというわけだ。

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「ニューファンタジーランド」で映画『美女と野獣』がフィーチャーされる際、敢えてこうした構成にしておけば、逆説的に「ファンタジーという個性の中に一緒くたにされる」ということが無くなる。それは、「ファンタジーランド」の中に生身で存在する「ピノキオの冒険旅行」や「ピーターパン空の旅」と異なり、「テーマ=映画」型サブエリアをクッションにし、自分の牙城に好きなアトラクションやショップ、レストランを展開できるためである。
「『美女と野獣』のエリアに来たんだ」という前提がある以上、アトラクションやショップ、レストランは総合演出として一体となっている。そして、本質的に別物なものを一点のキーワードで集めた世界ではなく、「他になく、それしか有り得ない」「唯一性のある」エリアとして進化していく。「テーマ=ワード」型エリアはこうして救済され、新たに生み出されるテーマエリアも「テーマ=ストーリー」型や「テーマ=映画」型に置き換えられていく。

『人間性』の定義が変わる日

人間性は、人間の心理的性質のことである。学問的には、主に哲学や人文学などの文科系学問により研究されてきた。日常的にも、用いられる言葉である。
(Wikipedia『人間性』項目より)

個性の埋没が進行する中、私は「人間性」という言葉に新たな意味を与えたい。元来の「人間性」とは人間の心理のことを意味しているわけだが、ここに唯一性に近しい意味合いを持たせることは可能だろうか。

SNSの発達により「誰でも発信できる社会」が作られ、同時にこれは「一番にならなくても良い社会」でもあった。これまで、100万人に売って10万人を養ってきた会社は、100人に売り10人を養えばいい社会に変化していく。現代ならば、インターネットを用いることで個人でもなんとか稼業を営むことが可能になってきた。
そうなると、消費者の選択肢は必然的に広がる。300万人の牌があったとして、これまで1社100万人=3社で相手していたところが、1社100人=1万社で契約することになる(無論、大企業が消滅することはないので、これは極端な例だと言えるが)。それは、先に挙げたSNSのシェア数とコンテンツ過多の関係を見ても判る通りだ。
ともすれば、最早「個性があるというひとくくり」により支配された世界で私たちが取引先を選ぶ方法が「人間性」しかなくなるのである。「この人がすき」「この人を応援したい」というような「あなたじゃなきゃだめ」という理由を着実に積んでいくことで、店舗や個人は客を獲得する必要がある。

さて、改めてここで私が言っているのは、人間性を「その人がその人である」と定義することである。
勿論、これは単に、パスタの中でもとりわけスパゲッティと名前をつけているようなだけに過ぎない。だが、スパゲッティをスパゲッティと呼ぶにはそれなりの理由があるように、「人間性」という言葉を持ち出すのは、そこにより根源的な「一人の人間」としての人格を認めるためなのである。

従来の「人間性」とは、例えば「彼の人間性を疑うね」などのように、「人間の性質」としての「人間性」であった。「彼の人間性を疑う」とき、彼の「人間の性質」が健全であるかどうか、悪徳なのではないか、と疑う。
一方で、私が与えようという意味は「(その)人間であるという性質」なのである。これが「個性」と違うのは、「個性」とは「個の性質」でありながら、インターネットがもたらした個性の可視化により選択制を余儀なくされていることである。これは、本文にも書いた通りである。

つまり、「個性」というのはハッシュタグであり、私の言う「人間性」とはアカウントである。
「個性」は、「#ギャグがおもしろい」とか、「#料理が上手」とか、「#ディズニーが好き」のように属性として成立していて、他の人にも使用される可能性があるものだ。私にもあなたにも、常日頃ハッシュタグがつけられたり外されたりしているのだ。だから「#ディズニーが好き」でソートすれば、複数の人間を特定のベクトルで一挙に集めることができるし、彼らは「個性がある」という「個性」の枠に収まってしまう。
一方で、「人間性」とはアカウントである。IDが重複することはなく、「その本人」でしかない。DMやリプライをする相手としてその個人しか認められない、という意味でそこに唯一性がある、だから、それを「(その)人間であるという性質」とする。この意味で、私は「人間性」を用いていた・いるのである。

これは、冒頭の問題に一定の示唆を与えてくれる。
自分探しのためにインドを訪れても、そこに自分はいない。自分は「探す」ものから「在る」ものへと変化しつつあるからだ。
「インドに行くと人生が変わる」というのは、一般化すれば「普段と全く異なる環境に置くと、新たな視点が芽生える」ということである。「気さく」「言葉が通じない」「時間にルーズ」など、それを表す言葉は枚挙に暇がない。
勿論、それで人生が変わることはあるのだろう。普段の振る舞いの中に現れない自分が、そこでは曝け出されるのだから。そして、知らず知らずのうちに背負っていた重荷を下ろし、全くどうでもいいことの大切さに改めて気付かされるのだから。
だが、それだけでは事足りなくなってきたのだ。自分がインドに行って気づくことは、誰かが日本で気づいている。そのことを、SNSを通して可視化される。自分だけの発見は、誰かが取り上げて世界に拡散してくれる、あるいは、してしまう。自分だけのものは最早何も無くなってしまう。そこに残るのは、「ここに在る」という自己だけになるのだ。

こうした人間の唯一性を表現する言葉として「人間性」を使うことは出来ないだろうか。

おわりに:新たな「人間性」の世界で生きる

テーマエリアとは、ディズニーパークの各施設を属性ごとにまとめ上げるシステムであり、それ故に施設のアイデンティティと密接に関わる。そこで登場した「テーマ=映画」型エリアは、SNS時代を生きる我々に独特な示唆を与えてくれるのだ。
これからの未来では、そうした意味での「人間性」が必要になってくるのではないだろうか──とは言うものの、「人間性を育む」などという言葉がこの文脈で通用するわけもあるまい。「人間性」とは「あなたがあなたであること」そのものなのだから。

※本記事は、はてなブログ「Think with Entertainments!」内より『ディズニーワイド考察「『個性』時代の夜明けと『人間性』の定義が変わる日」』そして『補足:「『個性』時代の夜明けと『人間性』の定義が変わる日」について』を書き改めたものです。

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