(5)新たな敵と新たな家族、そして新たな展開(2023.9改)
「おー、あれがメコンデルタかぁ、やっぱ広いねえ・・」
杏が窓に張り付いているので何も見えない。
30年前と随分変わったんだろうなと思い、30年後を全く予測していなかった学生時代を顧みていた。当時はバブル絶頂期でモリの志望は電機メーカー、一択だった。
「バギーとドローンだって外観上は製品だ、一緒だよ」とゴードンがよく言うが、ITやAIが介在するなんて発想は学生には無かった。炊飯ジャーで「AI直火焚き」という表記があったが、構造も内容もレベルが違うのだろう。AIが騒がれるようになった際に、なぜか炊飯器を考えてばかりいたのを思い出す。
電機と言えばそれこそ、ホーチミンに建設中の地下鉄だったり、ハノイやプノンペンの水道処理施設など大きくて「形に見えるモノ」をイメージしていた。
当時はITと呼ばずに、情報産業とか情報処理とか漢字表記だったが、まさか、ソッチ側に配属されるとは思わなかった。今では日本の十八番だった電機事業もアジア企業におされて衰退し、IT関連の道を歩んで良かったのだろうが、何故か政治家になってしまった。3週間前までは「起業した会社のオーナー」が自分の人生のゴールだった筈なのだが・・・
「さて、夕飯どーしよう? 志木さんのオススメのお店は?」エコノミー席前席の間に顔を突っ込んで杏が聞いている。シートベルトが伸び切ってユルユルなので、体勢が戻ったら、細いウエストを締め付けてやろうと思う。
「コロナでやってるかどうかだけど。まぁ、屋台でも大丈夫だよ。生き残っているお店はどこも腕自慢、味に自信がある店だと思うんだよね」
「なるほど、格言ですなぁ」
2人の遣り取りを聞いていると杏で良かったな、と思う。玲子と志木さんでは初対面同士だったろうし。
「先生はなに食べたい?」思い出したかのように、「ついでに」聞いてくる。頭の中には食べ物より、この3人では知っている杏の裸体が何故か浮かんできた。
「外務省の方が空港で待っているから、今晩はそれなりのお店だと思う。期待していいんじゃないかな? あっ、先生すみません。おととい大使館の方が先生の味の好みを聞いてきたんです。お伝えするのを失念しておりました」
里子の発言に驚く、杏と顔を見合わせて喜ぶ。「政治家って凄いんだねぇ」と杏は言うが、国は都議なんて普通は相手にしないと思うのだ。きっと、バギー君のおかげなんだと思う。
杏のシートベルトを締めていると、里子が振り返ってこちらを向いている。なにか言い澱んでいるような表情なので「どうしました?」とこちらから振ってみる。
「あの、先生がお出かけの時に再度大使館から連絡があったんです。その連絡内容も、お伝えしないままでいて申し訳ありませんでした。大使館からの連絡を受けて、先生の本棚のアジア関連の書籍を拝見しました。本の草臥れ具合と私なりに先生の好みを推測して、おそらく本多勝一、近藤紘一、開高健の順だと思うと、大使館に連絡したんです。
つまり、ホテルはマジェスティックで、お部屋は開高ルームではないと思います。ご相談もせずに勝手な事ばかりして申し訳ありませんでした」
「あー、なるほど・・。ソッチの話は了解しました。それと、大正解です。その順番であってます」里子が積極的なのだと、理解して返答する。しかし大胆だと思った。志木さんの前で宣言したようなものだ・・。選挙だなんだと忙しくて、それどころではなかったのだが、遂に今夜か・・
「順番って何の?それに、誰なの?」杏が予想通りに聞いてくると、母が応えようとするので柔らかな視線で里子を制して、話し始める。
「ベトナム戦争時にサイゴンと呼んでいたホーチミンを拠点にして、取材していた記者や作家なんだ。で、それぞれが従軍ルポや小説を書いた。
お母さんは僕が誰が好きなのか、見事に当ててくれた。小説は面白かったけど、ルポはイマイチだった作家が滞在したホテルに泊まるんだけど、当時のままに再現した部屋があるんだ」
・・そう、その部屋のベッドは確か、ツインだったはずだ。さすが、元スッチー・・結果、返答にもなる。御本人は赤い顔をして、潤んだ目をしている・・
「う? それって私の課題図書にしなくて良かったの?」
「本を読んでる時間は誰にもなかったでしょ?
それに、杏にはデルタを撮影して貰うから、余計な情報を与えないほうがいいだろうと考えてたんだ。戦争関連の施設見学は今回パスするつもりだよ。杏が行きたいなら、デルタからホーチミンに戻ってからだね」
「ふむ・・カンボジアに行くときに纏めて見学した方がいいかもね・・」
「今でもどっちも館内の撮影は出来ないと思う。人の残虐な一面だけを見続けるからね」
「その通りです。撮影はできません」
前席の志木さんが里子に肘打ちしながら言う・・
「了解。イメージ的には豊穣なメコンデルタを撮りつづければいいのね?」
「そだね。杏が得意な、ワザと逆光を使ってみたり、朝夕の稲につく水滴や昆虫を接写するとか・・青空と入道雲とか・・そんな美しい映像を希望しております」
「五箇山の夏の田園風景、捕虫網と麦藁帽子と小さな女子のワンピース姿的な、平和な映像ってヤツを御所望なんですね?旦那?」
前席では志木さんがまだからかって遊んでいる。知らぬは、この19の長女だけだ。娘も今回の旅で母と義理の父が結ばれると思っているのだろうが。次女からはメールで、「ダディ、末永ーく、ママを宜しくね」と送ってきた。
杏に微笑み返しをしながら、まだ志木さんにイジられている里子の後頭部を見て、今夜は頑張ろうと思った。
元々里子ありきで選ばれた女性陣3人なのだろうし、流れるままに御相伴に預かることにしよう・・・。
選挙が終わり4日後、木曜に羽田からベトナム・ホーチミンに向けてモリ一行が飛び立った。コロナで限られた国、しかも便数が少ないので正規料金だがそれでも仕方がない。
富山知事となった金森鮎は、間髪入れずに月曜から県庁に出勤しているが、モリは都議なので17日からの臨時議会まで基本的に待機となる。それ故に、会長の名刺が使えるうちに色々と済ませてしまう為に、ベトナムと台湾へ訪問しようとしていた。
同行するのはこの3名で、PBロジスティクス社常務となった平泉 里子と長女の杏。PBロジ社の大井埠頭倉庫所長の志木佑香の一行で構成される。大井埠頭にプルシアンブルー社の倉庫を構えて、ベトナムメコンデルタから到着する食料品を管理、配送する体制を整えた。
富山新湊港の倉庫と同じで、倉庫内を搬送バギーが移動して積み荷の出し入れを行なうのだが、AI制御による無人倉庫は都内では初めてだったようで、周辺の倉庫会社から見学希望が寄せられている。今は立ち上げたばかりなのでお断りしているのだが。
里子が客室乗務員の教育担当だったと最近になってから知り、飛行機が飛ばずに仕事にあぶれている羽田勤務の教え子達30名を引き抜いて貰った。各人が語学が堪能なのと、空輸便、海運便の輸出入管理のイメージがあるのか、理解が早かった。また、フライトアテンダントの皆さんにとって師匠である里子が、絶大な信頼を得ている事実を目の当たりにして急遽取り纏め役に抜擢した。富山にいるロジ部門責任者の中山智恵より向いているかもしれない。
尚、里子達が勤務していた日本の航空会社のフライトアテンダントは1500名ほど居て、製造メーカーの工場や同じような倉庫会社で集団勤務して糊口を得ているという。
「何人でも構いません。優秀な子から引き抜きますので」と里子が口にした時の表情をモリは忘れない。クビにされた恨み辛みなのだろうがニヤリと笑った顔は怖かった。
翔子がクールビューティなのに対して、里子は温和で健康的なグラビア娘なのだが、女医さんや、頭に角を付けて黒い網タイツのコスプレ衣装が翔子向きで、里子は制服姿か、水着だよなと合点していたのだが、里子の悪魔っ子も有りかもしれない。
志木さんは里子の一番弟子に当たるそうで、パーサー時はアジア路線担当だったのでベトナム語と北京語が堪能という訳で同行をお願いしたらしい。
杏は、玲子とのジャンケン対決で勝ったのでこの場に居る。宿泊は偶数が無駄がないと煩いので仕方なく連れてきたが、3対1なのに、部屋割を全く考えていなかったのだが、先程の一件で無事、確定した。
また、今回の選挙に伴って富山と都心と拠点が分かれるので、人員配置を女性陣が決めた。
富山の知事のスタッフとして、コロナ担当となる医師の幸乃と娘の蛍が知事の秘書として県庁に3人で日々出掛けている。
プルシアンブルー本社がある富山駅前には、エンジニア志望の幸乃の長女の幸と、里子の次女の樹里が通う。
横浜の家に居る子供たちと常に一緒にいてもらうのが幸乃の妹の志乃となる。
恐らく姪っ子の彩乃への配慮もあるのだろう。
モリの秘書役と事業代行者として翔子と里子を今回託された。2人の娘の玲子と杏が居るが大学生4人は拠点間を適時ローテーションするらしい。
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「ホーチミンの空港で特例措置で入国。空港では外務省副次官が一行を出迎え、軍の警備体制でホーチミン市役所まで移動。同市の市長と会談後、マジェステックホテルのレストランで晩餐後、同ホテルに宿泊」
モリ一行の初日の報告が日本の大使館員から届き、今回は再任された都知事の元にも届いた。
「一介の議員としては異例の扱いね・・」
都知事は 都議の外交部会から要請されているモリのチーム入りを却下して、前都議と同じ交通部会に据えようと決めた。
都の外交を牛耳られてしまうと、知事や副知事の立場が霞みかねない。モリに活躍の場を与えてはならない、と与党が助言してくる意味が分からないでもない。国会議員以上に地方議員のレベルは低い。自身の都民セカンドのメンバーのレベルが低いだけに、エース級とも言われている存在の加入は、軋轢を生む。自身の政党の脆弱さが露呈するのは出来るだけ避けたい。
モリの演説では、自身の公約2階建て列車導入によるラッシュの緩和やスギ花粉解決がおちょくられ、カイロ大学の詐称の真実を暴いてやるとまで言われたので、敵だ。そんな者は窓際に追いやってしまうのが懸命だろう。
「たったひとりで何が出来るって言うのよ・・」空港に到着した、周囲と異なる突出した4人の写真が数枚、添付されていた。4人が放つオーラに目が眩む。
それでもめげずに、政治は外見でやるものじゃない、と先輩カゼを嘯き、自身の政治人生が殆ど売春婦の様に時の権力者にただ媚びへつらうだけだったのを棚に上げてしまう。
モリをよく知る者たちは都知事が吊るし上げられる絶好の機会がやってきた、とほくそ笑んでいるのだが、ターゲットとなる当の本人は、まだモリの本当の姿を知らない。
「何故、補選に出て都議になったのか?」
短時間で練られた「都庁ハイジャック計画」は、既に当選した時点で始まっているのだ。
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横浜を拠点とする華僑、周温羅が富山市のプルシアンブルー社を訪れ、自身の海運会社がバンコク、香港、台北、品川大井ふ頭と富山新湊港間の物資を運搬すると、サミア・サムスナーと中山智恵との会談後、契約調印を交わした。
周にしてみれば、日本の海運会社に獲られたくない客だった。コロナ渦でも急成長している裏には、政治の世界に躍り出た傑物の存在があると察知していた。小中学時に、どうしても敵わなかったアイツが、突然表舞台に現れた。教師になったと風の噂で聞いた時には、資産額を調査したが、アーリーリタイヤしたと分かって脱力した。30で守りに入ってどうすると思ったものだ。
しかし、それでは済まされないし、関公はずっと前からお見通しだ。お前はこの世界を変えるだろう、その為の僅かな手助けになるのなら、俺たちを使うがいい。物流面で完璧に支えてみせようと誓った。
会食時にインド人に言われて動揺した。
「周さんって、ひょっとして日本名をお持ちじゃないですか?」
「なぜ、そう思われたのですか?」富山湾で水揚げが始まったというズワイガニの足を置いて周は返した。
「不思議なんです。カルマのようなものを貴方から感じます。周さんが生まれも育ちも横浜と伺ったからでしょうか、ウチのモリと何か接点があったのかな?と思ってしまいまして」
「ちょっと。カルマって何なのよ・・すいません。彼女はインドに行ったこともないのに、文化的なものには憧れている腐女子なものですから、突然、変な事申し上げてしまって」
「いえ、構いません。残念ながら接点はありませんが、モリさんとの繋がりのようなものがあるのなら、それはそれで光栄なことだと思いますし・・」
「あー分かったかも、昔、一人の女の子を巡って何かがあった、とかでしょうか?女の子は一人で、2人の男の子はそれぞれ別のエリアに属していて、例えば塾と学校とか生活圏が違う場所で接点があったというパターンなのかもしれません。それならお互いが知るはずもないですし・・」
周はサミアの話に微笑みながらも、背中に汗を感じていた。サミア・サムスナー、何者だ?と思いながら。
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富山県の南部と接する岐阜県の白川郷、飛騨市、高山市の観光地で、プルシアンブルー社製の遠隔医療サービスの実証テストが始まった。
金森が選挙中に紹介したモデルを、観光地の3市が名乗り出た。愛知や関西圏からの観光客がGo to Travelで増えるのに伴って、コロナ感染者が徐々に増え始めた。
共に潤沢な入院施設が無いので、金森がPRした医療システムを試したいと申し出た。富山県としても周辺県の医療体制の破綻は極力避けたいので賛成した。
プルシアンブルー社製のドローンにノートPCを搭載し、コロナ感染の疑いを含めて具合が悪くなった方のお宅にドローンが飛んでゆく。最初の連絡は役所の専用番号に電話する。
PCはChromebookのように開閉すると直ぐに起動して、アプリが立ち上がる。庭やベランダに降りたドローンにはWifiが搭載されており、医師と患者が画面越しに会話できるようになり、問診が始まる。
医師は患者の状態を見て、可能性を絞り込んでゆく。通院の必要ありとすると医師が地元のタクシー会社に連絡。仮にコロナの疑いありとすると前席と後部座席が透明なパネルで遮断されたタクシーが向かい、富山県内の病院も含めてお連れする、というものだった。
モリ一行がベトナムの後で台湾に寄るのは、この診断用のノートPCの画面と内蔵カメラをより精度の高いものに変える特注品の製造を委託するのが目的だった。
それと独自開発なのだろうか、先行して部品図と設計図が添付された小型のタブレット2種で、片方は防水機能が施され、もう一方も揺れに強い設計が施されていた。
プルシアンブルー社からの委託なので、AIを搭載するのではないかと囁かれていた。
(つづく)