海外に住むということは、差別される側になる覚悟を持つということ
こんにちは、taigaです。
先日、note内を巡っていて、興味深い記事を見つけたので読ませていただいた。
この記事は、現在デンマークに住んでいる方が数年前に書かれたものだ。
隣国の話なので、ドイツとは直接の関連はないのだが、『海外在住の日本人からみた視点』で共感するところがあったのでシェアさせて頂いた。
僕の書く文章と違って、読む人を選ばない、「なるほど」と思わせてくれる記事だ。ぜひ読んでみて欲しい。
さて、今日のメインテーマだ。
僕がこれから書く内容は、上記の記事と直接は関係ないのだが、記事を読んでいていくつか思い出したことがあった。
なので、海外に長く住んでいる日本人の一人として、僕が時おり、日常の端々にふと考えていたことで、この記事を読んでいて改めて思い出したことを書いてみたい。
今回は、海外に憧れる日本人と、海外在住の日本人、どちらに対してもふとした時に思っていたことだ。どっちに対してもかなり辛口な思考だが、時間がある人はぜひ読んでいってくれ。
◆追記:2021-05-16
ちなみに長くなったので、『海外在住日本人に対して思うこと』は違う記事に分けた。下記がそのリンクだ。こちらもぜひ興味があれば読んでみて欲しい。
海外生活(特に欧米諸国と呼ばれる先進国の国々)に夢を見すぎている日本人は多い
これは歴史上、仕方がないことだ。ここだけを責めるのはちょっと可哀想だ。
我々が現在生きるこの世界では、『最先端の基準』はどうしても欧米諸国(この書き方は好きではないのだが、要はヨーロッパ内の一部の先進国と、アメリカやカナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど)になっている。
それ以外の他の国々と変わらず、日本人もどことなく無条件にそのような国々に憧れを抱き、カッコいいと崇拝している事実は否めない。
だが、それらの国々もパラダイスというわけではない。貧富の差はあるし、一般的には日本よりも治安が悪いことの方が多い。
それでも、語学・文化の違い、法律、社会システムは学んでいけば、ある程度のハードルは解決できる。
つまりその国を理解しようと、自分の価値観をしっかりインテグレート(融合)していけば、異国の地であっても5年、10年、15年と住んでいくと、1〜2年で帰国する留学生、研究者、インターン、ワーホリ、短期駐在の方々とは異なり、お客さん扱いではない、より現地人に近い生き方ができる。
ただ、何十年その国に住もうが、たとえ国籍を変えようが、どうしても回避できないことは、『人種における問題』である。
国際社会と呼ばれる今のこの世界で、移民・難民・外国人に対する問題はどの国にも起こっているし、自国の国民との軋轢も存在するし、もっと平たく言うと、差別も存在する。
目に見える悪意のある差別も時にはあるが、それ以上に、実は、目に見えづらい(言っている本人たちも無自覚な差別)がかなり多い。
例えば、僕ら日本人が、日本で生活する中で、日本在住の外国の人々に対して、たとえ無意識にでも一つや二つ、思うところがきっとあるだろう。そんなの一切ない、と言うことは絶対ないはずだ。そういうのと同じだ。
海外に住むと言うことは、今度は逆に『そう思われる側に回る』と言うことだ。
このようなことは、日本に住むほとんどの人は、恐らく教わらなかったと思う。
なので、これは僕個人の意見になるのだが、ハッキリと書いておこうと思う。
海外移住(特に欧米の先進諸国)を夢見る日本人に知っておいて欲しいこと。
というか、ある程度、覚悟を持っておいて欲しいこと。
それは、自分が日本国内で、たとえ無意識にでもやっていたことの真逆。
つまり『自分が差別される側に回る』と言うことだ。
海外では日本人は出稼ぎ労働者として認識されている(場合がある)
今回のテーマは非常にセンシティブな話題なので、できるだけ言葉を選んで書いていく。
人は誰しも差別意識というものは持っていて、それをなくすことが一番なんだけれども、それはなかなかなくならない。
人間がはるか昔、何千年も前にこの地球で社会を築きだしてから、西暦2021年になった今日でも差別は存在し続けている。
人種差別もその一つだ。
日本は戦後、アジア諸国の中ではかなり大きな経済発展を遂げた時代があった。
確かに日本は、太陽の沈まぬ国スペイン、花の都パリのような二つ名で世界に一世風靡を築くほどの影響力はなかったかもしれない。
それでも戦後、高度経済成長を遂げて、大きく躍進した時代は確かに存在した。
そんな日本人は、『日本人であること』に対して、かなりの誇りを持っている。
(日本では、基本的に二重国籍が禁止されていることもあるが、日本人は他の一部の先進諸国のように、そう簡単に日本国籍を手放さない。何十年か住んで、移住先の国籍にメリットを感じた場合、ようやく初めて『帰化』という選択肢が入ってくる場合が大多数だろう。しかし二つ返事ですぐに自分の国籍を捨てて、移住先の国民になりたい人々は、世界にはたくさんいる)
だから、海外移住をしてまだ日が浅く、およそ日本国内で人種差別を受けることを経験したことのない日本人は、現地でできた仲のいい友人・信頼していた義両親・気のおけない同僚などに『無意識の差別(または差別でなくとも、どことなく下に見られている感覚)』を向けられると、
彼ら外国人(特に先進国と呼ばれる欧米諸国)が考えている『日本というポジション』は、僕ら日本人が考えているよりも、ビックリするほどはるかに低いという事実にショックを受けると思う。
日本パスポートは強いのにどうして?と思うかもしれないが、そんな事実、彼らの多くは知るわけがないし、今回の話と一切関係ないのだ。
いくつか例をあげてみる。
僕は以前、ドイツ人の親友(今も懇意にしている)から、会話の流れで、一度こう言われたことがある。
「君も知っている通り、ドイツにはさ、移民がいっぱいいるんだよ。歴史的な背景もあってイタリアやトルコ移民が最も多いけど、最近はアジアからの移民も多い。中国人、韓国人、ベトナム人、タイ人、あとは日本人の出稼ぎ労働者が多くなってきてるんだ」
僕はその時、口には出さなかったが正直こう思った。
出稼ぎ労働者…?日本人が?
出稼ぎ労働者というのは、あれだ。経済的に弱い国が、先進国でたくさん稼いで、仕送りをすることだろう?僕たちは……えっ。そうなのか?さて、これは何も僕の友人一人の認識ではない。
少なくとも一部の、あるいは割と多くのドイツ人(に限らず、恐らく他のヨーロッパの先進国もそうかもしれない)は、日本人(というか中東、中南米、アジア人など)に対して『出稼ぎ労働者』という認識を持っている。
これはさらに裏付けがある。
あくまで僕の体験談ベースだが、また別のドイツ人の友人の家に遊びにいった時、その母親にお茶を出されながら、世間話でこう言われたのだ。
「日本にはドイツみたいなサービスの数々はまだまだ少ないだろうけれど、こちらに滞在している間に色々と良い経験ができるといいわね!」
いや、確かに一部の技術は日本よりもヨーロッパの方がよっぽど進んでいる。
しかし『ドイツみたいなサービスの数々が日本にはまだまだ少ない』わけがない。
その方にも悪気など一切ない。ただの世間話だ。そう、単純に知らないのだ。
そういう人々にとって、アジア諸国=どこも貧しめな発展途上国なのだ。
要はその母親は「素晴らしいドイツのテクノロジーを体験して、帰国した際は自国の経済成長に役立ててね!」と言う『むしろ話題に気を遣った』ぐらいの意図なのだろう。
だがこれは僕ら日本人も実は理解できるはずだ。
日本に出稼ぎに来ている発展途上国の方々(多くはアジア人)に「頑張ってね」と温かく応援する気持ち(つまり何となく上から目線)になるのと一緒だ。
だから僕はその友人の母親にとっては『先進国で頑張っているアジア人』という認識なのだ。
このような感じで、外国人の全員が全員、日本が戦後に高度経済成長を遂げた先進国だと認識していない。彼らにとって、アジアの国々はどの国も同じなのだ。
これを『差別』と受け止めるかどうかはその人次第だが、日本人として日本に誇りを持っていた僕は、少なからずショックだった。
こう、腹が立ったとかではないが、なんというか、あっという間に流れすぎていく早すぎる会話の中で『チクッ』と胸に刺さって、反論する間もなく、「アレはどういう意図だったんだろう?」と思い返す暇もなく、ただそれが後からジワジワと痛み出すような、そんな感覚だ。なんとなく分かってもらえると嬉しい。
僕がドイツで受けた典型的なアジア人差別
その他にも色々ある。
週末マーケットで街の広場に出ている移動型のお店で、野菜か肉を買おうとして話しかけた時に、アジア人に対する典型的な差別用語である「チン・チョン・チャン」を店主にヘラヘラ笑って言われたことがある。
また、少し昔の話になるが、ドイツ人の友人グループに「悪気はないんだけどさ、俺らから見て、アジア人はなかなか見分けが付きづらいんだよな」という話の流れで、指でキューっと目を細めるアレ(アジア人は目が細い、という典型的な差別)も受けたことがある。
差別は、忘れた頃に、何度も・繰り返し・形を変えてやってくる
こう言うのが日常茶飯事とまでは言わない。
しかし、差別とは、忘れた頃に何度も何度も繰り返しやってくるのだ。
悪意のある差別も存在するが、普通の常識人はそんなこと言わない。つまり友人や知人の場合は、まさかそれが差別だなんて思っていないのだ。
だから笑って言えてしまうのだ。ジョークの一環として。世間話として。
もちろん、ドイツは特に人権教育に関しては徹底している。だから明らかに悪意を持ったやり取りは普通は起きない。
僕の書いた上記のような体験だってそう頻繁には起きない。これは本当だ。
いや、だからこそ、なのだ。
自分が『差別される側の社会に生きている』ことを忘れかけた時。
現地で仲良くなった友人・知人・取引先などが、それを彼らの意図しないところで(本人たちは世間話のつもり)で繰り返し、何度も思い出させてくれる。
僕たちは『日本人』ではなく、ただのアジア人なのだと。
沢山あるうちのアジア諸国のうちの1つで、富を築きに、自国よりもより良い生活をするために、ワンチャン狙っている人々なのだと。
前章に書いたように、僕ら日本人が日本に出稼ぎに来ている外国籍の方々に思うことと一緒で、「ようこそ!頑張ってね」という感じなのだと。
(何度も繰り返すが全員ではない。教養・知識がどれくらい深いかで全く反応は変わってくる。ただしいかに教養があっても、アジア人への偏見・ステレオタイプを通したフィルターが完全に外れていることは、ほとんどない)
★Exkurs(余談)ドイツ人と結婚した、僕の知人・友人が受けた差別
・例えば、現地の夫(または妻)と二人で一緒に歩いている時は差別を受けないが、自分一人で街を歩いている時だけ差別を受ける。
でもそれはパートナーは見えていないから「気のせいだよ、考えすぎだよ」と言われることがある。
・また、夫の母親(義母)に「あなたはラッキーよ。先進国で経済的に豊かなドイツ人の息子と結婚できて、本当に良かったわね」などと、かなり直接的な言葉を受けたという話も聞いたことがある。
友人・知人から差別を受けた時、僕たちはどう反応すべきか?
外国に住んでいる以上、小さな差別は、いちいち反応せずに、時にはサラリと流したほうが生きやすくはある(決して慣れたくはないが)。
だが、度が過ぎた場合、自分の許容度を超えた場合は、どんなに仲のいい人間だろうと、それをきちんと相手に「それは差別だ」「不快だからやめてほしい」と伝える勇気が必要だ。
自分の意見を伝えるというのは、何も「コーヒーか紅茶なら、私はコーヒーがいいです」というような趣旨ではない。
日本人が一番苦手とする「やめて欲しい」「NO」をはっきり言うと言うことだ。
特に先進諸国への海外移住を希望する『あなた』は、たとえ仲のいい友人に対しても、いちいち、そういうことを何度もできる覚悟は持ち合わせているだろうか?
もしまだであれば、海外では『日本人特有のヘラヘラ笑ってごまかしてやり過ごす』を絶対にやめなければいけないことを、頭の芯から理解しないといけない。
(そうでなくてもヘラヘラと「イエス、イエス〜」と言っていると本当に嫌われるし、馬鹿にされる)
また、長いこと海外に住んでいる日本人も、まだ未だにその癖を続けているのならば、もうどこかでいい加減やめないといけない。
語学力に自信がないなら、ヘラヘラ笑っていないで、不快感を表すオーラを出す。「Hey, I don’t like that.」ぐらいは言えるだろう。
または、真顔でピシャリと「ちょっとよく分からなかったんだけど、もう一度言ってもらっていいですか?あなたのその言葉の意味はなんですか?」を聞き返す。
そう、大概の人は、悪意がないし、それなりに人権教育は進んでいるはずなので、相手が不快感を示すと、「あっ。そうかこれはダメなやつか」と瞬時に理解して謝ってくれるはずだからだ。
まとめ
海外移住、とりわけ日本人の憧れの的である欧米の先進諸国に住むと言うことは、このようにさりげない日常で差別を常に受ける可能性があると言うことを理解して、覚悟しておかないといけない。
多少の嫌なことは目を瞑り、なかったことにするのも良い。
それは人間の性であり、取り分け日本人なら、場の空気を読んで感情を押し込む方が得意だし、楽だろう。
だが、そのような『取るに足らないほどの小さなことと済ませてしまいがちな差別』は少しずつ積み重なっていく。
それはそういうもんだと、ある程度、適応することは段々できてくる。
肩肘を張らなくても、どこが『怒るべきポイント』か、『流しておくべき』か、その辺りも見極めがつくようになってくるだろう。
だが、少なくとも日本にいた時と全然違うポジション(つまり外国人というだけで、滞在許可、仕事、言葉、文化、法律、人種など諸々の面で社会的弱者の側になるということ)であることを十分に理解し、受け入れる必要がある。
海外移住を夢見る日本人で、このような覚悟がない日本人は多い気がする。なぜなら、このようなことはあまり教わる機会がなかったからだ。
だが、こういうことは『現地に来て、肌身で感じて学ぶもの』でもある。
今まで対等だと思っていた現地の同僚や友人、パートナーや配偶者などから、もしかしたら無意識にでも『ちょっと下』に見られているのかもしれない。
だがそういうのはすぐには分からない。少しずつ、言葉の端々などでピリリと感じ取っていくしかないのだ。
だからその辺りは、頭でしっかりと知識として理解した上で、それでも興味があるなら、海外移住、ぜひチャレンジしてみたら良いと思う。
なぜなら、日本国籍さえ手放さなければ、たとえ10年後・20年後でも、気が変わればいつでも日本に帰れるし、日本という国は僕たちを受け入れてくれるのだから。
というわけで、かなり長くなったが、僕が『海外に憧れる日本人に対して思うこと』はこの辺で締めたいと思う。
ちなみに『海外在住の日本人に対して、僕が思うこと』は、別記事に分けたので、興味がある方は、また覗いていってくれると嬉しい。
この記事を最後までお読み下さいましてありがとうございました。 これからも皆さんにとって興味深い内容・役立つ情報を書いて更新していきますので、今後ともどうぞよろしくお願い致します。