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『ひるじまの本屋』(短編小説)


   そこは、大海原のどこかにあるちっぽけな孤島。

   その島に正式な名前はなく、いつの頃からか島の人たちは「ひるじま」と呼んでいる。英語の「hill」が語源になっているらしく、島の真ん中に大きな丘があるのだ。それ以外の特徴は特に何もない。丘のてっぺんには小さな本屋が1軒だけポツンとあって、むかしは島の人たちの集会所のような場所になっていたのだけど、丘をのぼるのがちょっと大変で、最近は本屋に訪れる人はめっきり減ってしまった。

   ピンポーン。ピンポーン。

   海風がパタッと止んだ日曜日の午後、家のインターホンが2年ぶりに鳴った。誰だろう。

「はい?」
「おいらだけど」
「おおっ、クマじゃないか」
「今からね、丘の上の本屋さんに行くんだけどハチも来る?」
「うん、行く」

   クマは、いつもオーバーオールを着ていて、ポケットにはいつも七色に輝くパイプを大切に入れている。お爺ちゃんの形見らしい。クマによれば、そのパイプを吸うと不思議な煙が出てくるらしく、遠い遠い昔、雨乞いするほどカラカラだった季節に、お爺ちゃんがパイプをふう〜とやると、もくもくと煙が出てきて、その煙はあっという間に雨雲になって、恵みの雨が降り注いだのだという。本当かどうかは知らない。

   れんげ草やしろつめ草などが広がる草原を二人でてくてくと歩いていくと、地面がだんだん斜めになっていく。丘をのぼり始めているのだ。

「ねえ、クマは本屋に何をしにいくの」
「ほしい本があるんだ」
「そうなんだ。どんな本なの?」
「知りたい?」
「うん」
「“海の向こうの空”っていう本なんだ」
「へえ。なんだか面白そうだね」

   はあはあはあはあ。
   はあはあはあはあ。

   息をきらしながら、やっとのことで丘の上についたら、二人ともくたくたになった。汗っかきのクマはシャワーを浴びた後みたいだった。

「久しぶりだと、やっぱりしんどいなあ」
「お互いに運動不足だね」
「本屋にくるのも久しぶりだね」
「2年ぶりかな。あ、そっか。前回もハチと一緒に来たんだった」
「何回きてもここからの見晴らしはいいよね。ほら、僕たちの村があんなに小さいよ」
「こうやって指で丸にするとさ、村がおいらの手の中にすっぽり入っちゃうんだ」
「ほんとだ、すごいね」
「さてと、本屋さんに入ろうか」
「そうだね」

   本屋さんの扉を開けると、相変わらず本棚はスカスカだった。たぶん全部で100冊くらいしか置いていない。本棚のすぐ横では、店長の白髭爺さんが揺り椅子に座ったまま、鼻風船をつくって寝ていた。

「ねえねえ、白髭爺さん戻ってきて〜」と言いながら肩をポンポンたたく。すると、白髭爺さんは、一瞬目をパチリと開けて「んんっ?」と言って、目を閉じてまたすぐに寝た。10秒ほどしてまたすぐに目をくっきり開けて「んんっ?」と言ったら、鼻風船がはじけた。

「久しぶりだね、白髭爺さん。本を買いに来たよ」とクマが元気よく言った。

「おおっ、おおっ」と、白髭爺さんはアタフタしだした。きっと久しぶりのお客にとまどってしまったのだろう。

「あのね、本屋はね、もう閉めることにしたんだよ」
「閉店?」
「この通り、こんな丘の上にはもう誰も来ないからね。しかも今はインターネットってやつがあるだろう。みんな本屋には行かなくなったんだよ」

   そういえば最近、お向かいのポポおばさんの家にバッグをぶら下げた渡り鳥運送のペリカンがよく出入りしている。ポポおばさんはインターネットでいろいろなものを買っていたんだな、と納得した。

「この本屋がなくなったら寂しいよ。白髭爺さん、なんとかやめないでよ」
「ありがとうハチ。わたしはね、この揺り椅子にただ揺られているだけでお客がぜんぜん来ない平凡な毎日につかれたんだよ」

   それを横で聞いていたクマが何かを思いついたかのように言った。

「おいらがなんとかするよ」
「どうやって?」
「ハチと白髭爺さん、ちょっと一緒に表に出よう」

   3人で本屋の外に出ると、クマがおもむろにポケットから七色のパイプを取り出した。
「そのパイプどうするの?」
「まあ、見てなって」

   クマがパイプをくわえて、すう〜と吸い込んで、ふう〜と吐いた。もくもくと煙が出てくる。みるみるうちに煙は増えて、気がつけば丘の上を覆いつくしてしまった。不思議なことに、その煙は匂いがなくて、ゴホッゴホッと咳が出ることもなかった。

   後ろを振り返ると、本屋の建物がゆらゆら動いていた。煙のなか、目をこらしてよく見ると、地面が雲になった本屋が空中にぷかぷか浮いていた。

「わ、わたしの本屋が・・・」
   白髭爺さんは心配そうにぶつぶつ言っている。

   七色のパイプをポケットにしまった後、自信たっぷりにクマは言った。
「ほら、これで、どこにでもいける。潮風や偏西風にのって、本がほしいと思っている世界中の人たちのところに行けるよ。だから白髭爺さんが、椅子で退屈することもなくなるよ」

   白髭爺さんは、涙を浮かべてうれしそうに言った。
「これなら、夜のある国にもいけるなあ。子供の頃からの夢だった“月明かりの読書”ができるかもしれないなあ」

   僕とクマは聞いたことのない言葉を耳にして、何のことだかさっぱりわからなかった。

「ねえ、白髭爺さん、夜って何? 月明かりって何?」
「そうか。ハチとクマは、夜を知らないのか・・・」

   その後、白髭爺さんは、夜についてたっぷり教えてくれた。海の向こうの国には夜という時間があること。夜になると辺りがまっ暗になって目の前の人の顔すら見えなくなること。夜の空には、星というキラキラした光と、月という大きくて丸い光が浮かんでいること。そして、昼と夜は交代でやってくること。

   僕は信じられなかった。世界にはそんな恐ろしくて美しいものがあるのかと。クマはすっかり白髭爺さんの話に夢中になっていた。

「ハチとクマよ。大切なうちの店を雲にのせてくれたお礼に、もうひとつ教えてやろう」
「えっ、今度はなんだろう?」
「この島は、ひるじまとみんなに呼ばれているだろう。なぜかわかるか?」
「島の真ん中に大きな丘があるからってきいたけど?」
「いいや、本当はね、この島には昼しかないからなんだよ」

(了)

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