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短編小説

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妄想のかたまり
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追憶

金魚すくいの紙は呆気なく、一匹も獲れずに破けた。
獲れそうな気配すらなく、そもそも大物を狙おうとしてはおらず、少しだけ水中に潜らせて何度か左右に揺らしただけで、紙はあっという間に破けてしまった。

残念だったねー!

という、金魚すくいの紙と同じくらいに薄っぺらな言葉をかけた店主の声は、十分に湿気を吸った空へと舞い上がり、誰の心にも残らずにそっと消えていった。そうだ、あの後すぐに雨が降ったんだ。水

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思い出せない

思い出せない

「夏にさ、水戸で見たあの大三角形、最高だったよな」

「あれ、水戸じゃないから。あれ、ひたちなかだから」

細かな指摘を受け、俺は口を噤む。話す気力がなくなってしまう。
そのような揚げ足を取ることが、いかに相手の気分を下げてしまうことを、彼女は知らない。まだたくさんの人と付き合ってきていないのだろう。

ひたちなかだとか、水戸だとか、県外の人間にとってはどうでも良いのだ。それが顔に出ていたのか、彼

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いつか気がつく

いつか気がつく

悩みの中間地点を折り返す。

悩んで悩んで悩み抜いて、というほどには悩みきっていないが、これ以上、俺には悩み続ける気力が残っていなかった。疲れたのだ。
長いトンネルを、ずぶ濡れになったスニーカーで、ひたすら歩いている気分だった。肌寒く、空腹で、身体は冷え切っていて、まるで地獄のようだった。閻魔大王から、「お前は堕ちろ」と言われ、地獄と言われる場所にたどり着くまでの長いトンネル。外灯はチカチカと照ら

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喫茶店から見た外の景色

喫茶店から見た外の景色

営業職だから外に出る機会が多く、さらに真夏の太陽がギラギラと照り付けるようなこの季節は、こまめに水分を補給しなければいけないから、自動販売機や、時間があれば喫茶店に入って身体を落ち着かせることが増えてくる。季節柄仕様のないことなのであるから、会社としてもその休憩は必須であるとして、認めざるを得ない状況なのだ。

そういう訳で、今日もタカオは行きつけの喫茶店の駐車場に車を流し込んだ。今年はルートセー

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バリカン

バリカン

拓海は手先が器用で、私の襟足をいつも軽やかに刈ってくれた。
彼がいなくなった今、それを自分でやろうとする気が起きず、それは私が不器用だからというよりは、バリカンの音を聞くと彼のことを思い出しそうだからなのだが、

つまり、私はたくさんの未練が残っている。
認めたくない、けど、きっとそうだ。私の身体のことは、理解しているつもりだから。

器用に人生を渡る人間は、たくさんの人間と出会いや別れを経験して

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正義

正義

労働組合とか、そういう団体は必要という理解をしているものの、それはきちんと言葉というツールで交渉すべきで、それを越えた暴力というものでやりあおうとする世界は、あってはならないことのように思う。

自分たちで作り上げてきた世界を、そういう形で壊してしまう。悲しいことだ。滅亡すべきだ。人間ぜんぶ。地球に失礼だ。

💣

青年は、かねてより考えていた思想を膨らませ、その思想を実現するために行動したいと

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風呂上がり

風呂上がり

さっき風呂入りながらさ、鏡を観てたんだけど、自分の目頭を切開したら、少し表情が変わるかな、と思ったんだよね。

同僚はタバコのカートリッジを交換しながら、そんなことを何気なく話す。

仕事帰り、月イチくらいのペースでこの銭湯に通い、缶ビールを飲み、タバコを吸い、解散するようになった。同僚とは2歳差で、中途入社だったものの入社するタイミングが一緒だったから、自然と仲良くなった。
同世代の社員は他にも

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今月から同じチームになった人の話

今月から一緒に働いている人が何人かいまして、つまり初日から在宅勤務なんですよ。
これが割といろいろめんどくさくて、最初って、会社が社会に提供しているサービスの話とかするじゃないですか。
私、そういう時って真っ白な紙とか、ホワイトボードを使って説明をするのが好きタイプなので、それが非常にやりづらかったです。

そんな人とも、明日、会社に行って一緒に作業する必要がありまして、そこで初対面なんですよ。入

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高校時代の友達だった人の話

女友達だったんですけどね。男女間の友情はあると思ってて、その人とは本当にそんな関係だったなと思います。気が合った、ってことなんだろうけど。

彼は唐突に話しだした。昼下がりのファミレスに入った俺たちは、ただ、暑いから涼みたいというだけの理由でその場所を選んだ。

もともと手持ち無沙汰だったのだ。暑いし、ドリンクバーで茶を濁す?茶でもしばく?みたいな、中身のない会話をしながら、ファミレスの入り口を押

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ビンゴ

ビンゴ

「洋ちゃん、今日も揃ってないね」

高二の時に行われた文化祭で盛り上がり、その勢いで付き合うことになった洋ちゃんとは、帰宅する方向が少しだけ一緒だ。
最後に分かれるところに大きなマンションがあり、各家庭が灯す明かりが真っ直ぐに揃ったら、その夜は洋ちゃんの夢が見られると願掛けをしていた。

結局、卒業間近に洋ちゃんと別れるまで、ただの一度も揃ったことはなかった。

洋ちゃんは工業系の大学へ行くと言っ

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春 | 002

春 | 002

前回までの話
https://note.com/syunny333/n/n058fb7af678b

新しい職場は、思っていたよりもホワイト企業で、遅くともだいたい19時には退勤できた。
前職では早くでも21時だったから、ありがたいと思うべきなのだが、逆にそんな時間に開放されたとして、何をすれば良いのか分からず手持無沙汰になることがあるので、まだ私の身体にはなじんでいないのだな、と感じる。

歓迎

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バイト先の棒

バイト先の棒

日本という国は、セックスレスがむしろマジョリティです、という話を目にすることが多い。良く読む女性誌には、それの特集を組むことが多いような気がする。

気がする、というのは私がそれを気にしているから、セックスレスに関する情報に目ざといのか。おそらくそうなのだろう。それが良いことなのか悪いことなのか、良く分からない。夫婦間の絆?そんな幻想に酔いしれているのは、きっと結婚していない女だけだ。
結婚して、

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雨の音は、

雨の音は、

せっかく満開になった桜の花びらが一斉に散るかのような、とても強い雨が降り注いでいる。雨が降る度に春の色を増していくのだろう。だがせっかく綺麗に咲いた花を散らすというのは、あまりにも花に対して可哀想ではないだろうか。

子供を保育園まで迎えに行き、帰り、ザーザーと降る雨の中、5歳の男の子と相合い傘をして帰路についた。
傘に当たる雨の音が、バツバツという擬音で表すことができるほどの強い雨。その音に気を

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愛嬌ってなんだ

愛嬌ってなんだ

今日の午前に予定されていた2時間のミーティングが、開始3分前にキャンセルされた。理由は主催者側の都合が悪くなったとのことだった。彼に同情する。彼らの、政治的な問題なのだろう。メインで喋るはずだった彼は昨夜、緊張して眠れなさそうと言っていた。主催者側に属し、そして気の小さな彼は、ちょっと大きなサイズの会議になるとすぐに緊張してしまう。彼が発言する予定すらないのに、だ。いくらなんでも抱え込みすぎなんじ

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