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雨の音は、

せっかく満開になった桜の花びらが一斉に散るかのような、とても強い雨が降り注いでいる。雨が降る度に春の色を増していくのだろう。だがせっかく綺麗に咲いた花を散らすというのは、あまりにも花に対して可哀想ではないだろうか。

子供を保育園まで迎えに行き、帰り、ザーザーと降る雨の中、5歳の男の子と相合い傘をして帰路についた。
傘に当たる雨の音が、バツバツという擬音で表すことができるほどの強い雨。その音に気を取られていると、
「おかーさん、僕、背が低いんだから雨が当たっちゃうよ」
と、次男に私のレインコートをギュッと掴まれた。

この季節、そしてこの雨というコンビネーションは、私の甘酸っぱい思い出を連想させてしまう。

あれから15年も経ったというのに、未だに私の中では甘酸っぱい、いや、むしろもう少しビターな味に近い思い出が頭の中からこびりついて離れない。
そのしぶとさにウンザリしながら、私は次男が雨に濡れないように気をつけた。

あの日、私は少しだけいいなぁと思っている男子がいた。高校2年から3年へはそのまま持ち上がりだから、2年連続で同じクラスの男子だった。彼に想いを寄せていたが、私はブスだからこの想いは成就できないと勝手に想像し、告白する勇気を持つ前から諦めていた。

そうなのだ。この季節、この雨は、あの時に勇気を持つことができなかった自分を蔑むような気持ちをもたらすのだ。
ブスなことを理由にして、勇気を持つことをしなかった私は、それをクヨクヨと悩む日々を過ごし、かなりひねくれてしまっただろう。恋に対して引け目を感じるというよりは億劫に近く、そっち側の気持ちから意識的に遠ざかろうとしていた。
そんな私でも結婚できたのは、後の伴侶となるバイト先の雇われ店長も不細工で奥手で、周りがもてはやすうちにいつの間にか付き合ってしまい、結婚、出産までトントン拍子でたどり着いてしまった。

あの頃の私からしてみたら、まるで夢のような話である。子供は二人とも男の子で、苦言をたまに呈すものの基本的に愛されていると感じる。本当はひねくれている私だが、それをどこまで夫を含めた彼らに見せるべきなのか、いつまで経っても分からないし、多分、死ぬまで見せなくても良い部分なのかもしれない。

あの時、私の先に歩いていた彼は、おそらく私の雰囲気を察していたように思う。二人とも前を見て、ザーザーと音を立てる雨を聞きながら、それぞれぼんやりと歩いていた。
もしあの時、私が声をかけていたら。
そうだ、思い出した。私は彼が後ろを向く機会がないか、それを待っていたのだ。彼がもし後ろを振り向いたとしたら、それは私に気があるのかもしれないと淡い期待を持っていたのだが、彼は駅に到着するところまで後ろを振り向くことはしなかった。

多分、彼は私に気がなかったのだろう。私も、勇気を出すほど好きではなかったのかもしれない。
それでもなお、この季節、この雨を体験する度に、私は、実はそんなに好きでなかったあの男子のことを、思い出してしまうのだろう。
まるで呪縛のように。

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