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新時代のクレヨンしんちゃんが最高だった
はじめに皆さんはもう「しん次元!クレヨンしんちゃんTHE MOVIE 超能力大決戦とべとべ手巻き寿司」をご覧になっただろうか。
私は今日見てきた。端的に言うと最高だった。
つまるところ本noteは、この作品がすごーい面白かったという事をひたすら述べるものだ。これは私個人の極めて主観的な視点や偏見が含まれる可能性があるのでご了承願いたい。
大まかにネタバレなしの感想とネタバレの感想の2つに分け
すずめの戸締まりがめちゃくちゃ面白かった感想と考察 ※ネタバレ超注意
注意めっちゃネタバレします。
ネタバレありきで作品のそれぞれの要素について良かったとことか考察とかを見立ての温度そのままで書き連ねたものなので注意。
できればこんな記事読む前に映画館に行ってね!めっちゃおもろいよ!
感想シンプルにめっちゃ面白かった。
結構よくある世界系の文脈を汲んだ作品だなーと思いつつ、作品の中で大人たちが社会の倫理や規範を唱えつつも、少年少女たちが自分の感情を叫び、そのために
達成感を得る経験は社会的な地位や個人の能力として蓄積され、最終的な幸福へと昇華される
それに対して快感は一時的なもので、長期的に見たとき幸福へ昇華しづらいから単なるゲームとかは幸福のためとは言いづらい?
快感は本来達成感を得た際などに得られる副次的なもの?
こういう記事っていずれ小説書くときのメモの意味が実は結構つよい
おバカなので、現在の研究なんかでの結論とかを知ってるわけじゃないけど自分として腑に落ちる所まで妄想するのってやっぱり楽しいよねって話でしたー
なんとなく愚痴のコミュニケーションから感情の仕組みまでたどり着いたのが楽しかったな。
ずっとなんで感情ってあるんだろうって考えてたんだけど、生存上で良いものと悪いものに対する報酬や罰を脳の発達でより明確に認識することができるようになってそれに名前がついたものってことな気がするな
愚痴のコミュニケーションから考える感情の意味
人はなぜ愚痴で仲良くなるんだろう?昨晩の夜八時ぐらい、日課であるスマートフォンのアプリでライフを使ってとある漫画を読んでいた時にふと気になったフレーズがあった。
「人は誰かに対する愚痴を使って仲良くなる」
それは何気ないシーンの何気ないセリフだった。しかし私はそれに確かにな、とえらく納得した。
部活の先輩、監督、仕事の上司や嫌な客。私達に与えられた自由時間においてそれらの話の種は尽きる事がなく、絶
というか結構多動性だから自分で結論が出たと思ったことに対して興味がなくなってすぐ忘れるんだよね
昔のこととか何も覚えとらん
少しまとめたい考えがあって
言語化とたとえ、そして感覚派の天才について
エゴによって構成される優しさ
noteにしたい
なんか昔のnote読んでみたけど小難しいこと考えてるな
もしかして俺、めっちゃ馬鹿になってない?何言ってるかもはや理解できん
という最近の気づき
案外こういう人多いんじゃ
自分を見つけようと思ったら、マイノリティでなければいけないと思ってしまうんだよね
物事は常に相対的にしか存在し得ない。
違いによってようやく存在が確立する。
人は生まれた時に存在の意味も役割も与えられず、自分を規定するものが何もない。
それなのに、大衆と同じであると言われればもはや自らの存在を証明できない。
どこにいるのか分からなくて、特別にすがっていたんだな
子供の頃から自分は才能が有るだとか特別だと信じていた。
といよりも信じていたかった。
最近になって自分は平凡というよりもむしろ落ちこぼれに近いことに気づき始めた。
なぜ、僕は妄信的に特別を信じたのだろうか。
それは存在さえも相対的にしか存在し得ないと気づいていたからだ
専門家じゃないから適当な憶測ばっかりで不確かなことを書いている。
でもさ、そんな答えのわからないことを考えるのってとっても楽しいんだよね。
そのうえで、答えを求める。
ってことで本とかを読むんだけどやっぱりそれも楽しい。
そんなお話です。