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すずめの戸締まりがめちゃくちゃ面白かった感想と考察 ※ネタバレ超注意

注意

めっちゃネタバレします。
ネタバレありきで作品のそれぞれの要素について良かったとことか考察とかを見立ての温度そのままで書き連ねたものなので注意。
できればこんな記事読む前に映画館に行ってね!めっちゃおもろいよ!

感想

シンプルにめっちゃ面白かった。
結構よくある世界系の文脈を汲んだ作品だなーと思いつつ、作品の中で大人たちが社会の倫理や規範を唱えつつも、少年少女たちが自分の感情を叫び、そのために行動するエゴとその甘酸っぱさの青春感が最高だなと感じる。
こうしなきゃいけない。こうするべきだって論理があるのを説明した上で、キャラクターが持つ感情を捨てずに、それを消化して成長していく姿がすごく気持ちよくて感動的で憧れる。それらが美しい情景と合わさって大きな青春的ドラマとしてなんだか心を打つ。
まとめるとサイコー。読後感(?)が本当に気持ちが良くて、なんか夏の部活動のあとにキンキンに冷えたサイダーを飲んだあとみたいな心地よさ。
見る清涼飲料水。
この映画見に行く前に予習で天気の子を見たんだけどそれも踏まえて思ったのが、新海誠作品めっちゃ好きだ。刺さる。
秒速5センチメートルとか俗に新海誠が尖ってた頃の作品って呼ばれるようなものはまだ見てないから見たいと思った。
やっぱりなんというか夏休みに見たい作品って感じがする。
いつだって選んだ選択に世界の命運が託されているのに、あくまでキャラクターたちの中の物語が語られていき、その中で答えを導き出すのがもうね……いいよね……。
あんまり言葉を並べても陳腐になる気がすると言うか、感情は言葉にせず感情のままで十分なのでここらへんで一旦感想を閉店。
本当にいい映画体験だったので、みんなも映画館で見てほしい。
あと、RADWIMPSの曲が毎度のごとく最高だった。
今回の作品は特にファンタジー色が強く、話の中の道具として色濃く物語に入り込んできてた。そのなかで、幻想的な美しさを醸し出すあのルルル吐息ソング(曲名:すずめ)。作品の世界観をよりいっそう美しいものへと変え、世界を色づけていた。
新海誠のあの青緑っぽい色?全体的な空気感にマッチングして最高。一生一緒に仕事しててくれ。一生見るから。


考察のようなものを小さじいっぱい

タイトルに潜む作品性

「すずめの戸締まり」というタイトル。作品を見始めて最初に抱いた印象は、シンプルな名称。というよりそのまんまやんなって思いました。作品の構造というか、舞台道具に鍵と扉があるからこの名前なんだと。
それが、物語が終盤になるに連れてより深い意味があるのがわかった。当然、こんなに人気のある作品、というよりもこんな大御所の作家・監督が舞台道具をただの道具として使うわけはないよねという話。
鍵と扉、そして戸締まりという行為が主人公の変化の象徴と機能しているのが物語が進むに連れてより分かるようになっていく。
何が言いたいのかというと、この物語は、単にすずめが常世への戸を閉める話ではなく、すずめが親元から離れ巣立ち最後には旅立つ話だということ。この旅立ちの象徵として戸締まりが機能しているわけですね。
これはなんでこんなことを言うのかというと、ラストシーンですずめとそうたが聞いた声たちがみんな家から行ってきますと行って何処かへでかけていくシーンだったことがまずひとつ。
旅立ちという行為について、その後を強調するのではなく旅立つ瞬間、家から出ていく瞬間を強調して描かれているわけですね。家から出てそして戸締まりをすることで、親元から離れて外の世界に飛び立つわけですはい。
親元、安心できる場所、安全な場所への扉に鍵を掛けて外の内の世界を隔絶することを旅立ちや成長として表現しており、だからこそ最後の瞬間にかつて入った戸に鍵を閉めることで過去の自分と決着をつけたわけです。

旅立ちの象徵、そしてすずめの心情の変化

この戸締まりがそのような旅立ちや成長の象徵であるという論拠は、他にもあります。
それは、母親の形見であった椅子を過去の自分へと渡し、それ無しで現し世へと戻ったこと。物語の最初からすずめの心情が「死ぬのなんて怖くない」→「死にたくない」に変化したこと。
これらが特に大きなところだと思います。
特に、死ぬのなんて怖くないという発言が作品を通してのすずめの最も大きな変化。
すずめは小さなときに、常世への扉をくぐりそして戸締まりをしないままに現し世へと戻ってきてしまった。それはずっと半身が常世へといる状態だったのでしょう。だからこそ、常世にいる半身を通すことでミミズを、そして常世の世界を見ることができた。そして、この状態を象徴する言葉こそ「死ぬのなんて怖くない」というセリフ。
戸締まりというのは、作品内で旅立ちのような意味を持つ。すずめは、常世への扉をずっと締めれないままいたのでずっと死に近いところに心がいたんじゃないかなと思います。それは、そこに母親がいるのを知っていたから。母親のいる安心できる場所だからこそ、旅立てずにずっとその常世の世界に半分浸かっていたのでしょう。故に、最後に常世の世界に子供のままのスズメがいたのです。
そしてもう半分を現世に引き止めていたのは口うるさい叔母の環さんなんだと思います。(妄想)
そして、常世に浸かるもう半身を引っ張り出す役目は草太さんなんですね。ずっと常世に引き止めていた母親。そしてその母親を象徴する形見の椅子。草太がその形見の椅子の形をしていることが、草太がすずめを現し世へと引っ張り出すトリガーになるという”””メタファーなわけですよ”””(大声。
エモいですねー。ぶっちゃけただのお前の妄想じゃんと言われたら否定できないですが、そうなんですねこれは(断定)。
草太が、現し世へと連れ出してくれたからこそ、常世から出ることができたからこそ、「死にたくない」へと心情が変化し、ずっと開きっぱなしだった戸を閉じることができたのです。
うわーーーーーーーーエモすぎる!感動的!つーかサイカワ、まじヤバくね。

まとめ

いろいろごちゃごちゃ言いやがって何が言いたいんだと思ったでしょ?
わかります。自分も熱量でなぐり書きしてるので何書いてるかわかりません。ただ、推敲はしません。なぜなら寝ないとやばいから。
つまり言いたいことはこう。

  1. 戸締まりは旅立ち・成長の象徵

    1. 旅立ち・成長とは親元から離れ、現し世を生きること

    2. ずっと共にあった椅子から離れること。鍵を閉めることがその象徵。

    3. 故に最後に家から出ていく姿がいっぱい出てきた。それが旅立ちと戸締まりを示している。

    4. 故に心情が「死ぬのなんて怖くない」→「死にたくない」と変化

  2. すずめの戸締まりの意味はすずめの旅立ち・成長でQ.E.D.

あんまりまとまってないだって?わがままなこだね。あんたは今日から千だよ。

+α

すずめがミミズを見れた理由

さっきもいったけど、すずめが後ろ戸へ迷い込み、戻ってこれていなかった。つまり戸締まりできてなかったからですね。なぜ迷い込んだのかは、まだ小さな頃に母親の庇護から出るだけの力がなかったからなのか、冬の雪の中で生死を彷徨ったからなのか、それは定かではないです。
本気の考察班さんにそこは頑張ってもらいましょう。
最後にすずめ自身が小さな頃へのすずめを現し世へと帰ることを促していますが、ここに小さな頃のすずめがいること自体がずっと現し世へと戻れていなかったことを説明しているわけですね。
異論は認めん!(男らしい

ダイジン、大神の役割とは

可愛そうなダイジン。いたずらっぽくあり、可愛く、そして悲しい子。
スズメと家族になれなかった。戸締まりして外の世界に家を、家族を作れなかった子。スズメとは非常に対照的な結末を辿ってしまった子ですね。
ダイジンは、昔に人身御供になった子供(孤児?)であるというのが個人的な見解。孤児であるのは、スズメと家族になりたい様子や子供っぽい様子からの憶測。そして、なぜ人の姿をしていないのかというのは草太が現し世で椅子の姿に要石になるために椅子にさせられたのと同じで、猫にさせられ要石にされたのだと憶測です。これはすべて妄想。断定できるだけの証拠はないです。
でもなんかそんな気がしませんか?
スズメは環に家族にしてもらう。それは、環がうちにおいでといったことから。それと同じセリフをダイジンに言う。
ダイジンが望むわけでもなく、すずめがうちの子になる?って言うわけですね。
そして、あんたなんて嫌い→もう話しかけないでとなる。
これは環とスズメの関係性に非常に似た関係なんですよ。自ら引き入れ、そして良くも悪くも親である(スズメにとっての環、ダイジンにとってのスズメ)に厄災をもたらしてしまう。お節介を焼いてしまうわけですね。
そして、それ以上の幸福が確かにあって、スズメと環は家族になれたが、スズメとダイジンは家族になれず(涙すぎ)、再び要石になったのです。うあああああああああああああ。カナシ。
スズメと環の関係とダイジンとスズメの関係が対象的なのは作品内でも明確に表現されています。それがパーキングエリアでの一幕ですね。
スズメが親の環に向かって心にもないセリフは吐いてしまう。
「あなたのせいで損ばっかり」
「家族にしてって頼んでない」
このセリフを受け取る位置がそれぞれ逆位置にいるわけですよ。
親代わりの環とスズメ。そして、子供のダイジンが親の環の位置に居て、環のセリフをスズメに入れて、スズメのセリフをそのまんまダイジンのセリフにするとすんなり意味が通ってしまう。
本当に対象的な立ち位置にある。それゆえに、スズメと環が本当の家族に慣れて、スズメは現し世に自分の家を作れ、ダイジンが現し世へ自分の家を作れなかったことがわかるわけです。
いやいや、ダイジンかわいそうすぎるだろ。せめて救いをよこせよ。
まぁ、実際にダイジンが何者だったのかとかはわかりません。それは本業の考察家(そんなのいるんけ?)に任せます。
ただ、ダイジンとスズメの関係がスズメと環の関係を対照的にしたものであり、家族について考えさせられる。そんな非常に重要なキャラであったということを僕は言いたい。

追伸:色々思うこと

すずめがいろんな人に助けてもらいながら、どこにいてもすぐ飛び出していくのは現し世へといないことの象徵なのか、性格なのか。
あと、草太を助けるために橋から飛び降りるのは自殺のメタファーだと思う。旅立ち、成長のような飛び立つという行動に対して靴が脱げてしまうこれは自殺を暗喩させている気がする。それは、まだ成長しきっておらず常世に半身がいる表現なのでは~!?!?!?
おいおい、おしゃれ表現かよ。天才監督あらわっちゃってんね。

あと、ダイジンだけじゃなくてサダイジンは昔の閉じ師と予想。これはおじいちゃんとの会話から予測。これはまじで論拠が弱すぎ。妄想だと思ってね。

芹沢が昭和ソング好きなのは環さんとのフラグですか?
そうなんですか?だってなんかすごく泣きついて体重グーッと預けてましたよね?どうなんですか!!!!!!!!!!!ねぇ!!!!!!!!!!!!(半ギレ

まじで全然関係ないけど新幹線でハイテンションな高校生スズメと大学生の落ち着いた草太のテンションの差がめっちゃいいよね。おもろい。好き。さっさと結婚してくれないかな。
あと散々旅立ちとか巣立ちって書いたけど、最後に草太におかえりって言ってたし、ようやく新しい自分の場所・家を作れたのかもね。はぁ?エモ
ともすれば、草太がすずめの新しい家・家族になるのを忌避してダイジンは草太を男から椅子にしたのかもね。は?😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭

なんかまだ書ききれてないこととかあるけれど今日の仕事をなげうって感情をすべて吐き出しました。
いい映画を見ると思うこといろいろあるよね。
みんなも再度映画館に行ってぐちゃぐちゃになろー!
おやすみ

おしり


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