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オッペンハイマーの原作を読み返しているが、トリニティ実験が成功した単行本上巻まではどちらかというと読むのが苦しかったが、下巻オッペンハイマーが自責の念に駆られ、また赤狩りを含めた反共産主義の嵐のなかで猛烈に追い詰められていく姿を読み進めるのが、どんどん楽しくなるのは何故だろう。
オッペンハイマーを見て、原作のアメリカン・プロメテウスを再読しているのだが、些細なところを一つ。
兄ロバートと、弟フランクのオッペンハイマー兄弟と、監督であり兄でもあるクリストファーと弟のジョナサン・ノーランがダブって見えるのは気のせいだが、面白い符号に感じる。
具体的な名前を出しても仕方ないのだが、一つ言葉にした方がいいと思い、乱筆ながら書き残す。
有名・無名に限らず訃報のニュースをよく見る。知っている人もいれば、知らずに過ごしてきた人もいる。しかし死だけが平等に、無作為に訪れるため、そのニュースを見るたびに、私は不思議な感慨に駆られる。影響力の大小もそこでは通用しない。メメント・モリ、この言葉の重みを、私はよく噛み締める。
SNSの危険性を上げだしたらキリがないが、一つ大事なのは自分の頭のなかにある想念、概念をいくらでも言語化し、ネットの洪水の中に放流出来てしまうことだ。そして、その事に対する責任や呵責は、残念ながら本人の中に発生しようがない。法的なものはあるだろう。だが、心根から感じることはない。
ジョーカー2だが、予告編が早速公開され視聴。今回はレディー・ガガ扮するハーレクインとの邂逅が見ものだが、作品としては既存楽曲も使ったミュージカル調の作品になるとのこと。ダンサー・イン・ザ・ダークやシカゴといったダークな味わいのミュージカルとの類似も叫ばれているし、公開が楽しみだ。
JOKER2の予告編が今日にも出るということで、今回楽しみにしているのだが、その楽しみ方が普通と違うんじゃないかと思ったので少し言語化してみる。
まず、DCコミックスに基づくバットマンの敵役であるジョーカーではなく、一種、怪獣映画の怪獣として見ている自分がいた。
アラビアのロレンスとオッペンハイマーは似ている。が違うところもある。そこをひもとくと大分わかるんじゃないだろうか。まず、戦争で活躍した人物であること。そして、その活躍によって不可逆的に歴史を変えてしまったこと。三つ目に戦後での評価が少しずつだが、結果大きく変わっていったこと。
オッペンハイマーは、イギリス人監督によるフラットな視点があってこそ、これだけの影響力を持つ作品になったと考える。日本人やアメリカ人だけの視点ではここまで踏み込んだ作品にはなり得なかっただろう。そして、それは監督が今作のオマージュ元にしたアラビアのロレンスに通ずるものである。
米映画として、オッペンハイマーの内容に皆が侃々諤々。製作はアメリカの制作会社であるからして、原則的には米映画。けど、これまで何度も映画の企画が持ち上がっては頓挫し続けたこの作品を完成までこぎ着けたのがイギリス人のクリストファー・ノーランであることは、作品を理解する上で重要である。