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言葉は好きだが言葉だけでは
僕は基本的に言葉以外のコミュニケーションが下手くそなので、言葉を使ったコミュニケーションを大事にしています。そして、そんな僕は会社を経営しています。結果として、この会社は言葉を大切にした組織になっていると思っています。
最近、採用をするためにメンバーに会社の雰囲気を聞いてみました。
見方によってはそこそこ過激ですが、とても"らしさ"が出ていて誇らしいです。この会社という組織にいるのは決して互い
幸せであることが大事だとして
大学時代、いろんなひと達と「どう生きるか」という議論をしていました。とても青臭くて緩い議論が多かったのは間違いないけれど、みんな真面目に悩んでいました。たくさんのお酒が涙となり流れていく、青春の亜種。
そんな中で、よく見かけたのは「自分の幸せをこそ追求しよう」という享楽的な考えと「自分だけではいけないはずだ」という一種の正義感のようなものを持とうとする派閥の差異です。衝突までいかなくても、摩擦は
田舎というものが生き残るには
基本的に田舎というのはこれから、どんどん切り捨てられていくんですよね。単純に人間が足りなくなる。「大きな災害があったのはいい機会だし、もう移住させようぜ」みたいな下品な話は辟易とするけれども、もっと落ち着いた場でも「地方に資源を回してるどころじゃないだろ」みたいな議論がこれから本格化していくだろうし、そのときに人口密度の低い場所の味方をしてくれるだろう人間の数は少ない。厳しい。
なので田舎では、
世界の解像度を上げる
基本的に解像度が低いままで生きられるほうがラクですよね。
僕は目がとてつもなく悪く、コンタクトを外すと世界全体の解像度がめちゃくちゃ下がります。全てのモノが色と光くらいにまで分解されて意味を失ってしまう。
最近、西粟倉村では何故か「縄文人のように生きるには」などの議論が行われているけれど、僕はコンタクトが乾いた時点で即死だな…と思いながら聞いてます。
多分、解像度がめちゃくちゃ下がった状態で
滅びゆく田舎と人間関係
うちの村くらいのレベルの田舎になると、インフラの仕組みは都市に比べると脆弱です。そのため、フツーの人間がインフラに組み込まれています。
都会ではシステム(専門家)で解決していたことが、住人を動員することで解決される。これは東京で暮らしていた自分にとって、大きめのカルチャーショックでした。引越してきて5年ですが、消火活動に参加したり、災害時に土嚢を積み続ける…みたいな経験をするとは想像していなかっ
7月の短歌から10首
微笑んで人の会話を木のように聞く君だけが晴れの日よあれ
余りにも夏らしい日が現れて記憶がどこか贋作になる
この国は衰退すると言っていた そうなのだろう電灯に雨
寝転んだ畳に容赦なく垂れる気温の外でヒグラシの声
両の手で花瓶を上げて底を見る ここに生きてく理由を置いた
重そうなガラスの皿で桃が出てそのひんやりの記憶が祖母だ
煮詰められ小瓶に分けて出荷され社会制度と戦わされる
調べれば「
6月の短歌から10首
確実に左へ行けば冒険が始まる朝に右へ出勤
教科書のようにのんきな眼差しで「想いの強さ」などと供述
踏み締めたケヤキが折れて僕らには朽ち果てるほどの猶予がない
雨粒の如く潰える命あり ワイパーで拭く高速の夜
木星へカカシを摘みに行きましょう冷やし中華が始まる頃に
紫陽花と墓地に優しい雨が降り濡れた先から日曜になる
魂の返却期限を過ぎており死ぬまで隠すと決めた夏至の日
尾根がまだ夏の陽射
5月の短歌から10首
大雨に高架をくぐる一瞬の静けさに似た君のくちびる
道端をくり抜いて翔ぶクロアゲハ 精一杯が影であること
人生をカメラ目線でゆく人だ初注文で濃いめと言える
想像を超えると謳う広告に想像力を限定される
セキレイが3飛び1落ちで滑る空間の線くぐっても空
ふと気づく焚き火の中で燃え残る枝が誰かの救いらしいと
悪人のいない地球の警察で青く大きい蛾を護る部署
希望とは絶望の中以外では活きない仕様
4月の短歌から10首
髭剃りと歯磨きの順入れ替えて今日は世界のB面になる
セキレイが50度ほどの角度にて見下ろす部屋の会議は続く
水仙を見て少年が溺死する逸話をつくるひとがいたのだ
春霞 アプリの位置を変えてみる確かなものは無くても慣れる
残るものだけが思い出になるから桜はアップで斜めの花
あの日々が青春だったこの日々も人生だろう 積まれたコップ
ランドリー向かう深夜の排水溝 吹雪いた後の花びらに泥
潔い