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繰り返し考えていること

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酔っ払った時に何度も言ってしまう”サビ”にあたる部分です
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やりたいことがない

意思決定において「やりたいこと」を重視しろ、と言われることが多いですよね。説明が面倒なんで、僕も「やりたいこと」をやれと言います。実際は「命懸けでできること」が大事だと思っています。それが「やりたいこと」でなくてもいい。よく対比に出るのが「やるべきこと」ですが、どっちにしろなんにしろ、命懸けでできていれば大して問題にはならないです。 僕は東大中退でITベンチャー出身ですが、岡山の山奥で森林管理の仕事をしています。この経歴だけ見たひとには「さぞいろいろやりたいことがあって辿り

地獄への道を舗装するのが善意なら

善意を持つひとの方が、悪意を持つひとよりも圧倒的に多い。僕はそう考えています。一方で、悪意を持つひとが起こしたことよりも、善意を持つひとが起こしたことの方が、圧倒的に世界に苦しみを与えている。そんな風にも考えています。 人間社会は悪意に対して意外と厳しいので、悪意を持つ人よりも善意を持つひとの方が影響力を持つことが多い。地獄への道は善意で舗装されている、というやつです。善意(正義・道徳)が苦しみへとつながった事例は歴史を見れば枚挙にいとまがありません。 そしてさらに言えば

悩むのは無駄でしかない

別に悩みたくて悩んでるワケじゃないだろうけど。 森見登美彦『有頂天家族』に出てくる一節ですが、全くその通りだなあと思わざるを得ません。動くことでどうにかなるなら動けばいいし、どうにもならないのならそれについて考える必要はない。 まあ実際は、そんな話をしたところで「なので、悩むのはやめましょう。」「はい!」っみたいに解決しないことがほとんどだとは思います。そんなカンタンに割り切れないんですよね、人間。 だいたいのことがらは、それが「どうでもよいこと」なのか「どうにもならぬ

命がけで生きていく

それさえできれば後悔は無い気がする。 死ぬ直前の一秒も、いま目の前を過ぎていく一秒も、同じ時間だと考えるとなかなか怖くありませんか。同じ人生の一部なのに、果たして同じ密度で過ごすことができているでしょうか。 今までを振り返ると、人生の一部だと誇りに思える時間とそれ以外を分けているのは、その一瞬一瞬をしっかりと自ら意識できているかどうかがほとんどです。その行動の結果はともあれ。 例えば高校や大学なんかで、サボるぞ!と気合いれてサボったときは後からでも気持ちが良いけれど、気

常に最適でなくとも

結局だいじょうぶ。 よくある「やりたいことが見つからない」という悩みは、「人生というのはツライし短いので、やりたいことをやらなければならぬ(やりたくないことをやると死ぬ)」みたいな恐怖に基づいています。 この恐怖は近年、増大傾向にあります。様々な場面で『最適な解』を見つけるのが容易になったから。その深刻さと滑稽さを、コメディアンのアジズ・アンサリが笑い飛ばしてました。 「僕は歯ブラシを買うにも、ネットで口コミを探さないと不安になってしまったんだ。『歯ブラシ 最高の』って

いつも心に龍の子太郎

いい話なんですよ。 怠け者の太郎は、おばあさんから母が龍の姿になってしまったと聞かされる。太郎は龍となった母を探しに旅に出る。 様々な障害を乗り越えた果てに、太郎は母と再会する。果たして、母は巨大な龍の姿になってしまっていた。何故かと太郎は問う。 母は、自らが人間の掟を破ったからだと涙する。貧しい村で、他人の分としてとっておくはずのイワナを3匹も食べてしまったのだ。 そうして人間でいられなくなったと語る母親だが、太郎はその理由に納得しない。そんなことってあるかと、地団